小泉純一郎政権が選挙戦略に残したもの
政党政治崩壊と無党派層増大
小泉純一郎総理の4年間を総括してみると、独壇場であった。「自民党をぶっつぶす」と「公約」したのは行動として党の言うことは聞かないってことで達成されたのだろう。
郵政民営化に向けた衆議院の解散は通常の政党の判断からは出てこない。個人的衆議院解散だったのだから。その選挙結果は小泉純一郎総理の(あえて、自民党のとは述べない)圧勝であった。この時に自民党は勝った勝ったとはしゃいでないで有権者の変化を読み取るべきだったろう。
その有権者の変化が如実に現れたのが宮崎県の知事選挙での「そのまんま東(東国原英夫知事」の誕生につながる政党政治の崩壊だ。
宮崎県知事選挙の背景にはその他の要因もあるが東国原知事の選挙戦には説得力があった。組織票を背景に選挙戦を戦う候補と比べてマニフェストの準備とか街頭演説での訴えに説得力を感じた人が多かった。だから、選挙戦序盤では「泡沫候補」扱いだった宮崎のマスメディアも選挙最終日には東国原候補を集中的に追いかける結果となった。
保守乱立で票が割れた状況はあるが、官僚出身者と元タレントの戦いは官僚が政党を背景に選挙戦に出ても必ずしも当選しない有権者の選択の変化が感じられる。
これは、小泉純一郎首相が4年間かけて政治を小泉劇場に変えた影響だ。
小泉純一郎首相の政策にあった「首相公選制」の下地が有権者の中に形成されつつあることを政党の選挙担当者は感じて以下のように作戦を変更を行うべきだろう。
人物本位な選挙戦略が必要
一人の変人が政治を楽しませてくれることが解った有権者は政党の数の論理による政治運営の閉塞感を打破する方法を知ってしまった。
春の統一(既に統一の文字は空しいほど改選市町村は減ったが)地方選では過去の実績や支持母体に依存した現役が敗れるシーンが続発するだろう。それは小泉純一郎前首相が描いて見せた政治は候補者の人となりに依存すると見せつけた結果だ。
結局、大局の中で小泉純一郎前首相は自民党をぶっつぶしてしまうのかもしれない。正確には旧来の自民党的なものをことごとくぶっつぶしたのだが。
夏の参議院改選に向けて民主党もやたら対決姿勢を前面に出しているが、有権者の変化に気が付かなければ政権奪取なんておぼつかない。現在の選挙はいわゆる浮動票が選挙の結果を決める。労働組合を中心にした組織票だけでは山は動かない。その意味で現在は絶滅危惧種になってしまった社民党(旧社会党)が土井たか子党首の時に何故あんなに議席数を伸ばしたのか歴史に学ぶと良い。
世論を動かす力が無ければ政治は出来ないと小泉純一郎前首相が示したとおり昔の選挙では土井たか子党首が直接有権者と対峙した。今の民主党に直接国民と向き合う姿勢を持った幹部が居るだろうか。政治バラエティへの出演には熱心だが本格的な報道番組に幹部が出てきても目の前の自民党に噛み付くだけで、国民に向かって訴えている姿勢が見えない。具体的に名前を上げなくても菅直人氏のことだ解るだろう。
加えて、鳩山由紀夫氏は説得力ある弁論に欠けるし、横路孝弘副代表に至っては存在感すら無い。小沢一郎代表一人で頑張っても幹部に役者を揃えないと選挙戦は戦えない。テレビCMもワイシャツ姿で帆船を操れるのか? と頼りないものになっている。
浮動票は僅かな風で流れる
加藤紘一氏が述べているが、最近の世論は非常にふわふわと漂っているように見えるそうだ。僅かな動揺で全体が動いてしまう。そんな風潮は危ういと加藤紘一氏は述べてる。
選挙の場面で考えると政党主体の候補者は堅牢な土俵に乗っているのでは無い時代になっている。それこそ「有権者は家で寝ていてくれれば」と失言するような公明党票頼みの自民党の現状がある。組織票を持っている政党はいまや公明党しか無いのだから。
僅かな風で全体を動かすには旧来の手法では難しい。国会の審議拒否なんてのは国民に見えないコップの中の嵐だ。国民に向かって説得力を発揮するのが政党に残された最後の舞台だ。あとは個々の候補者の頑張り(説得力)である。政党の公認をもらったら選挙に半分勝ったようなものって感覚は通用しないのだから。
春の統一地方選を踏み台に本丸の夏の参議院改選に向けて国民に向かって訴える姿勢が無い政党は勝てない。政敵にばかり目が行くようだと国民の関心は失われる。小泉純一郎流を否定して自民党は旧自民党に戻りつつあるのだから、逆に民主党は小泉純一郎流を利用すべきだ。
安倍総理大臣の最大の欠点はスタッフに恵まれないこと、同様に小沢一郎代表にもこれが言える。互いに同じアキレス腱を持つもの、この呪縛から脱し、思い切って若手を利用した側が勝利を手にする。