大空のサムライ、坂井三郎氏の死を悼む

坂井三郎氏の悲報
 しばらく亡くなったことを知らなかった。僕が知ったのは1ヶ月程前の出張先の北海道の帯広市の食堂だったと思う。あそこはOCTVって有線テレビあるので、たぶんNHKの衛星放送だったのだろう。番組と番組の間を埋めるような青空の環境映像に「この大空を愛した坂井三郎さんも昨年秋にこの世を去った」ってナレーションが流れた。仕事関係モードの状態だったので、右の耳で聞きながら左の耳では顧客の話しを聞いてる状態ではあった。
『ついに、大空のサムライの坂井三郎氏も逝ったか』と僕は1年遅れて悲報に接した。
 最初に坂井三郎さんの著書に出会ったのはサラリーマン生活が始まった昭和52年(1977年)頃だろうか。コンピュータ技術の黎明期で大型汎用コンピュータの新製品の技術講習会が東京で開催されて、出張で良く出かけていた。入社2年目くらいの若輩が「公費」(会社の金)で出張できたのは、当の委託計算センターが直面するユーザの自社導入(委託では無くて、自社内にコンピュータ部門を作ってコンピュータを導入運営する)に対抗するために若手に勉強させたかったからかもしれない。
 主張先はNECの新宿ACOSセンターが多かった。いつもは地下街を通る新宿で、なにげなく地上を歩いていると小さな本屋に出会った。出張の夜はホテルで読書と決めていたので、手持ちの本を読み終えたのでここの本屋に入る。なんと、ここは戦記物オタクの本屋だったのだ。その中で「坂井三郎、大空のサムライ」に出会った。ここから僕の戦記ものオタクが始まったのかもしれない。
 それまでも柳田邦男氏の「マッハの恐怖」等で飛行機オタクしていたので第二次世界大戦の航空戦には興味が有ったのだが当時「光人社」の本を購入する程戦記オタクでは無かった。
 今のわが家の本棚には光人社の本が多数を占めている。本棚の上から5段くらいはドキュメンタリーの戦記ものだろうか。それに比べて、架空戦記物は既に古本屋に売って1冊も残って無い(笑い)。

坂井三郎氏の最後の著書
 「大空のサムライ」、「続、大空のサムライ」は何回読み返したか忘れてしまった。「大空のサムライ」のほうはカバー表紙も無くしてしまった。最近はbook・offが主流で本屋で新刊の棚なんか見ないのだけれど、たまたま戦記コーナー(これって、最近はビジネス書と並んでいる)で「坂井三郎の零戦(ゼロ戦)操縦」を見つけた。パラパラのめくったらこれが最後の著書。ただし、追悼編集に近いもの。
 「大空に訊け」って週刊プレイボーイの連載をしていた担当者がまとめたらしい。いちおう「編者:世良光弘」となっている。たしかに、一部は自筆が入ってる。まさか、あの「魔の週刊プレイボーイ人生相談」を坂井三郎氏が担っていたとは。
 30年も前から週刊プレイボーイの人生相談を担っている著者は数年で他界するって都市伝説が有る。今は名前を思い出さないが岡本太郎氏の頃からささやかれたジンクスだ。たしか、梶原一騎氏とかもその鬼門に居たと思う。野坂正如氏がそれに気がついて、急遽降りたってことも昔有ったような。その轍を踏んでしまったのだ。
 で、結局本屋では購入せずにamazon.comで購入した。大きな理由は最近の本の値段の高さである。もはや現金をカウンターで出す気がしない。クレジット決裁だから買う気になる。5,000円札出して2,000円なにがしのお釣りの時に「映画一本より楽しめるのかぁ」と叫びたくなった人は多いと思う。映画は誰かと見に行くので感想が共有できる。本にはそれが無い。にも係わらず高邁な値段を要求されてはbook.off派になってしまうのだ。
 享年84歳。NHKの「プロジェクト・X」で扱ってもらいたい坂井三郎氏の戦後。これは最後まで公開の場に出ないのかもしれない。戦後全ての価値観が逆転した時に坂井三郎氏は何を思っていたのだろうか。実は僕が坂井三郎氏のお大空のサムライ以下の数々の著書を読んだ後に思ったのは、本当に知りたいのは坂井三郎氏の戦後。ここが知りたいってことだった。残念ながらそれを知る機会は無くなった。「朝まで生テレビ」で坂井三郎氏を目にした時に、場違いな事が誰の目にも明らかだった。にも係わらず出演された氏を見て「終焉が近い焦りかなぁ」とひどく寂しく思ったものだ。「朝まで生テレビ」は蝋燭の火が消える直前の輝きだったのだろうか。

