小樽への空母寄港に是非を考察

3年ぶりの小樽港空母入港
 表紙の写真も入れ換えたし。キティホーク迎撃はひと段落。まさか、あの淡い虹が写っているとは思わなかった。「出来るだけ絞りを絞って、遅いシャッタースピードで撮れば写る」ってアドバイスが的を射ていた。やはり、銀塩写真はマイナーになってきたので、オタク同士の助け合いが随所で感じられる。昔は、自分のテクニックは絶対口にしないものだった。
 それにしても、出来上がった写真を見ると手ブレが多い。気温が低かったこともあるが、自分ではガッチリとカメラを構えたつもりでも、朝方の暗いなかでの遅いシャッター速度でブレが出ている。1脚でも三脚を使ったほうが良かったかもしれない。
 つー、写真の反省はおいといて(笑い)。
 何故、この時期に商業港の小樽に空母が寄港するのか。これを、日米ガイドラインにかこつけて「小樽の軍港化」とか「戦時利用の調査」とか「核持ち込み反対」とかのスローガンになって反対運動が起こる。
 民主主義を尊重する立場から、別に反対運動が悪いとは思わない。それぞれの人の想いを行動に表したら良い。しかし、10月の小樽の港にゴムボートを浮かべて反対行動を表すのは行き過ぎである。これは、久米宏の言っている「パフォーマンス」でしかない。「馬鹿じゃないんだろうか」って意味を込めて。
 前回の寄港空母は引退間直のインディペンデンス。排水量は6万トン。今回のキティホークは排水量8万トン。商船と違い軍艦は昔から排水量(つまり、アルキメデスが唱えた風呂に浮かべた時にあふれる水の量)では無くて、その軍艦を収納する箱を想定した場合、その箱に水を満たした時の重さ、総排水量なので、必ずしも大きさ(高さも、大きさと言えば別なのだが)を表すものではない。
だが、写真でも確認できるが前回のインディペンデンスより「デカイ」。このあたりの比較は両方見ている者にしか解らないだろう。
 前回のインディペンデンスは「小手調べ」だったのだろう。実は随伴したモービル・ベイが小樽港の写真測量を行い、それが今回のキティホーク入港にも生かされているようだ。
 しかも、今回は表向きは「乗り組み員の休養」と前回と同じく金曜日の入港だったが、入港に伴う警戒は前回よりも入念だった。つまり、暗黙の「訓練」も行っていたのだ。

あきらかに訓練と思われるヘリの行動
 先に書いたが、入港を見届けると僕は小樽市の背後にある標高190mの「旭山展望台」に登り、あえて逆光の中で接岸から警戒ヘリの行動までを観察した。キティホークのものと思われるヘリは8機。そのフォーメーションは空母を中心にカウンタークロックワイズ、つまり左巻き旋回が基本パターン。
 ところが良くみると、入港した小樽港の北防波堤の先で高度30メートル(100フィート)でホバリングして風で海面に丸い輪を作っているヘリが居る。これって、「潜水艦発見」のヘリの行動と軍事雑誌にも書かれてる。そもそも、こんなのを見落とす今のマスコミって不勉強だと思う。探求型のジャーナリズムの姿勢が無い。定形報道のサラリーマン記者でしか無い。「この行動は訓練では無いのか」と取材する骨の有る記者は居なかったようだ。そもそも知識の無い人間には米軍の行動を読めない。「メ○ラ」が現地で取材してどうするってぇの。
 次に気がついたのが低空警戒の2機のヘリ。この2機は旭山からみてかなり下に見えるので高度60メートル(200フィート)程か。前後30mの間隔で南北に長い小樽湾をなめるように空母を中心に楕円形のフォーメーションで回っている。この2機は一方が撃ち落とされても任務を達成する。その訓練の為に飛んでいる様子だ。
 一番すごいヘリは小樽湾の上空300m(1000フィート)で監視している。これは空母の直上のヘリと違い半径1km程で(他のヘリは半径4km程のカウンタークロックワイズ)小樽湾を警戒している感じ。これが司令ヘリなのだろうか。
 前回は読売新聞のジェット機が空母の上空をよぎって写真撮影しようとして「空母の上空は治外法権なので、近づくな」と道警に言われた無線を傍受していたのだけれど、今回ワイドバンドレシーバーを家に忘れてきた(悲惨)。無線の会話を聞けばそれぞれのヘリの目的が明確になったと思うと残念である。

