マイカル小樽に行ってきたぞ

バブルの微塵も無いのだが
 嫌いだったんだよねぇ、マイカル小樽。これってまったくバブルの象徴でしょう。アメリカのように大きなショッピングモールを作れば人がくるって発想には無理があるのですよ。何故なら日本は古くからの人情につながる商店街が有り、これを壊すことは許されないのだから。小樽市がJRの南築港駅の跡地に税金を支出してまで巨大商業地を作るのは既存の商店街の否定につながる。にも係わらず実行するのは何か「知恵が無い」と思う。
 そもそも行政の収入は地元の商店街の納める税金のよるのだ。加えてサラリーマンの地方税なのだが、それを活性化してこそ地方自治体の使命を達したことになる。外部からの資本流入が地場との共存にならなくては、民間企業で言う「収入のパイのすげ替え」になってしまう。自分の出身地なので長く見守って来たが「小樽運河」に対して小樽の人の意識改革にはメチャクチャ時間が掛かった。そもそも港湾ってのは観光資源なのだって事に小樽にしか住んだ事の無い人間は解らなかったのだ。同じ事が各地の港町の体質として言える。函館、根室、稚内なんか同じ感覚だ。
 小樽マイカルはバブルの落とし子なのか、これを見ないでヒョーロン垂れてることは僕には出来ないので、そろそろ行ってみるかと思い立った。マイカルの破綻以降どんな解決策が有るのか実地観察に行った。

そこそこ「いいじゃん」マイカル小樽
 札幌から行ったので1号館の駐車場に車を駐める。ここから4号館のSATYまで結構距離がある。で、最初に行ったのはお好み焼きの「風月」。とりあえず、腹ごしらえってことになる。ここのソースは絶品だと娘が言うのでそうかなぁと思ったのだが、やはり「絶品」である。こんな店舗を確保出来たってのはマイカル小樽はすごいと思う。
 腹がいっぱいになったので、ここから2号館以降に向けて歩き始める。ホテル・ヒルトンの辺りではデッキに出てヨットハーバーを目にすることが出来る。
 子供向けの遊園地も有る。最後はSATYにたどり着く。実はその先の「南樽市場」とダイソーの店舗まで駐車場を越えて向かう。ここまで歩く事1km以上かなぁ。でも南樽市場は観光化してなくてここに市場の原点を感じだ。仙台の駅前の朝市(今は無くなったのかなぁ)と同じく庶民のエネルギーが「市場」だ。ここにはそれが有ると思う。
 連休後半の日差しが暖かい日だったのでそこそこの人出だったようだ。ただ人が賑わっているのは北海道地場のSATYでは無くて、逆に破綻したマイカルの店舗側に人の賑わいがある。「小樽よしもと」は通路が歩けない程人の滞留がある。売店もひっきりなしの売上がある。屋内遊園地だってそこそこの家族連れで賑わっている。はてはて、破綻したのはどっちなのか。

結局、商店街作りは相乗効果
 札幌でも各地でフリーマーケットが盛んだ。特に冬は会場が確保できないので春先から秋までがシーズンとなる。5月4日には西区役所、北区屯田イトーヨーカドー、翌日は手稲区鉄北小学校横と出かけてきた。実はフリマで何か買おうと思ってはいない。そこに何が出品されてるかに興味が有るのだ。その値段がいかほどなのかも興味がある。
最近のフリマは婦人衣服中心でそこに集う出品者の服装がこれまた他のフリマで仕入れた服なのか、以外とセンスが良いので驚く。まさに服のセンスの交換会の様相を呈しているのだ。
 しかし、このフリマの効果は別な所に有ると思う。人の流れの発生である。残念ながら西区役所横のフリマでは無理なのだが、例えば北区屯田イトーヨーカドー駐車場でのフリマではイトーヨーカドーのテナントのパン屋で軽く食事。フリマ起因の600円がこのパン屋の売上になる。翌日の手稲区でのフリマでは朝食兼昼食で1300円が西友手稲店のテナントの売上に貢献した。
 実は商店街もその原点は「人の流れの中心」なのだ。「大草原の小さな家」のオルソンさんの成り立ちを考えてみよう。何もない荒野に入植した人々には強い信念が有った、それは宗教である。アメリカは実は宗教無くして存在し得ない国なのはピューリタンがヨーロッパから大西洋を越えて移住した歴史から解ると思う。そのアメリカの手法を日本が持ち込んだのが「北海道開拓史」なのだ。だから、北海道の開拓の歴史にキリスト教(大ざっぱにくくりますが)が果たした例はいとまが無い。明治以降最初の女医である「荻野吟子」、「有島武夫」、多くの人達が開拓の精神をキリスト教に得て荒野に向かった。

オルソン商店は商店街の原点
 日本の歴史は「農村は貧しく悲惨にしておく」、そして工業社会の労働力のダムと考えていたのだろう。だから、男子は兵隊要員、女史は「生めよ増やせよ」となってしまったのだろう。でも、その思想で荒野は開拓出来ないのだ。「開拓従事者」って二面性が有る。一山当てたくて開拓に従事する者、何処にも行き場が無くて流れ着いたもの。日本が旧満州地区を開拓する時も、ブラジル、ペルーへの移民も同じ内容だったと思う。
しかるに、北海道においても同じである。結果「資源搾取型」のビジネスプランが成功した。石炭に代表される北炭の成功である。これを正面から捉えたのがNHKの朝ドラの「すずらん」であった。時代が変わるってことはNHKがこんなドラマを流せる時代になったんだってことだと思う。
 人が集まれば町が出来る。そして、町が出来れば商店街が出来る。何故なら当時は貨幣を中心とした流通の時代だったのだ。生産して貨幣を得て貨幣で必要な物を買うのだ。このような制度の時代ってここ200年くらいだろう。日本で言えば太平洋戦争以前は「サラリーマン」なんて職業分類は公務員くらいしか居なかった。ほとんどが零細自営だったのだ。昭和30年くらいから「サラリーマン」って分類が台頭してくるのだ。
 「消費者」なんて概念も昭和30年代に端を発していると思う。商店街の相手(顧客)が生産者から消費者にシフトしてきたのだ。ここに「地域に必須の流通業」であるオルソン商店の位置づけが崩れていく。オルソン的とは農業生産者への資材の供給が主であり、いわゆる消費者は居なかった時代の産物なのだから。
相手はサラリーマンの流通が始まる。つまり消費者のニーズに対し供給する「非オルソン」の機能が台頭してくる。それが今の「郊外型大規模店舗」だ。当然な結果として「オルソン商店」は消滅を余儀なくされる。それが今の時代の「商店街」なのだ。
経済産業省は旧来の商店街活性化のために沢山血税を使っているが、そもそも役人に地域の事情、その地域に密着(確執が適語かな)した商店街の事情を理解する知識は無い。故に、「東京チック」な企画が多い。自転車で回った感じでは何処も落第である。
商店街は「人が流れる所」に発生したって原点を考えよう。だから他に人の流れを奪われたなら奪い返す方法を検討ししょう。そして人は何を目指して移動するかを考えよう。するとオルソン商店の機能を果たして来た商店街が「消える」のか「続く」のか見えてくるだろう。人の流れを作る。これが商店街のアクティブな計画でなければならない。そのメニューは沢山有る。
それを出せないなら、「僕を呼んで」(あ、営業モード(笑い))
ヒントはイベント。祭だ祭だぁって事。

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2002.05.03 Mint