不良債権処理って胸張って言う話しか
決算発表が相次いでいる
大手の銀行の決算発表では不良債権処理で軒並み赤字計上。その記者会見では「これで来期は黒字に転換できる見通しができた」みたいな話しが多い。そもそも決算発表ってのはこの1年の経営の文字道理、総決算であって赤字を計上したなら、それなりの説明が有るべきなのだが、ここでも「横並び」、皆がする「不良債権処理をしたまで、その結果赤字になった」。ただ、それだけ。
一人くらい決算発表の場で「過去の過剰な融資が本銀行の機能不全を誘発し、ここにその原因である過剰融資により回収不能になった金額を不良債権として切り落とす決算を行う事にした。銀行本来の機能を全うすべく、株主の方々にはご理解いただきたい。ついては不良債権発生に至った経緯を明確にし、未来へ向けて再発防止の轍とすべく情報公開を行う予定である」
くらいの発言は無いのか。日本経済を護送船団方式で旧大蔵省の指導で舞っていた反省を元に未来を見通す経営者は居ないのか。
みずほの頭取が一連のコンピュータトラブルに関して、国会で「実害は無かった」なんて発言は使命感も無ければ、経営責任感も無いし、預かった「預金は」他人の金って役人の税金に対する感覚とほとんど変わらない。自らの経営責任のドメインすら失っている。あの頭取は役所の「課長」に見えてならない。
最大の不良債権に踏み込んで無い
だいたい金融機関は先の郵政省と同じく多額の貸付を地方自治体に行っている。運転資金的な部分もあるが地方債の引き受けも含まれる。幹事金融機関になるために受けざるを得ない部分も有ると聞くが、基本的に「利子だけ補充される」って構造の債権で、これって「不良債権」に分類されないのがおかしいではないか。
民間人が金を借りる、元金の返済予定は無い、ただ、利息の支払は続ける。これって利息だけで元本を動かす新手の資金運用ではないのか。
金融機関が自らの口から「xx役場の分は不良債権として一括償却しました」と言えないのは、幹事金融機関って面子に払う「税金」なのだろうか。こんな部分が改善されなくて金融機関の「健全経営」なんて事実上無いのだ。永久に「おかみ(国、地方自治体、関連外角団体)への回収不能融資は表に出ることが無いのだ」
北海道には「住宅供給公社」
そこで提案なのだが、北海道には債務超過と思われる第三セクターの「北海道住宅供給公社」って組織がある。ここは「住宅」名目を逸脱して土地ブローカーになってバブルがはじけて利用価値が無い土地を大量に抱えてしまった。ま、とっくに経緯破綻した兜建設(カブトデコム)と同じ道を走っていたのだが何故か兜建設(カブトデコム)は休眠会社化したが、この公社は活動を続けている。民間感覚では生き残っているのが不思議なのだが。
それはおいといて、これを始末するのにどうするのか。それを融資した金融機関主導で進めるのか、それとも公社を作った北海道庁主導で進めるのか、これが、今の堀知事の力量判断に直結している。僕が知ってる道庁側の担当者は「特例認めず、原則論堅持」ってタイプの人なので「潰す」ってストーリーが必要だと思う。それが堀知事に出来るかどうかを注目しなければならない。「役所上がりの知事に北海道を経営出来るのか」って最大の試金石なのだ。
先の銀行決算発表と同じく、課題を明確にしてそれに取り組む姿勢を明らかにするのか、未来だけ語るのか。それは指導者の資質であり、従う者を集められるかが問われているのだ。まさに、それが「リーダシップ」と称される根源なのだ。
だから小泉首相が「瀋陽事件」に対して「再発防止」なんて言ってるのは「今、そこにある危機」が解ってない「他人事発言」と批判(「民主党の自虐的」なんて批判を批判されると批判するなと批判するって感じなのだが)されてもしょうがない当事者能力欠如が見られるのだ。
誰にも責任が無い社会って
それで良いって部分は有る。でもそれで良いって意識も無いのだろう。物事の解決に「日本的」なのが日本の社会だろう。現に瀋陽領事館の対応は、日本は「日本的社会なのだ」って証左だった。僕も昔は人種ってことに異常に反応していたことが有る。アメリカ人は進駐軍なのだって意識(笑い)。ま、この部分について言えばアメリカは日本に対して「進駐」したのだと思うが、それは別な項目にしよう。
どう見ても今回の金融機関の赤字決算は納得がいかない。バブルを引き起こした因果関係が語られてない「始末」だけ。それで何が解決するのか。とても21世紀を見据えたものとは思えない。結局、サラリーマン経営者が「場繕い」しただけなのかな。
日本の金融機関は無責任経営者によて暴走したのだ。そして、崩壊を防ぐために「不良債権を処理」したのだが明日を描けているとは言い難い。
そこに至った原因の明確化、責任の所在、そして小泉純一郎総理のの好きな再発防止、これらのプランを明示するのが経営者だろう。「後始末の不良債権処理」なんてのは経営の中の「1手法」でしか無い。それを一生懸命やってる経営者ってのは全体が見えてないのだ。後始末を託された課長が社長になるのが今の金融機関なのだ、高い給与もらって結局会社を喰ったサラリーマン経営陣を糾弾する人材はとっくに潰して消して有るってことなんだろう。