水産高校の船が衝突沈没時に15番ホール

まったく不幸な事件と言うしか無いのだが
 先のJAL907便とJAL958便のニアミスについて書いているうちに、ハワイ沖で米国の原子力潜水艦と水産実習中の舟が衝突して、水産実習船が沈没し、乗り込んでいたうちの9名が行方不明になっている(2月13日現在)。
潜水艦と一般艦船の接触事故は珍しく無いのだが、日本のしかも高校生を乗せた研修船が事故にあったのは初めてである。海を航海する時に危険なものは何かと言えば、多くのヨットでの単独世界一周とかの書籍を読むと、やはり海上衝突の危険が一番に出てくる。
 多くのヨットの航海の失敗例は本人が助かった場合の情報によると暗礁乗り上げとクジラとの衝突である。今回はこのクジラとの衝突と同じように海中からの衝突によって引き起こされた。
広い海原でニアミスして衝突する確率は低いのだが、それにしても偶発から衝突に至るプロセスは不幸としか言いようが無い。もちろん、米国の責任がこの「不幸」でかたずけられるものでは無い。
 このような事態が発生したときに何時も問われるのが「危機管理体制」である。常時に非常時に対応する体制を整備しておかなければ、もちろん非常時に役にたたない。毎日起こることでは無い故に、常日頃の準備が大切なのだが、15番ホールからまだプレーを続けたってのは、一国の総理大臣として無責任のそしりを受けてもしかたがないだろう。

想定外にどのように対応するか
 危機管理と言うのは「全て想定してマニュアル化している」って事態のさらに先を読む行動である。安全管理が「全て想定して対応を事前に考えて置く」のなら危機管理はその先に位置づけられる。安全管理が完ぺきだから危機管理は要らないとはならないのである。
 もちろん水産練習船に「急浮上した潜水艦と衝突した場合」なんて事前に想定されるマニュアルは無い。無ければどのように対応すれば良いのか。この場合は外部からの援助が最も必要な対応と言える。既に安全管理の範疇を越え、しかも当事者として被災しており自力では何も出来ない事態に巻き込まれているのだから。
 これと同じ様な事態を我々は阪神大震災で経験しているはずだ。当時の村山総理大臣は国会答弁で「なにぶんにも早朝の事もあり、未曾有の事態であり対応が後れたのには情状酌量の余地がある」(意訳)との発言をして顰蹙をかった。そして、今回の森首相には学習能力が無いのか同じてつを踏んだ。
 最も失言度が高いのが「あれは事故でしょう。事故を危機管理するなんて変でしょう」って馬鹿丸出しの発言だろう。米国の潜水艦と日本の艦船が衝突しただけで既に外交問題である。政治の仕組みの中では、どんなに地方に権限を委譲しても最後に残る政府としての機能は国防と外交であると言われている。その外交に職務怠慢なのは許されないだろう。

ゴルフだからいけないのでは無い
 アメリカの大統領はSPの持つ核ミサイル発射の司令を出すアタッシュケースから逃れられない。常にこれを携行したSPが付いている。総理大臣にはプライバシーが無いのかと言われたら「無い」と言うしか無い。それがいやなら総理大臣になんかならないべきだ。また、対応策は山ほどあって、副総理大臣を任命して対応を計れば良い。自分は指示を出せば良いのだから。
ここでまた失言の掲載「後ろからプレーしている人のことも考えてプレーを続行した」、森さんよぉ、あんたは週末ゴルファーのサラリーマンなのか。そんなにゴルフしたければ総理大臣辞めれば済むじゃないか。さっさと辞めろ!

自らの非に気が付かないのは最低
 どうも歴代の早稲田大学弁論部(これって詭弁部と名前替えたら?)出身首相に見えるのは他人の示唆を理解する能力に極端に欠けることだろうか。海部首相も「何度言っても解らないシト」だった。経験から身に付いた社会人としての品性が無ければ自分中心の世界しか無く、特に森首相の失言には「自分が大事」って餓鬼のような稚拙さが目立つ。神の国発言も、結局自分がいかにこの団体を理解しているかのリップサービスで出たものだ。「支那事変の頃生まれた」も死語を使って古さを演出しようってレトリックが滑ったものだ。
 結局「自分がかわいい」だけの人でありその人に人徳を求めるから「森パッシング」になるのだ、これ以上森を叩きたく無ければ視界の外に出せば良い。総理大臣を辞めれば良いのだ。そんな事は100も承知200もガッテンの与党が何故出来ない。
 それは、公明党も保守党も自民党的政治体質に隷属しているからだ。どちらも倒産直前の地方信金が都市銀行と吸収合併に近い提携策を選択したが、提携した都市銀行も同じ穴のムジナだったってことだろう。いや、それは自民党に失礼な解釈だ。提携した都市銀行には全然別の企業風土が有ったので愕然としていると言ったほうが良いだろう。

政治は混沌化、扇千景首相だって有り
 さすがに公明党も切れたようで「森退陣」の声が公明党内部から出てきた。本来なら、公明党が森退陣を叫ぶ前に連立解消を叫ぶのが筋だが、なんだかなぁ、自民党的企業風土に侵されてしまったのだろうか。
 保守党だって黙って見ている必要は無い。自民党の総裁選挙があるとして、ここで決まるのは小泉純一郎だろう、でもこの自民党のシナリオで森退陣が決まったら国会での首班指名選挙に向けて扇千景が「私が出るので自民党さん、公明党さんよろしく」と言って回ってみろ。
「離婚した男に女を幸せにする政治は出来ない」とか「田中真紀子さんが言ってた変人よねぇ」とかかき回すのだ。そんなドンキホーテをと思うかもしれないが、今年の参議院選挙で保守党がそれなりの数を集めることにより「野党」としての地位を確立すればこれからの政権のキャスティングボードを握ることになる。大きな政治の流れは旧社会党的体質を脱皮しながら2大政党の一翼を民主党が担うのは間違い無い。方や自民党は数の論理で防戦一方である。このような戦国時代に一番フットワークが良いのは保守党と自由党なのだ。共産党はフットワーク良くするためにアディダスの靴にはきかえている途中だし、社民党は民主党高速バスから振り落とされた人間を拾うだけの戦略しか無いのだから。
 扇千景と田中真紀子のツーショット(ま、考えられないと言うか、見たくないと言うか)で参議院選挙を戦えば、保守党は「恐い小沢一郎から脱した女性の党」のイメージを作れる。なんせ国民の半分は(少し過半数を越えるが)は女性なのだから。
 ま、神崎あたりにこのような戦略があるとも思えないから、無理かなぁ。
 とにかく今の日本を悪くしているのは一文字名字の奴ら。「森」、「堀」、「桂」、もうどうにかしてよ。

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2001.02.12 Mint