高橋竜二君、感動をありがとう

STV杯ジャンプ見事優勝
 1週間たって、なんとか書く事ができそうです。当日は感動してしまって、冷静に書く事ができなかった。
今年は長野オリンピックで冬季スポーツにも関心が高くなっているが、特に関心の高いのがノルディック競技のジャンプおよびコンバインド(複合)ではないだろうか。日本人の体型に合っているのかV形になってからの日本選手の成績は世界水準をリードしている。
 さて、この長野オリンピックの純ジャンプ日本代表選手は8名。先日(98年1月18日)のSTV杯大倉山ラージヒル大会で先行して決定していた6名に最終選考選手の残る席2名を決定することになっていた。なんせ日の丸飛行隊が表彰台を独占する使命を達成できるかどうかの選手選考なので、誰が選ばれるかマスコミの下馬評が賑わっていた。
実は並み居る選考対象選手にまじってこの大会の優勝をさらっていったのはマスコミに乗らない、知る人以外知らない無名の新人高橋竜二君(23)だったのである。

個人エントリー

 北海道ではメジャーなスポーツで毎週末ジャンプ大会が放映され、なみいる北海道の放送局は必ず冠大会を持っている。以外と全国区のスポーツでは無いようだ。ジャンプ台をシーズン以外も解放し、札幌観光の名所にしようとしたのは正解でジャンプ台を見て、テレビのジャンプ中継(録画中継)を見る人が増えているらしい。
 冠大会では「雪印杯」、「HBC杯」、「STV杯」、「NHK杯」、「宮様杯」その他宮ノ森のノーマルヒル、大倉山のラージヒルと毎週末ジャンプ競技が札幌では開催される。かの空気中の水蒸気が氷の破片として氷付き太陽の光を反射して柱のようになるスノーピラーで有名な名寄のピアシリスキー場は、北海道のジャンプシーズンのこけら落としとして有名なピアシリジャンプ台が有る所だ。
また、他には下川町があるが、結局有名な大会は札幌のこのふたつのジャンプ台に集中している。
 参加する選手も、実業団と言う表現は的を射ていないが企業選手である。経営破綻した北海道拓殖銀行(拓銀。どうも本州では「北拓」と称するらしい)にすらスキー部が有った。今デサントのコーチの八木氏もここの出身である。
 現在の勢力では企業としては僕の贔屓の選手から紹介すると、NTT北海道の安崎選手。ま、かれはフルーツの町仁木町の実家の果物直営店でお母さんと話してフアンになったのだけれど、大倉山のバッケンレコード(その当時の最長不倒距離。ころばずに飛んだ最も長い距離記録)を持っていたこともある。現在は年齢からくる恐怖心との戦いに苦慮しているようだ。ニッカ・ウヰスキの東輝選手。この選手は東兄弟の一番下と記憶しているが、番くるわせの大ジャンプをしてくれる。ま、ニッカは笠谷選手の企業でもあり応援している。これ以外にJR北海道、雪印乳業、東京美装、最近では日大の学生選手もエントリーしている。
 先の高橋竜二君は個人エントリー(は、できないのでいちおう、クラブ形式)で「水戸歯科スキークラブ」の選手である。
彼が、STV杯の1週間前の雪印杯で8位に入賞した時に、実は僕は今シーズン彼にとって十分な成績で満足しているだろうなと思った。高橋竜二君が雪印杯でワールドカップ遠征組が居ないとは言え入賞したのは素晴らしいことだと書こうと思っていた。

水戸歯科スキー・クラブ
 知っている人は知っているが、モータースポーツの世界で特にバイクの世界で個人が参加できる国内最高峰のレースは「鈴鹿8時間耐久レース(鈴鹿8タイ)」と言われている。それは企業が目指すレースでは無く、町工場で集まった良い意味の素人のレースの最高峰である。漫才師(あ、頭に元が付くが)の島田紳助氏が「風よ鈴鹿へ!」で川谷拓三を主演に映画を作っているので見て欲しいのだけれど、個人が乏しい資金力で、それでも「あわよくば優勝を」と狙えるのがこの「鈴鹿8時間耐久レース」いわゆる「鈴鹿8タイ」である。
 スポーツの世界も企業チーム、いわゆるファクトリー・チームに席巻されているが、パリダカール競技にみられるように、レース競技は基本的にパブで知り合った者達が「いっちょうやってみるか」で始まった歴史がある。ルマン24時間レースだって、同様である。F1については最初から興業色が強かったのはいなめないが。
 昔は、個人エントリーの余地が多分に有って、また、この個人エントリーが優秀な選手の企業選手への登竜門であった(日本のバイクレースの黎明期は浅間山コースにあった)。
原点に立ち帰ってみると、スポーツはスポーツであり、全力を出し切って負けたプライベート・エントリーのほうが、手抜きで勝ったファクトリー・エントリーより美しい。
 これを「風よ鈴鹿へ!」では描いている。「レースが終わったら絶対泣くでぇ」てのは名言である。また、天皇杯サッカーにクラブチームが燃えるのもこれ故である。(あのなぁ、だからって、コンサドーレ札幌に怪我覚悟でチェックかけるなよな>鹿児島実業高校)
 ファクトリ・チームに互して、あわよくば優勝を、と言うのはプライベート・チームのまさに「かなわぬ夢」である。
それを高橋竜二君は実現した。