事実に基づいて議論をしようよ
 正直言って、招待した「伊藤」さんの思惑よりも反対派のほうが前回と比べて動員力があった。それは、説得力の違いなのだろう。反対派の説得力は解りやすい。がしかし、反対のための反対でしか無いのが残念である。
 有事の小樽の軍港化、これは負傷兵の収容も含めて、何処で線引きするのだろうか。中学生の頃に英語の塾として小樽港で通訳をしている人を先生に勉強していのだが、ある日小樽港に米軍の潜水艦が緊急入港することになった。たまたま、外国籍の船を訪問して生きた英語に触れようとしていたのだが、急遽埠頭に向かうことになった。もちろん野次馬で付いていく。埠頭の手前で浮上してランチを付けて米兵をおろすと、湾内で半潜水状態で出ていった。その間、潜水艦が目に触れたのは10分ほどか。
 後日、北海道新聞に小さな記事が出て「米軍の水兵が盲腸になり、急遽小樽港で上陸して入院した」とのこと。これに港湾労組が抗議の姿勢を見せているとのこと。そもそも、緊急事態の人道的措置が、労働組合の抗議を受けなければならないのか、当時中学生だった僕はその頃から労組が嫌いになった。石狩の砂浜に乗り上げれば良かったのか。港って機能は万民に開かれてこそ港であり、排除の有る港は港の機能を果たしていない。
 「有事」って言葉が物事をあいまいにしているのかもしれない。これは「戦争状態」とは憲法解釈から使えない用語なので造語したのだろうか。「平和でない異常な事態」が「有事」って意味なのだろうか。そもそも「従軍慰安婦」と同じで、後付けの言葉に思われる。その不明確な言葉を元に賛成だ、反対だ言っているのは何かおかしい。暗に「戦争」なのか、陽に「戦争」なのか、はっきりしなければ議論にすらならない。

「有事」とは「平和で無い状態」
 歴史に「もし」は無いと言われる。「もし」が当時の時代背景の中で語られるのでは無くて現在の当時の当事者が知らない情報も含めて判断を下し「もし」と言ってはいけないってこと。
 「有事」も同じだと思う。「治において乱を忘れず、乱において治を忘れず」まさに、「有事」は「有事」でない時に考え備えるもので、「有事」でない時に、念仏のように「有事になりませんように」と唱えるものでは無い。
小樽港に集ったいわゆる「反対派」に人たちは「有事」になることを回避する思いが強くて「有事」の臭いを嗅ぎ付け、出る釘を打っているのではないだろうか。
 平和運動ってのは「平和で無い状態」を潰していけば実現するって方法論なのだろうか。僕は決定的に違う。高邁な平和運動家と称せられる人は、「平和でない状態」が世界の何処かにあるからこその「平和運動」であり、平和運動が無くなるときが真の平和なのだと悟っているらしい。もっとも、ここまで読めている人は少ないのだけれど。僕はそれすら違うと思う。
「平和」と「平和でない状況」はシマウマの縞のように「今そこにある事実」なのだ。で、シマウマはシマウマたるために縞があるのであって、シマウマを白や黒にしてはシマウマでは無くなる。そもそも、シマウマの縞を無くすってワケワカメな運動が「平和運動」に潜んでいる「パフォーマンス」なのだ。シマウマがシマウマであることを認め、それを容認しながらも、さらに、極力小規模の「有事」に終わらせる。それが、真の平和運動だろう。
 「有事」が有ると考えて備えるか、「有事」が起きないように考えて行動するか。これは決してイデオロギーでは無いのがけれど、「有事がある」って論議は「仮定の論議」って言われる風潮が日本にはある。でも、世界では常に「有事」はある。そして、それを避けるために「有事」の種を摘むことに誰も成功していない。

