鳥イフルエンザは騒ぎすぎ

マスコミの報道順位
 マスコミの報道番組の記事の順位はどのように決められてるのか。これが報道機関の姿勢を見るのに重要な要素になる。芸能ニュースがトップなら芸能誌ってことになるが、新聞社でも朝日、毎日、読売の各紙。テレビではNHK、TBS、日テレ、フジ、それぞれの報道姿勢が紙面や番組の報道順番で見えてくる。
 正直言ってNHKのニュースが一番安心して見ることができる。「安心」って用語は適確では無いが、一番僕が知りたい順番に並んでいると言ったら良いだろうか。例えば麻原判決の出た日の報道では各社は麻原判決が最初の報道だったがNHKは「鳥インフルエンザ」が最初だった。麻原判決はセンセーショナルだが過去の事であり、影響を受ける国民(視聴者、読者)の数は限られる。何にも増してNHKでは「影響を受ける視聴者の多さ」が報道順位の決定を大きく左右してると思われる。これが僕の感覚に合うのだ。
 で、今日(3/3)のNHKニュースでは笑ってしまうのだが、論説委員が出て解説をするのだが、アナウンサーの「鳥インフルエンザをおさらいしてみたいのですが」 って問いかけに論説員は「鳥がかかるインフルエンザなんですよねぇ」って、マンザイで言えば「そのままじゃん!」って突っ込みたくなる返答だった。
番組を作る側とその番組にリストアップされた人間のミスマッチなのだろうが、恥じを晒したと思う。まま、マスコミの報道方法にはこのような空回りは多いのだが。

死傷者は交通事故より少ない
 必ずしも死傷者が大きい事件が社会的影響が大きいと言うつもりは無いことを断っておく。結果よりも原因に社会的問題点が多い事件も沢山あるのだから。ただ、食品の安全性の話で言えば食べる人間が多いってことだけで影響が大きいと考えるのは的を射ていないと思う。
 今回の「鳥インフルエンザ」報道も昔のダイオキシン報道の反省を生かしていないと思う。船井農場の姿勢を責める報道は解らなくもないが、マスコミの報道は素人が素人と井戸端会議を行っている以上のものは無い。
 船井農場の姿勢は養鶏を行ってる事業者として当然とまで言わないが、標準的な対応であったと思う。もっと能力が有って慎重であったならってのは理想論で個人を裁く基準では無い。
 日本は結果の重大さで裁く裁判制度が浸透しているが、これは国民感情と同じ視点で司法が運営されているからだろう。真実はその瞬間の判断がどんな過失を犯したかであり、その結果、何が起きたかは結果であって、個人の責任の範疇を越えてるってのは西欧の裁判の考え方だ。
 この西欧の視点に立てば「鳥インフルエンザ」が警戒されている時に、国民の生命財産を守る行政が何も予防線を張らなかったことが問題であり、船井農場の「腸炎と思った」ってのは結果の重大さの視点では無く、判断の過失で言えば、過失は無い(少ない)と言っても良いのではと思う。獣医に相談しなかったと叩くマスコミも有るが、「養鶏事業」を行ってるのが民間の姿勢なのだから、マスコミの姿勢は失当と言わざるを得ない。
経済行為としての養鶏業なのだから、弱った鳥は現金に換えるのは当然の経営判断だろう。それを「結果」として鳥インフルエンザの蔓延と叩くのは当事者の生活を知らないマスコミの青臭いジャーナリズムなのだ。これを高齢な(笑い)視聴者の視点で見ると「餓鬼の遊び」にしか見えない。
真実を追究するのがジャーナリズムなのだが、センセーショナルがジャーナリズムだと思っている編集者を採用した放送局は土下座して国民にわびて欲しい。放送局とは誰の目線で運営されているのかと考えれば、視線は「視聴者」側に無ければならないのだが、「電波屋」が自己主張しすぎるのが今の日本のマスコミ、特に放送局の問題だろう。

鳥インフルエンザ問題は国家の課題
 どうも「律令国家」って制度が今の日本に受け継がれているか疑問を感じている。国は何を根拠に税金を強いるのか。その屋台骨が揺らいでいる現実を今の律令制度の元締めである国会は解っていない。
 国民にとって税金は保険なのだ、その保険に税金を払っているって仕組みが今の律令制の税金徴収の基本だろう。税金を払って居るのに何も得られないのでは民主主義ではではない。単に江戸時代の農民搾取でしか無い。だから、権力が国を支配し、税金を徴収して更に権力を強化するって律令制度は現代では通用しないのだろう。
 その意味で国民は国会に全てお任せでは無くて「払った税金分は仕事してもらう」って考え方に変わってきているだろう。で、今回の問題は税金を払った納税者からは当然の「保険執行」事態なのだが、法律が整備されていないことを前面に出して行政府の対応は納税者を説得できる域に達していない。
 税金は国家運営の原資であるとともに、国民から預託された対応の原資でもある。年金財源を自分たちの住居の建設に使う厚生労働省の役人の感覚には役人天国の感覚しか無いのではと思う。国民は公的対応が必要な場面も有るだろうと思って税金を納めているのだ。無理なく勝手に源泉徴収って制度に甘えて、取り放題と思っているのなら行政は理念から改造してもらいたい。
 危機管理の法整備が不十分と行政から言われても、職務怠慢としか我々納税者は感じないのだから。

マスコミは大局観を持て
 と言っても無理だろうなぁ(笑い)。
遅れて出てくる出版の世界が事実を良く伝え、瞬間芸のテレビや新聞は皮相的な状況しか伝えていないってのが昨今の報道だと思う。しかし、出版ってのは水商売で何時無くなってもおかしくない。その出版に真実を託してマスコミは皮相だけ追っていて良いとは思わない。最近検索対象にならないように御人名は書かないようにしているが、久米宏のニュースステーションでの傍若無人はテレビ報道を悪い方向に導いたと思う。
 スポンサー至上主義であり、視聴率至上主義(ま、本人は目立ちたがり至上主義なのだろうが)ではジャーナリズムは存在し得ない。その意味で特にテレビは何を目指した番組なのかを視聴者に開示する情報開示責任があると思う。「バラエティ・ニュース」とジャンル分けして「たけしのテレビタックル」とかをそのジャンルでくくる視聴者本位の広報が必要だ。
旧来の「ワイドショウ」が形を変えてゴールデンに出てくるのがなんとも歯がゆい。時間帯は何処にあっても「ワイドショウ的な」番組は報道番組とは別物なのだから、テレビ放送局は明確に番組のアイデンティティを標榜すべきだ。にもかかわらず、スポンサー視点で公共の電波を使っている。
 利用者目線が無いと利用者を失うって基本的な話に舞い戻るべきだろう。マスコミは多様なメディアを持っている、しかし、ことテレビで言えば毎日、朝日、読売全てワイドショウでしか無い。「説明責任」ってのは報道機関にとっては「伝達責任」になるのだが「伝達責任」を果たしていないマスコミに国民目線は鋭く批判しているのだ。

Back
2004.03.19 Mint