やっと三塚大蔵大臣の辞任かぁ
やっと蔵相の辞任
スポーツネタで感動していたら、またもや下世話な政治ネタ。三塚大蔵大臣辞任劇の幕が開いた。
最近大蔵大臣でワースト3を上げろとなるとまず、この三塚さんと、さきがけの武村さんは、入賞間違いない所。何故、こんな茶番劇が起きるのか考えるとあまりにも単純過ぎて、あきれてしまう。そもそも国の舵取りをする国務大臣が、特に専門的見識が有る訳でなく、当選4回以上の国会議員から順番に割り振られて、そのシステムがおかしいと誰も感じないのだろうか。これは席順を待つ与党のみでなく、真に国の行く末を案じているはずの野党にしても同じ。
族議員ってのは、僅かながら、その方面に微細な見識が(ま、利権が見えてるのに比べれば、ppm以下の微細さだが)有るが、三塚大蔵大臣に、国の財政運営はかくあるべきって見識が有るとは思えない。なんで、そんな奴(あ、奴と呼んでしまおう)が大蔵大臣になるかと言えば「偉い」から。で、そんなスタッフに囲まれているから大正時代の化石の宮沢氏に国会で質問の形式で総理大臣が説教されるはめになる。
「偉い人」は奉っておけば良いって、考えで、省庁の官僚は強くなってきた。また、たいして見識も無い国務大臣に舵取りの力も無く、官僚と会議をしても「よそでは、どうやっているのかね」、「君たちの意見はどうなのかね」、「総理は納得してるのかね」だけの、自動会議マシンでしか無い。日本って国は不思議な価値観があって、功労の有った人が、どのジャンルで功労が有ったかに関わらず「偉い人」で、形骸化した組織の飾りなら良いのだけれど、実戦部隊のトップに据えたりする。
正月に何十回目になるか忘れたが淵田さんの「ミッドウェイ」を読んだ。彼は、最後の敗戦分析の中で、かなり厳しく南雲中将をアサインした日本海軍の見識の無さを上げている。前に読んだ時にはこの部分はたいして気にならなかったのだが、考えてみると、あの山本五十六ですら、連合艦隊の旗艦を任せる器で無いことに気が付かないほど、当時の日本海軍は「偉い人」をしかるべくポジションに就ける過ちを犯していたことになる。
ミッドウェイの話は長くなるので、聞きたければ一升瓶持参で泊まり覚悟で自宅に来て貰うことにして(笑い)、どうも、専門家であるよりも年功で「偉い人」の始末のしかたが政治の歯車をガタガタにしている元凶と感じている。
政治家は何を職務にしているのか
アイヌ民族代表で国会議員になっている萱野さんがインタビュに答えて、「国会は勉強しようとしたら、資料が直ぐに手に入る、大変勉強に恵まれた所。ここで、勉強すれば世界のことが見えてくる」と話していた。考えてみると国会で勉強している国会議員はごく少数ではないのだろうか。大半は、選挙戦に勝利するプロであって、選挙が無いならまったくのデクノボウ・モードなのかと疑う。
そもそも、国会議員であることが目的で、最終ゴールで、それから先のビジョンは持ち回りの国務大臣あたりまでしか志が無いのではないか。そんな国政の半人前を100人集めたところで、まったく日本は良い方向に向かわない。
「政治の官僚支配からの脱却」なんか叫んでも、この道数十年の官僚に国会議員がかなう訳が無い。せいぜい舐められて終わりである。そもそも、国政に豊かな見識が有れば選挙のたびに地位を危うくされる国会議員よりも政治評論家のほうが、地位も安定しているし、収入も高く得られる。まして、実行責任を問われることも無い(笑い)。
オルタネィテブ案
ま、文句ばっかり言ってもしょうがないので、どのようなシステムに変えて行けば良いのかを語ろう。
「陰の内閣」は着想として良かった。ただ、55年体制が崩れて野党であっても連立の中で国務大臣の椅子が手に入るかもしれない時にママゴト遊びでは物足りなくて自然消滅してしまった。政策提言なんかしてもどうにもならないし、まして、勉強して提言しても相手はノレンに腕押し状態なのだから。
しかし、個人の議員には限界が有っても、政党が自政党から国務大臣を出す姿勢は放棄しては困る。具体的には現在の官庁の中で大蔵省、通産省、建設省あたりの大臣に絞って、党組織を上げて政策立案を行い、大蔵大臣だけは我が等から出す姿勢を持つことだ。
だいたい、陰の内閣で環境庁長官に任命されて、それが何なのだ、ってのは誰でも思うことなんだから。
教育改革が学校での教師殺害などという場面に有るのも、どこかの政党が「教育改革、文部大臣だけは我が党から出す。そのための政策要項は十分練っているし開示している」と言えば、大きく前進するだろう。要は手広くやって調整に手間取り元の黙阿弥になっている自民党を真似ることは無い。政権を取ると言うことは、革命的に全部ひっくり返すことでは無く、それぞれの相手の弱点を自らが補完して国民の信託に応える中で培われるものである。
見識が有り、国民に支持されれば、連立内閣は必然的に形成される。55体制が崩れたとは言え、結局自民党の1人勝ちになっているのは、そのようなアプローチが野党に無く、選挙が近いと言えば歯の根も合わないほどガタガタし、地元の結束に走り回る。つまり、自分が世間に信を問う何物も持たない陣笠議員ばっかりになってしまっているからである。
小選挙区制の弊害はここにも有る。ちなみに選挙制度はこれだけ情報化が進んだ現在、全国1区方式を設けるべきである。議席は最初は30あたりでも良い。テレビ政見放送のみで、遊説も街頭演説もポスターも全ての運動(インターネットのみ可としようか)を制限する公平な全国1区制度。この中からは付け焼き刃の公約では無く、個々人の政策提言が行われる選挙戦が戦われるであろう。泡沫候補を抑制したければ法廷得票に満たない場合の没収金を高くすれば良い。他に立候補の道が閉ざされている訳では無いのだから。
ま、個々の細かな積み重ねがやがて山を動かすって意識が無いと政治は政治家によって変えることは出来ない。市民が政治家不信になるのは、言ってることとやってることのギャップを投票所に向かった人々が、こんな政治家に投票したのかと自ら恥じているからに他ならない。
たんか切ったのだから辞任は当然
最後に。たまたま1月19日の予算委員会をラジオで聞いていたのだが、この委員会で三塚大蔵大臣は「綱紀粛正後、違法な接待、関係業界との癒着は無い」と明言した。これを受けて民友連の議員が「大蔵大臣、あんたはメ(絶句)」って場面があったのだが、もちろん、これは大蔵大臣の監督責任を指して「メ○ラ」と言いそうになったもの。(放送禁止用語なので、中継したNHKが切ったのかもしれない)。
あそこまで明言したのだから、辞任は当然と思う。せめて、「ご指摘の件を再度調べて報告する」と言えば良いし、議長も運営委員会預かりって方向で話していたのに、なにがあそこまで大見栄切らせたのか。
ま、官僚を信じていたなんてことは無く、リアルタイムで丁々発止する委員会での答弁に既に三塚氏は耐えられないと言う証明だったのだろうと、今にしてみれば思う。
ミッドウェイの作者の淵田さんも、一瞬を争う海上航空決戦で、あまりにも標準的正攻法を選択した南雲中将は高齢過ぎて、判断力に柔軟性が無くなっていたのだろうと推測している。
政治家として墓穴を掘ったら、その責任は自らの進退と言うよりも、国民の信託に応えられないのだから、去る(政治の世界から)べきである。それを勧める見識もこれまた自民党には無いのだろうなぁ。