強行突破、ペルー日本大使館公邸

国家主権と武力制圧
 テレビでフジモリ大統領の陣頭指揮を目にして、日本では考えられ無いと感想を持った人は多いだろう。なんとも武力解決には消極的なのが日本の方針なのだから。しかし、武力解決を賞賛するものでは無いことを最初に断っておこう。
 今回と対比されて考えられるのが日本赤軍によるダッカ人質事件であろう。時の総理である福田赳夫氏は「超法的措置」として、人質の安全のために拘置中の日本赤軍メンバーを釈放した。この態度に国内では同情を含めた容認意見が多かったが国外では非常識のそしりは免れない。
 当時を知る者としては、短時間に「アッサリ」釈放したものだと感じた。交渉のテーブルの設置が危機管理の第一歩であるはずだが、「要求を聞く」を最初に俎上にのせたのが当時の手法だった。
 「要求を聞く仕組み」作りから初めても良かったのではなかったかと思う。
テロリストとの交渉は、交渉する仕組み作りからスタートする。との考え方が今回のペルーの対応であった。国家と対話するには、まず要求をアジテートするのではなく、要求を俎上にのせる仕組み作りから、というのは的を射た方法だと思う。
 少なくとも、国家には主権が存在し、その主権は国民に預託されているのが民主主義のベースにあれば、主権との対話には手続きが必要である。その手続きをネグレクトした直接要求が「テロ」であるが、国家主権は動じてはいけない。

最後の切り札「武力」
 両者交渉の切り札を持っている。方や武力行使であり、方や人質の生命である。今回の場合、人質の数では無かったと思われる。フジモリ氏の考えでは、人質が1人でも傷つくことがあれば、即武力行使の姿勢は表明していたし、スパックアマル側でも人質がたいした切り札にならない事をうすうす感じていたと思われる。
 交渉の土俵が設置されているが、あくまで交渉の土俵であり、解決の土俵では無い。このため、再度仲間の釈放を議題に出した事により、ギリギリの選択として最後の切り札を引くことになった。
 交渉は雑談ではない、双方の主張の調整の場であり、調整が不可能になった時点で双方のどちらかが最後の切り札を引く(引かされる)ことになる。
今回はフジモリ側が最後の切り札を引く(引かされる)ことになった。

国際政治の舞台の論理
 日本人に記憶に新しいのは、サハリン沖での大寒航空撃墜事件であろう。
米ロ双方が相手を非難し、なおかつ、日本乗客、韓国人乗客、はてはアメリカの上院議員まで死亡した国際問題であったが、その終焉は驚くほど穏便なものであった。
 日本では「本音と建前」が使い分けられるが、国際社会では建前で動く、また国際社会の「本音」は非常に建前に近い。何故なら、多くの国際紛争の収集はキリスト教的倫理観に裏打ちされた文化土俵のなかで解決策を模索するから。
 その中で日本は孤立的である。文化土壌がまだ西欧と馴染まない。イスラム教文化、キリスト教文化に抗して、第三の文化圏となりえる可能性も過去にあったが、まだまだ国際的感覚からは第三の文化圏の論理は馴染まない。
  先のダッカ人質事件の解決方策が受け入れられなかった事象を見ても明らかである。

時、あたかも憲法記念日
 「平和憲法が現在の日本の繁栄を築いた」って論理には同調できない。日本の繁栄は日米安全保障条約によった、のが私の考えである。平和憲法と呼ばれる現在の憲法の是非も感情論でなく、論議されなくてはならない。しかし、曲がりなりにも国際的に通用する(した)憲法であったのは、制定を迫ったアメリカの傘の元可能な憲法であったことを物語ってはいないだろうか。
 日本がフジモリ氏のような、最後の切り札を自らの責任において引くことができないのは、結局、自らの責任で生きる、自己責任の原則を骨抜きにして戦後50年生きてきた証左ではないんだろうか。
 陣頭指揮するフジモリ氏を見て、ある人は強い指導者と受け取ったかもしれない、またあるひとは強力な独裁者と見たかもしれない。しかし、根底にあるのは、自己の責任で物事を判断し実行しその結果にも責任を持つ、ある意味では「あたりまえの姿勢」であろう。何故に、この「あたりまえ」に賛否両論が発生するのか。
 それは、日本人の文化に「一億総懺悔」、「軍部全面否定」、「戦前の制度全面否定」が一番生きるのに心地よい時代が有って、それが惰性で流れてきたからであろう。
 武力肯定よりは否定のほうが賞賛される理由は何も無い。文化土俵の常識でしか無い。その土俵は国際社会では通用しない。
 感覚的に武力行使を否定するのではなく、ある意味で損得に照らして、武力行使も選択肢の中に含めておくのが国際社会の常識であることを今回の事件は物語っている。
 いわゆる、平和憲法は日米安全保障条約の傘の下でこそ守り得た憲法であったとしたら、結局、日本はアメリカの新しい方式の植民地であった訳で、その犠牲が沖縄に強いられていたのもまた事実であろう。
 沖縄米軍基地問題は別項にて。

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1997.04.23 Mint