回転ドア>結局「どっち目線」ってこと

便利には沢山の目線がある
 前にも書いたと思うのだけれど役場の広報の「納税は便利な口座振り替えを」ってポスター。これって、誰が便利なのかを考えてみると役場が便利なんだよねぇ。納税者である市民には若干の便利はあるけれど、基本的に取りっぱぐれが無い役場に便利なんだ。
 基本的に顧客の便利に目線が行くべきで、昨今の回転ドア設置には利用者であるビル入場者の便利よりも、ビル管理の視点での便利が優先されているのではないだろうか。
 もっとも、死亡事故が起きてから過去の資料を集めて「ここでも有った回転ドア事故」みたいなマスコミの報道にもやれやれなのだ。
 基本的な事を忘れている。例えばエスカレーターは当初警備員付きで運営されていた。多くの人が馴れたので現在はエスカレーター・ガールは居ない。エレベーターも無人になったが、当初はエレベータ・ガール必須だった(なぜ、ガールなのか、疑問だが)。
 回転ドアは当初から無人で使われているらしい。この回転ドアは映画で描かれてるように結構一般的らしい。地元の札幌でもグランドホテルとか京王プラザホテルに有る。正直言って回転ドアは好きでないので横に自動ドアがあるとそちらを使っている。
 そもそも、手動で押して回す回転ドアが電動になり、自分の意志とは関係無く回転しているドアにタイミングを合わせなくてはならないのがおかしい。多くの回転ドアは手動だったはずだ、これを電動にした時に主客逆転が起こったのだろう。

省スペースで外界と遮断が回転ドアだろうか
 ビル設計は難しい。給湯室一つをとっても、これを配置する配管は設計段階で考えておかなくてはならない。もちろんトイレの下水道配管も事前に設計する必要がある。
 昔、英語の授業で使われたテキストに書いてあったのだけれど、ビル設計者はトイレをいかに隠すか苦心する。必要とする人は少ないから常時目につくトイレでは無く、必要な人が探すと目に入るトイレが設計の基本だと言う。ところが、トイレの無いビルは何の価値も無い。人は自由に使えるトイレが有るビルを大切に思うのだから。
ここで難しくなるのは「誰目線で物を作るか」ってことだと思う。建設業界では施主様に受け入れられるように建築側が企画書を作る。僕が知る範囲だが駅前の土地を購入しようとした企業に「あそこに10億円払うなら、10階建てのビルを作って、マンション化すると採算が合います。8億円なら6階建てで採算取れます」なんてのをゼネコンは企画書を提出する。もちろん、建築工事を請けたいためだ。
 同じように「回転ドアにすればエネルギー効率も良く、便利ですよ」ってアプローチだ。誰のための建築業界なのかと言いたい。結局「施主様」に心地よい言葉を使い、利用者の視点は無視以前に意識すら無いのだろう。

回転ドアはハイテクをめざし過ぎた
 ビル管理の視点から回転ドアを設置して、その危険を施主様へのアプローチで明確にしなかったゼネコンが急に施主様と管理会社との問題に置き換えようとしている。基本的に「目線の在り処」だ。
 効率を目指す行動は「切り捨てる部分」も考えなければならない。それが民主的で合理的で経済的なら社会に認められるだろう。だが、回転ドアの話は全然民主的では無い。合理的でも無い、単に経済的なのだ、それも設置する側の経済的メリットだけだ。
 我々は、運動神経の全てを使って回転ドアに合わせて利用しなければならない。自分の力で回す回転ドアではなくて勝手に回っている回転ドアにタイミング良く入らなければならないって回転ドアなのだから。
 人間を「搭載する物資」と考えている今の航空業界と同じ考えなのだろう。
 一見、ハイテク回転ドアに見えるが、実際は人間不在の技術だけの回転ドアになった、だから、利用者は「不便だなぁ」と思いながら使っている現実を設置したゼネコンやビルオーナーは理解できない。
 利用者有っての貸しビルであり、存在事由なのだが、提供する側の視点が強すぎるのが回転ドアだろう。

物事の判断は「どっち、目線なんやぁ!」
 自由主義と呼ぶのか個人主義と呼ぶのか、最近の日本では集団の最大公約数的な流れから逸脱することが個性的と勘違いしている親が多いような気がする。芸能人は個性が命だが、個々の人間には「社会性と個性の両立」こそが社会人たる要素だ。
 社会に発言や行動する時に「どっち、目線」は大切な要素だ。つまり、自らが立脚するベースは何かを明らかにするってことだ。
 そこで見えてくる事がある。ビル管理会社はビルの管理が目的でビルのオーナーの目的に迎合してはいけない。ところが、「便利にしてくれ」って雇い主から言われてセンサーを調整したり、警備員を置かずに回転速度を速めたりする。
 本当の民主主義ってのは、雇用主に盲目的に従う「営業的な」では無く、利用者の視点に立った警備なのだが、高齢者雇用対策のような警備会社では、それを実現できない。
 社会は利用者の視点で物事を考えなくてはいけない。政治制度なんか関係無いのだ、共産圏でも資本本位社会でも利用者の視点が欠如する時に団体の崩壊が始まる。
 回転ドアだけでは無い、ベースに有る利用者の視点を意識しなくなった時に資本本位主義はいかに脆いかのサンプルだろう。「安かろう悪かろう」なんて脳天気な話では無い、「安かろう、安全無かろう」ってことにもっと意識を向けるべきだ。

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2004.04.19 Mint