外交と国防は地方分権できない
 小樽市の対応を非難する人が居る。そうでなくても幌延問題で足腰の弱った堀知事を筆頭に道庁の対応を非難する人がいる。振り上げた刀を何処に向かって振りおろしているのだ。
 地方分権が叫ばれているが、地方に移管できない、逆に言えば国に残される任務は外交と国防である。他は地方自治体に委せる国を構築するのが「地方分権」である。すべてを地方に委せるのでは無い。ここをしっかり認識すべきである。
 そのためには、外交と国防に特化した政府を作るべきだし、地方自治体が担う責務も今よりは範囲が広い。
 革新とおぼしき人が「市長は断固拒絶すべきであった!」なんてインタビューで語っているのを見ると「このシト、頭悪いなぁ」と呟かざるを得ない。向かうべき相手が違うだろうが。その事に気がつかないのは、勉強不足なのだ。地方自治体と国が「国防」のテーマで対立したところで地方自治体には手も足も出ない。だって、専権事項では無いのだから。
 空母キティホークの民間港(なんて区分けがあるとは僕は思わないが)寄港は、国防上の問題なのだ。それにNoを唱えるのなら、国会に向かうべきだ。小樽市役所や北海道庁に鉾先を向けるのは自らの無知蒙昧をさらけ出しているのだ。恥を知れ。

今回の一般公開の参加者は7万人
 空母フィーバーの前回とは比べものにならない少人数と言って良いだろう。それに過激に反応した警備当局にはごくろうさまと言いたい。前回と大きく違うのはマイカル・小樽の有無だろう。いくら姑息に港の青空駐車場を閉鎖して「町の一般(有料って意味ね)駐車場をお使いください」って言っても、マイカルの駐車場に車が入り、空母見学の後はマイカルで遊んで帰る。それが定着するのは火を見るより明らかだろう。
 まったく小樽の商店街は無策であった。7万人は勝納埠頭での局地戦に終わってしまった。前回とは大きく地の利が後退したのだ。一緒に写真撮影した人から出た話しだが、空母見学の列に合わせてテントの露店を建て、そこで入港の写真を売る予定が、見学ルートの変更で露店を建てても営業出来ないとかの事態が発生しているとか。
 ま、何を考えているのか解らない脳天気な北海道庁だが「観光を目玉に」って最近叫んでいる。であれば、7万人対策として「観光」のをキーワードに何が出来るのか仕掛けても良かったのではないだろうか。イデオロギー関係は駄目ってのであれば、底の浅い「観光」である。そもそも、古都京都にしても仏教ってイデオロギーを残している訳で、一方「空母で観光」も、本当に観光で「喰っていく」ならば検討課題であろう。「自然と温泉と湖」路線では人間が介在する余地はなく、それ故にリピータが期待できない。だから、どうするって議論を空母観光をケーススタディに進めれば良いと思う。
 やらずブッタクリの温泉宿では無いのだから、観光もヒューマンネットワーク(HT)が必要なのだ、それを補完するのがITなのだ。がしかし、昨今のGISに代表されるように「情報さえ喰わせれば人は来る」みたいな脳天気が多すぎる。今回のキティホークは、運河観光で喰っている人々に、更成る観光カードだったのだが、黙認無視だったようだ。それでは、所詮、小樽の観光産業は一過性で、それが消えた(もしくは、本州資本に乗っ取られた後は)食い扶持を失った小樽はまた衰退していかざるを得ない。
 空母キティホークの警備ヘリを観察した小樽旭山展望台には小樽の名物市長、安達市長の胸像がある。今回の空母入港を安達市長ならどう考えただろうか。そんな、歴史の「モシ」をシミュレートしてみてはいかがだろうか。

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2000.10.17 Mint