北海道館のインパクのテーマは「アウトドア」

堺屋太一長官の遺産、インパク
 ま、税金の無駄使いかな。
インターネットとかITとか、言葉は違うが1985年に日本電信電話公社が民営化されてから通信自由化の時代に何か新しい事があると「バスに乗り遅れてはいけない」のかけ声の下、多くのブームが有った。例を上げると、CAPTAINであり、JUSTモデムであり、パソコン通信ではなかったのか。それぞれ「これからのメディア」と言われながらその寿命は短かった。
 実は今のインターネットすらこの流れを避けられない。パソコンの出現以来、パソコンを使ったメディアはdog ageで変革している。そこには手先の道具であるものの天下は無い、メディアは人間が道具を用いて自らの肉体の限界を越えたように、精神の限界を道具によって越える媒体なのだ。知識を脳味噌に蓄積するのに限界があるのならば、外部に記憶装置を求め、必要に応じて取り出すことが出来れば便利である。それがコンピュータが提供するデーターベースである。そのデーターベースに自由にアクセスできるためにネットワークが必要になる。この「データーベースとネットワーク」がドッキングしたのが今のインターネットのhttpサービスだろう。このボードもそれを利用している。
 2001年1月1日に始まった「インパク」は、インターネットを利用した博覧会への挑戦である。その企画は限りなく無責任で、参加団体は限りなく「おつきあい」らしいのがこの一か月を通して解ってきた。

北海道は「アウトドア」でエントリー
 北海道イコールアウトドアって視点は「東京馬鹿の視点」だけれど、頑張って欲しい。
がぁぁぁぁ。どうもなぁ。情報の更新は少ないし、他のホームページで入手可能な情報ばかり。双方向を狙った掲示板も一旦「検閲」(国が国民の情報を事前に知り、公開の可否を判断する事)されて掲載される。アウトドアの当事者達のページも無ければ僕が知っている市町村でのアウトドア活動も掲載されていない。
 そもそも北海道庁が「アウトドア」なんてパビリオンを建設出来る程情報を持っているとは思わない。だから必然的に税金の無駄使いとなる。金は有るが能力が無い所に金を使うのは効率的とは言えない。非効率な事をやっているのだから「税金の無駄使い」もっと的を射た言い方をすれば「精勤をドブに捨てている」。まったく、最近の北海道庁はどうなってるんだろう。北海道新長計(新規長期計画)でのスタンドプレー役人が糾弾されて、誰も何もしなくなった。この遠因である横路孝弘元知事の責任は重い。ましてや、組織の中から生まれた堀知事の元では、「遅れず、休まず、仕事せず」の役人根性丸出しの構造がまかり通っているのだろう。それでは駄目だ。
 前にも書いたが、昔から僕は「北海道の5悪」をリストアップしている。その順番は大して意味を持たないが、以下の5組織である。
1)北海道庁
2)北海道拓殖銀行
3)北海道大学
4)北海道新聞
5)北海道電力
これらの企業は「北海道」の冠を着けるに値する貢献を北海道にしているとは思われない。僕からは名称に恥じるとしか見えない。
がぁ、その席の一つが空いた。北海道拓殖銀行の解散である(「倒産」って表現は少し違うと思うので「解散」と称する)。と言う事は席が一つ空いた、ここに座るのが何処の組織か? 意外と競争は熾烈(笑い)である。僕はここに「電通北海道」を入れたくなった(後述)

僕のページも申込してリンクされている。
 この事態を(おっと、企画をかな)知ったのは2000年の11月。プライベート参加の募集が有ったので早速申し込む。ちなみに、リンクを辿って本丸の政府のプライベートページ登録も申請した。この話しは別項にしてここでは北海道「パビリオン」の話し。で、メールの返事が届いた。「郵送で申し込んでくれ。書類は送る」とのこと。自宅に申込書が郵送で届き、記載して送付、しばらくして「ページの原案をここに送ってくれ」ってメールが届く。おやぁ? 送付先の電子メールアカントは「電通北海道」じゃないか。なるほどそのような仕組みなのね。
 ここでキレれては貴重な体験を逸する。「電通北海道」にコンテンツを送る。ちなみに、事務処理の問題なのだろうが、「コンテンツ(html)を送れ」てのは、アウトドア志向の人々に矛盾するんでないかなぁ。自転車で212市町村走破を目指す人は結構居る(一桁だが)。その人達がインターネットで情報を伝えている例は少ない。僕の知る限り僕を含めてあと1名しか居ない。
 つまり、アウトドア実践人に「htmlを送れ」てのは事務処理優先、方針無視の愚考だと思う。そもそも、パソコンとアウトドア活動に接点なんか無いだろう。両方を「and」条件で結ぶこのパビリオンは現実から遊離しているのだ。僕のように「毛色の変わったシト」しか参加出来ないのだから。
 「情報」がキーワードのインパクの企画に、大手ゼネコンの体制で取り組む。これがボタンの掛け違え。「パビリオン」って表現もあの糸井しげ里が付いていながらなんと安直なネーミングだろう。せめて「プラザ」とか「パーラ」とか大手ゼネコンへの公共事業発注を連想させないネーミングが無かったのだろうか。