夢に挑む
 駄目だ、まだ、感情が高ぶってしまっている。
 僕が高橋竜二君を最初に目にしたのは聾学校に通いながらジャンプ少年団で飛んでいる少年がテレビで照会された時だ。10年くらい前かもしれない。
 そう、高橋竜二君は生まれつき耳が聞こえない。耳が聞こえないから他人の会話が聞こえない、必然的に自ら発音することができない。耳が聞こえないってことは自分の発音音声を聞き取れず、意思表示を会話でできないってふたつのハンディを背負う事になる。彼がアルペン競技からノルディック競技のジャンプに代えたのも、スタートの合図が聞こえない、コーチの大声(なんせ、唇を読むのが情報の入手方法なのだから)が受けれないことをジャンプ競技なら苦にならないだろうとの判断からだ。
 STV杯の1本目、飛距離118.5mで1位に立つ。しかし、周囲は長野候補に誰がなるかでもちっきり。高橋竜二君って誰だ? 1本目たまたまラッキーだったんだろう。それくらいにしか見ていなかった。確かに当日の大倉山は秒速3mくらいの風が方向をコロコロ変えて巻いていて、選手に風の有利不利がかなりあったのは事実だ。誰もプライベート・エントリーに近い高橋竜二君に注目はしていなかっただろう。
 最近のジャンプはワールドカップ方式で、2本目のジャンプは1本目の下位から順番に飛ぶ。と言う事は高橋竜二君は1本目で一位だったので、1998年のSTV杯ジャンプの最終ジャンパーなのだ。僕はテレビの前で落ち着かなかった。もし最後のジャンパーがまったく人々に省みられない80メートルそこそこの飛距離で終わったら、ここまで上ってきた「高橋竜二」の名前がまた、記憶の陰に消えてしまうのではないかと思った。それでは高橋竜二君の努力がむくわれないし、同じ境遇の人も、所詮人生ってこんなものさとハンディと戦わず、諦観してしまうのではと危惧した。
あーなんで、こんな場面を強いるのかと偶然のいたずらを恨んだりした。
ラスト・フライトの選手として、プレッシャーはあっただろう。だが、意外と冷静にジャンプ台のアプローチに向かう姿勢に「背負うものの大きさに潰れてないな」とテレビ画面から感じた。

夢を手にした高橋竜二君と両親
 最終ジャンパとして、高橋竜二君はあっさりとアプローチに入った。申し訳ないけど、耳の聞こえない君には先の選手の飛距離の放送は入っていなかったのだろう。テレビの前でとにかく恥ずかしくないジャンプをしてくれと願う僕はまったく小心者だった。
 ジャンプ台でもサッツ(踏切)のタイミングはベストだった。これなら、100メートルは行くなと思った。が、風に煽られて体がねじれる。一瞬失敗ジャンプになるのではと思う。がしかし、あおった風に抗して体制をコントロールしてあれよあれよと言う間に君は130メートルにランデングしていた。決して綺麗なテレマーク着地では無かったけど、それはNTTの安崎選手のようであった。
 それは「夢に挑む」姿勢である。僕は高橋竜二君が電光掲示板を見て自分が1位になっていることを確認して居る場面から実は見ていない。いや、見れなかったのだ。訳が解らないのだけれど涙が視界を塞いでしまた。雪印杯8位で十分だろうなんで、ここまでと思ったら。どうしたんだろう涙で視界が遮られた。
 声こそあげなかったが、家族の前でボロボロ涙を流していた。
 コマーシャルが終わってインタビュー。お父さんが「夢でしたね」って言ってる後ろから「親も偉いっぺ」って声を掛けた観客の人がいたけど。まさに、ジャンプで高橋竜二君は人生における自分の存在価値(レーゾン・デートル)を手にしたのだから、うらやましい(笑い)
 ドンキホーテじゃないのだから、見果てぬ夢を追い続けるだけでなく、やはり誰かがその夢を実現して欲しい。決して実現しない夢でなく、あわよくば手にすることができる夢。それをあの日、高橋竜二君は手にしたのだ。

我々の知恵
 ここからは、社会的な話で個人は離れる。高橋竜二君、インターネットで世界の人々と話してみないか。それの用意をNTT札幌と一緒に企画してる。
(実は、この企画はNTT北海道と進めたのだが、高橋竜二君が長野オリンピックのトライアル・ジャンパーになったので、オリンピック関連のスポーサーフ・フイを要求されて(NTT関係者を立てたかっらかなぁ?)金銭的問題で実現しなかった)
 人の噂は75日と言うけど、世間には石に刻んで未来永劫残すべき情報もあるのだ。ジャンプk競技と言う世界から高橋竜二君のワールワイドの扉が開くから検討してもらいたい。
 夢を手にした人間は、今度は人々に夢を与える存在でなければならない。
 競技の後で決定した君の長野オリンピックでのでのトライアルジャンパ姿を、たぶん僕は涙でかくれて見れないと思う。ビデオにとってみるけど、頑張ってほしいい。
夢を手にした高橋竜二親子はこれからは夢をハンディキャップのある人々に語りついでもらいたい。
 まさに風よ大倉ラージヒル台に!であった。高橋竜二君、感動をありがとう。

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1998.01.25 Mint