坂井三郎流、任務達成と個人
 僕が「大空のサムライ」から得た物は個人としてはどうにもならない時代背景の中で力一杯生きる姿勢だ。坂井三郎氏は終始「戦争の是非」には触れない。それを自分が生きた時代背景と受けとめる。そこは個人では努力のしようの無い部分。がしかし、そこで自分なりに頑張る。その姿勢を人生を通して坂井三郎氏は全うし続けた。
 実は相当昔に書いたと思うのだけれど、スポーツと体育の違いがまさにここにある。本当にどうしようも無く広義な解釈なのだけれど、戦争で兵士になるってのもスポーツの一部なのだ。スポーツの哲学は「同じルールで戦う」って一点に絞られる。人間はルールの土俵が有ってこそ理解し合えるのであって、その意味でルール、つまりスポーツの精神は個人の生死を越えた哲学にまで西欧ではなっている。日本は体育である。「勝つために手段を選ばす」つまりルールなんか「道(どう)」の前に霧散するのだ。何でも「道」、柔道、剣道なら解る、書道、茶道って、なんなんだぁ..。
 結局精神風土である。日本人が日本の風土で競うのならば道(どう)も良いだろう。しかし、異文化は暗黙の「日本の風土」は伝わらない。伝わらないと言うより利己的な孤立主義にすら見える。
 それを排除するのが明文化されたルールの土俵である。この理解に日本人は国土と民族の暗黙の了解の文化風土なので疎い。
 与えられた環境で最大限努力する。それが大空のサムライである坂井三郎氏の哲学である。与えられた環境でそれを「こなす」とは明らかに違う。氏の著書を読むともっと深い部分が解る。「生きて再度戦いに挑むことは兵士の使命」。これって、「死んでは何も残らない」って生への執着。これこそが兵士の務めと悟っている発言ではないか。
 軍人訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」なんてのはルールでは無く「道」の精神風土だ。戦争なのだから兵士は戦う機会を多く得て、何時か勝たねばならない。その意味で坂井三郎氏はお大空のサムライの中で「引き分けて再度戦いの機会を持てば良い。勝負は勝つのが目的だが、引き分けても良い。がしかし、大空の戦闘では負けは次回が無い。負けは最悪と言うより終わりなのだ(意訳)」と言ってる。
 兵士には任務がある。その達成は「命を徒して達成する」ものだ。がしかし、命を落としてはいけない。
 「決死」と「必死」の違いを坂井三郎氏は「大空のサムライ」で書いている。死ぬ事を覚悟するのと必ず死ななければならない事の違いである。日露戦争の頃の話しだが艦船決戦に向かって「総員、死にかた用ぉ意」と号令をかけた艦長が居る。死を覚悟して戦えってことだ。
 特攻は「死んでこい」って必死の論理だ。前に書いた繰り返しになるが、そもそも「特殊攻撃」を「特別攻撃」に置き換えた日本語の美学が「特攻」って用語にある。兵法の邪道であるから「特殊」。それを、選ばれたように飾るのが「特別」。若者は「選ばれた」と思って死んでいったのだ。実は兵法の邪道であった「特殊攻撃」の略が「特攻」だったのだ。
 だから、「犬死に」なんて誹謗がなされる。「騙された」って用語は使いたくないが、「犬死にを命じた軍部」と「一途な若者」の結果が「特攻」だ。
 坂井三郎氏は「死んでこい」と言われても死ななかった。行間を読むと、下士官兵故の海軍の理不尽さを批判している。しかも、特攻は現場の士気を著しく下げたと書いている。まさに、大本営発表に日本人は欺されている(今も)のだ。が、僕は坂井三郎氏の「任務」は、「生きて虜囚の恥を受けず」では無くて、野坂昭如氏の「作家は時代の代弁者でなくてはならない」って部分のとおり、まさに、生きて後世に伝えるために選ばれた宿命を背負っているのだろう。だから「生き残った人間」として語って欲しい事が山ほどあるのだけれど、それは今では叶わない。


「大空のサムライ」を生きる力の教科書に
 最近考えるのだけれど「生きる」ってことを伝える方法って有るのかなと思う。黒澤映画に同名のものがあるが、このことに意識の無い人には伝わらない。
 僕は最近「生きる力」は「倒して得られる」って感覚を得てる。つまり、カエルを捕まえて尻からストローで空気を送り込んだり、昆虫を捕まえて標本にしたり、自分が他の生物の生き死にを握ってるってことを体感させることにより「生きる」ってことが解るのではと思う。
 その意味で坂井三郎氏の「大空のサムライ」には示唆する所が多々有る。変な教科書作るより理不尽な軍隊で自己を研鑽した坂井三郎氏って観点で教科書を通して教育の土俵に上げてもらいたい。昨今の教育は「生きる力を育む」ってキーワードらしい。「頑張る」ってことがどれほど大事かを学ぶ事が大事と思う。
 『双方で互いの戦闘機の背後を取ろうとグルグルまわっていると遠心力で血液が下がって視界が失われるほど苦しい。自分が苦しい時は相手も苦しい。同じ苦しみなのだが止めると負ける。負けないためには「頑張り」である。「負けないぞ、頑張るぞ」って精神で生き抜いてきた』
 蘊畜のある言葉だ。諦めず頑張る精神、これこそが生きる力では無いだろうか。藤岡琢也,氏の主演映画「大空のサムライ」のプロローグで坂井三郎氏は「大空のサムライとは私の事では無い。空で戦った多くの敵味方を問わないパイロット達のことなのだ」と述べている。死が日常の戦争、しかも個人技であるファイター(戦闘機)パイロットとして、坂井三郎氏は死を直視しながらも、生もまた見いだしていたのだろう。
 僕は社会人になった頃に読んだので、その後の物の考え方に影響を受けた。それは1930年頃からの日本の戦争への道の研究にも結びついたし、歴史の勉強は学業では無くて生涯教育に位置づけられるとか、得る事も多かった。
坂井三郎氏の冥福を祈るとともに、多くの「大空のサムライ」に感謝したい。

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2001.09.04 Mint