変わりつつある「アウトドア活動」
 僕のギターは「素人に毛がはえてたよりも、素人から毛を抜いたよう」なテクニックなのだが、30年以上も前からソロで弾ける曲がある。これがベンチャーズが起こし、奥村チヨが歌った「北国の青い空」。前にも書いたが僕は松山千春には好きな面と嫌いな面があるのだけれど、「大空と大地のなかで」のような北海道らしい曲は好きだ。北海道を表すキーワードってのを僕はこのあたりに感じる。布施明の「霧の摩周湖」も合格かな。
 意外と高齢者は元気で、温泉はアウトドアのアフター機能として使える機能なのだが。と常に思っている。「北海道」ってキーワードは「ふたこぶラクダ」なのだ。学生時代に訪れるか定年退職してから訪れるか。たまに「子育てに北海道」って人も居るが、これはマスコミ向けの希少価値。どうも、企業の管理職クラスの人間はマスコミから情報を得るようで、本来のマスコミの機能である「希少価値情報のデストリビューター」って本質を忘れているようだ。
 そんなこんなで僕は北海道にコダワッテいる。だけど「北海道=過疎地=公共事業」って人達が多いのが実情だ。それでは駄目なんだって姿勢を5悪カッコ1席空席状態カッコ閉じ、の一つである「北海道庁」が打ち出してもらいたい。と、期待しているのだが、ま、ラマンチャ男「見果てぬ夢」だろうか。北海道庁が「少し変われば」、「北海道は随分変わる」と思うのだけれど。

自然から学ぶ姿勢がアウトドア
 インパクに話しを戻そう。上から割り当てられたテーマで運営している気がしてならない。この場合の上とは政府かもしれないし電通東京かもしれないのだが。インパク全体で電通に支払われた金額はいかほどなのだろうか。何でも素人受けするflashで書いて、これで「見栄え優先内容無銭」のコンテンツを捨てるほど生み出している。
 北海道庁もこの企画に電通北海道へ「丸投げ」って体制で対応している。少し独自色を加えているのが「アウトドアインストラクター認定制度」へのリンクだが、これとて閉会した検討委員会ネタの再利用でしかない。アウトドアに興味を持って訪れた人には「こう決まった」だけのなんとも味気ない双方向性の無いコーナー。
 実は北海道庁には「アウトドア」で忘れたり、落としたりしてはいけない施設がある。「道立少年自然の家」である。3年程前に北海道教育庁の仕事として受けたのだが、このコンセプトの素晴らしさと超知られていない事態に愕然となった。こんな施設が有ったことは僕も知らなかった。利用の低迷と赤字経営からの脱却を目指して旧来の「学校授業の延長線から、ファミリー利用へ」とのお題目を掲げたが、具体策は皆無であった。そこで文部省のこの種の施設を統括している「代々木オリンピックセンター」のように、インターネットのホームページで広報しようと企画された事業に参画の機会があった。実は、この施設のコンテンツは全部僕が書いた。特に「森少年自然の家」と「常呂少年自然の家」については単身赴任(あ、森は家族で行ったかぁ(笑い))で取材を行いコンテンツを作成した。残念ながら「情報系」のコンテンツなので「見栄え」は悪い。
 おっと、ここを紹介して実際に見てもらわなければ。その成果はここにある。  縦割り行政の典型なのだが、ここへのリンクは「パビリオン」には無い。
 さて、この仕事を通して僕が学んだのは、学童教育の御旗に「たくましく生きる力の養成」のキーワードが有り、お題目だけで具体的実践方法の提示が無いこと。それ故に教育の現場は混乱していること。実は我々は「教育者」に「独創の狩人」みたいなイメージを期待しているのだが、実態はデモシカ先生に毛が生えた程度である。教える側もそれそれの世代が暗中模索のなかで「教えられている」のである。このあたりは、「いま熱く青春」佐藤文則、沼沢博美著、民衆社刊を読むと参考になるが、教育の現場は特殊な隔離社会になっている。評価が高い「実践記録」を我々一般人が読むと「あほかぁ!」と思ってしまう(某筋からの示唆で「馬鹿」の用語は自主規制している)。
 宝塚の「ベルバラ」以上に教育の現場は隔離病棟になっているのだ。ま、その話しは追いといて。
 実は「アウトドア」ってのは数有る趣味の中で「受け身」の性格を持つのだ。多くの趣味は自分で主体的に参加する。例えばテニスがしたければテニスが出来る施設に行けば良い。娘のクラブ活動であったバスケットをしたければ体育館に行けば良い。
だけどね! アウトドアってのは気象条件も含めて相手まかせである。自転車の項目で書いたけれど、僕が植村直巳さんのように「単独行」するのは自然を受けとめる許容範囲が人によって違うってことを知ったから。僕は雨の中のサイクリングは貴重な体験なのだからチャンスが有れば実践したいと思う。が、仲間が居ると「今日は天気が悪いから止める」となる。雨が降ったり、槍が降ったり(降るかぁ?)、がアウトドアである。そこで学ぶのは自然と共存することである。
 あれ、ここの項だけ長いな(笑い)。
 アウトドアってのは「満天の星」だけの恵まれたキャンプでは無い、僕も経験したのだけれど、小樽の塩谷の小屋で沈む夕日と降るアラレ、そして過ぎた後の満天の星そんな移り行く自然をサラリーマンの悲しさ「週末の一瞬」だったが経験した。
 アウトドアは「自然からの手ごたえ」である。それを促す「パビリオン」になって欲しい。(少年自然の家の件はメールしておこうか)

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2001.03.20 Mint