小泉劇場でマスコミは金儲け

ジャーナリズム魂欠如が小泉報道
 「田中角栄金脈と人脈」って本を書いた立花隆氏の時代はもう30年も前になるのだが、当時のマスコミが「ブルトーザー」と称した田中角栄首相の金脈と人脈を著し世に問う名著だった。たぶんに反田中角栄イデオロギーが見え隠れする「売れてナンボ」の」書籍ではあったが、その後の日本で初めての総理大臣経験者の逮捕にまで繋がるトリガーであった。
 ある種の特権である野次馬では無い現場での取材が許されるのは、真実を伝えるのがジャーナリズムの使命と考えられてるからだろう。情報が隠匿されないで国民に開示される機能をジャーナリズムが担っているって暗黙の了解が報道機関への配慮になっている。
 これは後年聞いた話だが、1997年11月17日(月)に報道された北海道拓殖銀行の経営破綻による北洋相互銀行(当時)への営業譲渡は、実は報道機関には事前に察知されていた。何故なら地元の警察本部を張っていると「拓銀に取り付け騒ぎが起きる可能性があるので警備を強化せよ」って情報がすでに前日の深夜に流れていて、これを北海道内のマスコミは情報入手していたのだ。この話は実際に当時現場に居た人間から直接聞いたものだ。
 同じ時間、私は日本サッカーがワールドカップへの出場権を得たって試合を見て眠りについた「民間人」だったのだが。
 あの夜に、マスコミは暗躍(笑い)して、朝の6時に起きてテレビの電源を入れたときに「どうも、北海道拓殖銀行に動きがあるようです」と大通り公園の北海道拓殖銀行本社の前にカメラを並べていた。
 それほど情報入手に優遇されているマスコミが「優遇されている所以」を考えていない。単に面白おかしく視聴率を稼ぐためにだけ特権を行使してるように見える。

マスコミは自らの土俵にあぐらをかいている。
 別なスレで書くつもりだが、今回のTBSと楽天の問題は基本的に放送メディアの自らの既得権を過小評価してる姿勢にあると思う。もっとも、国の認可事業で競争相手は無いって感覚が放送業界に新規参入の壁に守られた既得権益意識を助長し、結局、自己を客観的に見る能力を失わせたってことだろう。視聴者は放送局を選んでいるのは無い、番組(コンテンツ)を選んでるのだってあたりまえの事実が経営層に解らないってのが放送業界の稚拙だろう。
 田原総一郎さんが「頭を殴られた衝撃」と表してるのが「テレビは物を売るための媒体」って言葉。結局、高度なジャーナリズムなんか放送には存在せず、コマーシャルを流すために番組を作っているのが実情って話だ。
 我々は番組の隙間にコマーシャルがあると思っているがが放送業界の昨今の感覚はコマーシャルを流す隙間に番組があるって感覚だろう。ドラマとかどうでも良いのであって、その隙間に流すコマーシャルの場を確保するのが番組って本末転倒の番組編成は日常目にするところだ。
 先に書いた黒木瞳の24の瞳はまさにその営業部隊のアカラサマな営業活動の結果だろう。正直言って名作「二十四の瞳」を営業に使った本末転倒の駄作だったのだが、放送局の営業場面では「売れた」ってことで賞賛なんだろう。僕から見れば駄作をコマーシャル込みで見せられる視聴者の身になってみろ、と怒りを感じるのだ。

放送は衰退する、新聞は生き残る
 前にも書いたかなぁ。最近のインタネに対抗する姿勢で新聞社は的を射ている発言に接する機会が多い。方や放送局は「能天気」を超えて思考ゼロ状態だ。ま、楽天もTBSとごたごたするのは幼いと思う。基本的に放送とネットの融合を考えるのならば系列地方局から参加に収めれば良いだろう。毛沢東の都市を農民が包囲するって考は我々全共闘世代だけなんだろうなぁと寂しく思う。基本的に楽天が目指す放送とネットの融合は別にキー局から始める戦略ではない。
 地方局の中にはデジタル放送時代に向けて投資が難しいゆえに身売りしたい放送局もある。そこに手を出さないでtbsって手法はやはり「ホリエモンの後ろを走る三木谷」ってことだろう。
 で、受けてたつ陣営だが基本的に活字媒体の新聞社には「想定内」の体制が出来ていると思う。例えばアフリエイトを張るって行為で明確だ。結局何を判断基準にするかを別にして新聞は購読数を目指す。だけとインタネの時代に入って無料で情報提供するニーズがある、だとしたら足で集めて広告を掲載するよりもアフリエイトを導入するっ新聞社が多い。情報に金を払うビジネスモデルが変化しているのだ。
 その先例として北海道新聞社を挙げておこう。ここは、新聞社故の文字によるホームページのインカムのアフリエイトに求めたビジネスモデルを実証してる。
 残念ながら、電波な放送はインタネと連動する手法が新聞程明確に打ち出せない。が、実は新聞より大きな視聴者を抱えているのだが、放送と通信の融合ってテーマでビジネスモデルを発想できないが故に、危機感が無く、それ故に公開された株を買われて企業買収の嵐にさらされている。

視聴率は財産って発想に欠ける
 1%の違いで視聴者数が100万人違うと言われる視聴率だが、現在の放送業界はこれをスポンサード企業への広告単価の基準としか捕らえていない。そもそもインタネと大きく違うと思うのは人件費を使って営業マンを雇い、スポンサーを探してもなお利益が出るって発想だ。先の北海道新聞社も営業マンを雇って人件費を支出しながら広告バナーを売るって戦略がビジネスモデルにならないのでgoogleのアフリエイトに走ったのかもしれない。
 基本的に広告には多くの人に伝わるってことで視聴者数はスポンサーへの単価決定のファクターなのだが、インタネの時代ってのはその考え方にも見直しを迫っている。
 多くの人が目にする機会の大小で広告価格を変動させる放送局がわの論理がインタネではまったく通用しない。インタネはデマンドの世界で一方的に送り込んだ放送の「視聴率」に対応する「訪問数」の意味が違う。視聴率は送り込んだ数だが訪問数はデマンドしてくれた人の数だ。この違いを理解してはいても、インタネ業界にとって一方的に流しているだけではあるが「視聴率」から推し量る「数」は魅力なのだ。
 何処の世界に1%で100万人って世界があるか。結局、インタネで客待ち状態のメディアであることを体感したインタネ業界人は客に向けて一方的に送り込む「放送」に触手を伸ばす感性が生じるのだろう。
 ただ、基本的に捕らえておかなければならないのは、デジタル放送の普及で、これはインタネ側が持っているビジネスモデルと合致するが、現在の放送局は「電波の送出方法が変わる」くらいの認識しか無い。
 実は視聴率って良く解らない数値がインタネやってると魅力に思えるって両者のバックボーンの違いを両者が相互理解していないミスマッチが楽天vsTBSにもあるし、先の日本放送vsライブドアにもあったってことだ。
 結局、放送局はデジタル放送時代にも対応できず、インタネの時代にも対応できず、既得権だけが拠り所の事業になっているのだから、早晩消滅する運命かもしれない。逆にパソコン通信の時代から先見の明があったのはNHKてのは皮肉な話なのかもしれない。
視聴率って数字に振り回されて、ビジネスモデルを見失った経営側が苦境に立っているてのが視聴率至上主義経営の破綻に繋がっているてのが今のTBSと楽天の騒動の基本にあるのだと当事者が気が付くべきだろうなぁ。

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2005.10.20 Mint