ふるさと銀河線は武家の商法

ふるさと銀河線の背景
 十勝の池田町とオホーツクの北見市を結ぶ「ふるさと銀河線」は元は池北線(ちほくせん)として国鉄が運営していた路線だ。国鉄の民営化によって不採算路線の切り捨ての対象になったが第三セクタとして周辺自治体が株主になって独自の鉄路として存続してきた。経営主体は自治体って構造で運営を続けてきた。
 その路線が低金利の社会背景を受けて基金の取り崩しまでして毎年の赤字を補填してきたのだが、今年(2004年)に至ってついに北海道庁の補助金も期待できず廃止に向かって(役人は「バス転換」と呼ぶのだが)話は進んでいる。
 正直言って池北線の存続には疑問がある。国鉄を民営化して不採算部門をどんどん切り捨てて、結局、国鉄はJR株式会社として収益を上げている。その結果、廃止になった鉄路は北海道では2500kmにも及ぶ。
国では第三セクターとして「深名線」(深川市と名寄市を結ぶ鉄路)を選んだのだが周辺自治体の財力の無さと美幸線(美深町と枝幸町)の完成を訴える当時の長谷部美深町長がウザイので廃止して池北線の存続になったらしい(あくまで噂だが)。
 その池北線も名前をふるさと銀河線に変えて話題をかもしたけれど、最後はバス転換により廃線となる。そんな地域の足の問題を考えてみようと思う。

実際に自転車で走ってみて感じたこと
 自転車旅行にも書いてるが、池田町から北見市までの道のりは意外と平坦で距離にして140km程度ある。実際に列車と出会ったのは1回しか無い。一日5便程度の列車編成なのだ。で、利用者は高校生が通学に使う程度。これすら、16歳でバイクの免許が取れるのだから必要なのかどうか疑わしい。冬は積雪があるのでバイクでは通学できないが。
 池田町から自転車で2時間程だから40kmくらい走って出会った駅で料金表を見ると1000円。わずか40kmがと思う。都市部ではあたりまえかもしれないが、北海道では隣の市町村まで40kmは普通の距離だ。その間を繋ぐのが鉄路だった。ここはあえて過去形で書く。
 昨年(2003年)はオホーツク沿岸の自治体を自転車で訪問してきたので「廃線」ってキーワードを常に感じていた。
「鉄路が無くてもバスがある」って考え方は基本的に間違っている。オホーツク沿岸の国鉄は名寄本線のような国鉄の民営化後の廃線も含めて多くが「バス転換」されてきた。その時点でマスコミによる「さよなら何とか線」と継続するバス路線が紹介されてそれで終わり。実際には地域の足として民間のバスに転換された後に、民間でも採算が合わず撤退し、市町村が直営で細々とバス路線を継続しているのだ。公営化が最終の答えだ。
 ふるさと銀河線に周辺市町村がコダワルのは、やがてバス転換、そして市町村直営のバス路線維持に繋がる流れの第一歩だから。

地方を知らない東京の弊害
 東京への一極集中が東京に集中した行政機構の「東京バカ」化を加速している。信じられないことだが、この情報化社会で地方の情報は東京バカに伝わっていないのだ。勝手に自分の生活圏を事例に地方を判断している。例えば「地方では情報化と行っても実際に触れる機会が無いので出かけて啓蒙が必要だ」と言えば東京に住む役人は「そんなことはインターネットで出来る。」と一括する。
 「インターネットって何だ、から始めないと地域のデジタルデバイドは解消しない」と言うと「それは、地方が情報化への関心が薄いから」と返答する。殴ってやろうかと思ったけれど中央省庁の役人を民間人が殴っても同じく東京に住むマスコミ各社の編集部には解らないだろうと押さえたが、基本的に地方に住んでいては急激な情報化の流れに阻害されている。情報業界ならいざしらず、一般の高校生ですら情報化の波を知らずに生活しているのが今の地方の実態だ。
 今は知らないが北海道の十勝に士幌町って町がある。ここでPHSのサービスが始まったのだが、使えるエリアは役場から半径300m程度。で、士幌町の女子高校生は少ない小遣いでPHS器材を購入し、電話をする時は自転車で役場から半径300mまで出かけてPHSで電話をする。途中に公衆電話が有るのだが自転車で役場まで出かける。これがデジタルデバイドで無くてなんなのだ! 東京バカがトレンディドラマで描かれる通信環境が全国一律だと思ったら大間違いだ。自転車で通信エリアまで出かける地方の女子高校生をどう思っているのだ。
 インターネットの利用も同じ。地方ではやっとISDN。頑張って加入契約を集めてADSLを誘致しても半分は局からの距離が遠く1M程度しか出ない。それをブロードバンドと呼んで良いものかどうか。

高速道路は渋滞対策なのか?
 で、ふるさと銀河線に話は戻るのだが、周辺自治体は旧チホク線に替わる高速道路整備を求めていく方向で考えているらしい。実は北海道では国鉄がJRになって鉄路が2500km以上廃止になった。替わって整備された高速道路はわずか500km。
この数値をどのように読むか。結局、地方切り捨てなのだ。その情報が中央行政に伝わらないばかりか、北海道庁も道民に積極的に広報しない。北海道庁は公共交通機関を2000km失っても何も考えてないのか。そして、地方の過疎化が進む。
 そもそも道州制に対しても東京バカと同じく札幌バカは地方のことを何も考えていない。一極集中は経済の効率から必然的に導き出される結論だ。しかし、国家として憲法を持ち、律令制を標榜するのなら、地方の切り捨ては経済では許されても国家としては許されない。デジタルデバイドでだけでは無くて、国民の等しく得られる教育の機会を阻害しているいまの状況(今までの状況)が地方を切り捨てる結果に繋がっているのを市町村や北海道庁は真剣に考えるべきだろう。
 年寄りだけの名誉職の地方自治が若者を地方から切り捨ててきた。そして、地方は衰退する。
 そもそも、高速道路が渋滞対策によって整備されてきたのは、役人の天下り団体でもニーズが有るから作り収益を上げてきたってことだ。「地方は採算性が無いから作らない」ってのはそもそも道路公団設立時の理念とは何かまで溯らなくてはいけない。
結局、行政は役人の天下で「憲法の下の平等」って基本的な事柄すら履行する能力が無い。その能力の無さを隠すために東京中心のヒエラルヒー構造を作った。で、地方自治である都道府県も同じくヒエラルヒー構造を作った。その構造で地方は切り刻まれて捨てられていく。これで良いのかと札幌に住む僕は思うのだが、北海道の札幌ヒエラルヒー構造に地方は従っているだけで反旗を翻さない。なんともはや、若き高校生世代は「町を出て行く」ことが最大の目標になってしまう。

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2004.03.03 Mint(帯広にて)