コンコルド墜つ。マスコミの勝手な評論

そもそも、マスコミって媒体が使命のはず
 マスコミの論調と言うかスタンスは常に一定である。「マーフィーの法則」に「物事が巧く行かなくなった時に、必ず、巧く行かないと最初から知っていた人間が現れる」ってのがある。これと同じである。人間は好奇心の塊である。その人間の特性が情報を流すマスコミの存在理由であるにもかかわらず、マスコミは馬鹿を探して痛めつけることをジャーナリズムだと勘違いしている。
いわゆる「タブロイド誌」と「新聞」は別物で棲み分けているのか西欧に代表される市民のマスコミの受けとめ方であり、供給側もその「分別」で成り立っている。歴史の短い日本でも、こと週刊誌について言えば、週間ポストが「大蔵省の極秘メモ、これで1ドルは80円」なんて書いても市場は反応しない。しかし「文春」あたりが書くと...。
テレビはほとほと駄目なメディアだと思う。メディアとして「媒体」に徹すれば良いのだけれど、会社の姿勢みたいな名誉にコダワル。時代を背負っているなんて余計なスタンスが前面に出てきて、僕としては「勘弁してよ」ってチャンネルを替える。テレビ局ってのは「電波屋」なんですよ。何を流しても「電波屋」としての責任しか無い。つまり、「媒体提供業」以外に足を踏み出さないでもらいたい。
田原総一朗さんが居た東京12チャンネルもそうだが、「電波屋」がそこに流すソフトウェアまで支配する構図は民主的では無い。どちらかと言うと「電波屋」の横暴である。その自覚を持つべきだ。
これって、インターネットの世界では明確に棲み分けていると思う。ここのページはNECの提供するbiglobeのサーバーに有るのだが、このページにサーバー管理者は干渉しない。あくまで、「場を提供する業者」のスタンスなのだ。つまり、「メディア業」に徹している訳。この「メディア業者」がメデイアで流れる情報に手を染めるのが間違いの始まりなのだが、ま、それは、別な機会に話すことにしよう。

インテリジェンスの違い
 松本零士の「ザ・コックピット」に有った話し。海で素潜りで漁をしていた若者が海軍航空隊で迎撃機「雷電」のパイロットになる。1万メートルの高空に駆け登りB29を迎撃するのだが仲間の多くは低酸素症に侵されて行動が鈍る。素潜りで培った肉体が高空の低酸素状態でも主人公を機敏に活躍させる。やがて戦争が終わり昔のように海に戻り、素潜りの漁師となったが、ある日事故で命を失う。浜辺に横たわる今は老人になった主人公を崖の上の路から見おろす若者が「素潜りですって。もっと科学的な仕事できなかったのかしら」と囁く。意識が薄れていく主人公は「昔やったさ、同じ青い色に囲まれてな」と1万メートルの高空を懐かしむ。
 コンコルドを「時代遅れ」とか「無用の技術」とか、はては「20世紀の技術墜ちる」(朝日新聞)とか、今回の事故の原因究明以前に「コンコルドの功罪」特に罪みたいな所に着目している記事が見受けられる。単なる航空機の事故なのにコンコルドそのものに「時代に逆らった異端児」みたいなレッテルを貼るのは「物事が失敗した時に、実は始まった時に失敗を知っていたと言う者が現れる」の典型ではないだろうか。
 人類は好奇心の塊である。好奇心を失った人類に未来は無い。
そのことを踏まえて、コンコルドは経済的に失敗したがヨーロッパが航空産業育成の中で得たものは大きい。コンピュータによる機体のコントロール、100名強を乗せてマッハ2で飛ぶ飛行機の就航、技術による新素材の開発、ロールスロイスの社運を掛けた(結果的に潰れたが)エンジン開発。どれを見ても現在のエアバス・インダストリーのエアバスに生きている。もし、ヨーロッパの取り組みが無ければ、航空機産業も現在のマイクロソフトのパソコンOSと同じように、アメリカが世界で一人勝ち=独占になっていただろう。
ボーイング社は必ずしも革新的航空機製造メーカーでは無い。世界の航空各社に機材を提供するが、あくまで航空ビジネスへの提供である。バスやトラックの供給は巧いがスポーツカーの開発は不得手である。
 人類の好奇心は全て経済活動で裏打ちされる必要は無い。人類は狩猟や農耕を通して自然から人類の富を得る手法を理解した地球上の最初の生物である。その富を人類の為に消費する。この構造がガイア仮説につながるのだが、この富の消費は必ずしも自然改造ばかりでは無い。数百年前にクラシック音楽が有るのは、富の再配分の結果ではないだろうか。
だれかがパトロンにならなければ文化は生まれない。そして、21世紀を直前にして我々は「文化=技術」の時代に生きている自覚が必要だろう。過去をロマネスク等と呼ぶように、現代を後の人から見たら「技術=文化」の時代と呼ばれるだろう。
 その時代背景を踏まえて、コンコルドは我々が後世に誇れる技術であり経済的に失敗した背景も含めて判断を未来に委ねるものである。人類の歴史の中で、後世に伝える文化、まさに20世紀の文化としてコンコルドは我々の胸に刻みつけられなければならない。
 とまぁ、僕なら、こんな「社説」を書くと思う。

アメリカはヨーロッパの片田舎
 翻って、ボーイングの製品に時代を築く文化があるだろうか。ダグラスのDC−8って旅客機がある。日本の高度生長時代国際線を飛んでいたからこの航空機の路線引退便は満席でみなが引退を惜しんだ。ジャンボ機にそんな文化があるだろうか。昔、航空ストの影響で東京への出張でJA8001のレジナンバーの日本航空が最初に導入したジャンボ機に乗ったことがある。同乗のスチワーデス(アテンダント)に「これ、1号機じゃないですか」と、こっちは感動を伝えたかったのだけれど、「そうなんです、私が生まれる前から飛んでるんです」ってトンチンカンな返答。
 日航のアテンダントの教育もいまいちだなぁ。だいたい「JA8001」に搭乗した者に搭乗証明の絵はがきくらい配ったいいじゃないか。「私が生まれる前から飛んでるんです」、30近いおめーの歳と比較すんじゃねぇ! と口から出そうになったのですよ。(あ、誤解が無いように言っておきますが、男女の別なく、「30近いおめー」であり、特に女性を差別したものではありません。僕を知る人は「Mintさんは25歳から30歳の女性に妙に優しい」と言います。思い当たるふしが有ります。女性が本当に人間として自分の人生を考えはじめるのが、このあたりの年齢。だから話していても人生の先輩として良く聞いてくれる。これが、22歳くらいだと「おやじがエラソウに」ってミエミエのオベンチャラ)
おっと、話しが銀河の外にワープしてしまった(smile)。
 アメリカの製品開発を良くみてみると、実は日本人が劣等感を感じている「真似文化」なのに驚く。成功している企業は「真似文化」、失敗している企業は「基礎研究」、その違いが正しく日本に伝わっていない。
 例えばマイクロソフト。経済的に成功したが、かの会社の技術に「独創性」があるだろうか。windowsはmacと言うよりゼロックスのパトロイアル研究所での研究のパクリだし、そもそもビルゲイツの原点であるBASICは古来のプログラミング言語。
IE(インターネット・エクスプローラ)はモザイクからのブラウザのパクリで、ネットスケープの成功を後追いしたパクリだ。
本当に、アメリカに世界の、地球の文化をリードする力があるのだろうか。実は日本は戦後アメリカを手本にしてきたが、実は手本は巨大なカントリーボーイなのだと気がつくべきである。

アメリカ型かヨーロッパ型か
 日本が常に世界標準と考えてきたものはアメリカ標準であった。ウインテル(ウインドウズとインテル)が世界のデファクトスタンダードになっていると信じている。言葉は悪いが戦後アメリカの「洗脳」によって、アメリカ追従の社会制度が確立してしまった。
国の歴史を客観的に見て欲しい。アメリカは建国200年を少し過ぎたばかり。ヨーロッパの国々は1000年以上の歴史がある。国家としての烏合集散の歴史も長い。かたや、中国4000年の歴史。
 日本だって、国となって1400年が過ぎている。
1000年以上も前のアジアでは国の成り立ちを書類にした時点で「国家成立」と考えて良いから、日本は日本書紀が書かれた頃を建国の年と考えるのが妥当だろう。
僕は現在国家として認められる要件は国土(国境線がはっきりしている)、国民(国勢調査またはそれに準じる情報)、主権(他国との外交交渉を行う窓口)が揃ったもとの解釈している。その意味では、国連に加盟しているが、国家としてあやふやな国は多い。
 限られた地域で国土(国境線)の引き直しを常に行ってきたヨーロッパと、自国の国境線を書き換えた(書き加えた事はあるが)ことの無いアメリカでは文化が違う。
 実は「日本の弱点は基礎研究の弱さだ」なんて声を聞くが、アメリカの一人当たりの生産性に比べたら、日本に同等のものを要求するのがおかしい。学者の経済を知らない愚痴でしか無いだろう。
「日本は工業製品を真似て作って世界に輸出している。アメリカの基礎研究に便乗している」なんてことも聞く。これも的を外している。基礎研究は金にならない。その部分をアメリカが担って、金になる工業化を日本がやっているのでは無い。金にならない基礎研究をやっているアメリカが間違っている。経済的目算がなくて基礎研究を行う愚を自ら省みなければならない。
 さて、ヨーロッパはどうだろう。文化としてF1が開催され、ツールド・フランス(これって、金銭的に成り立つ仕組みが影に有る文化なのだ)があり、パリダカ・ラリーがある。アメリカはプロスポーツが盛んだ。観客(入場者やテレビ放映権)から金を集めて興行する。ヨーロッパではもっと単純である。少数のプロモーターが全てを仕切ってしまう。場合によっては観客は観戦料を払う必要すらない。
 この違いが文化である。
 そこには「パトロン」が居て、全ては1パトロンによって成り立っている。何故なら財力が違う。
日本はどちらに学ぶのが良いのか。
いつものように、タイトルのコンコルドから全然離れたマトメになろうとしている(笑い)。実は、アメリカは奴隷制度で潤ったシッペガエシで、今、国民全体が奴隷化している国だって話しをそのうちしようと思う。マルクス、レーニンは正しい。ただ、100年先だったので人類の文化に受け入れられなかった。しかも、時代を受けとめて時代の流れを敏感に察してマルクス、レーニンの言葉を読む事が出来ない「党」が、全部ぶちこわした。国民は鋼鉄のような「党」にうさんくさいものを感じた。結局、「石頭野郎」が国民を追い込み、真実にたどり着くのを遅らせた。しかも、その責任は全然感じてない。「馬鹿なんだからぁ」
「搾取されるアメリカ」って書ける程「党」に知力は無い。
may force be with you

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2000.08.02 Mint