自己矛盾の科学技術庁

ここまで形式にこだわるか
 科学技術庁が動燃を告発しても国民の信託に答えた行為ではない。まるで、万引きの言い訳に、「この右手が元凶です。罰します」と言っている子供となんら変わらない。
朝日新聞の取材に「聞き取り調査をした職員は緊張で顔が青白かった」って答えるのなら、聞き取り調査で嘘が発見出来なかった責任は感じていないのか。「どうも変だと思ったんですよ」って感覚がそもそも何のために聞き取り調査をやるのか忘れているのではないか。単なる儀式であって、責任が無い調査ならば実施する必要も無い
「聞き取り調査はしましたが、嘘は発見できませんでした」の言い訳で責任を果たすことが出来ると思っているとしたら、もう末期的官僚主義と言わざるを得ない。
 あいつぐ不祥事に、たまたま「ふげん」の重水処理工程での放射能漏れが未通知だった事がある。これを「いけにえ」に「ふげん」の停止を命じるのは何故か。
「ふげん」に直接関係する施設では無く、また高度に自動制御されている「ふげん」を停止させて通報体制の見直しを行う論理は何処から発生するのか。
 まさか「ふげん」の運転にかかりっきりで体制の見直しが出来ないから、その時間を捻出するために「ふげん」を止めるって論理ではなかろう。そもそも原子炉を停止の遷移状態に持っていくには通常の運転以上に手間がかかり、現に「ふげん」は停止作業中に自動停止してしまった報道があった。この原因も11件の未通報インシデントに隠れて情報が伝わってこないが、遷移状態が一番核リアクターの危険な場面であることはチェルノブイリの教訓であるにも関わらず、「停止で責任を感じる」姿勢は、もはや日本風土の悪弊としか言いようが無い。
なによりも問題なのは「停止を命じる体質」である。

責任執って辞任
 最も構造的不備(ハードもソフトも含む)を知る人間が、再発防止に邁進することもなく「清く辞任」することで責任をとる風土が招いた弊害が今回も発揮されるであろう。
どうせ科学技術庁の天下り先の一つでしか無い動燃。別な所にシフトすれば良いのであって、何処が「清い辞任」なものか.
 構造的不備を是正するために職務を遂行するのがスジってものだろう。弱腰のマスコミも今度何処へ「転進」するのかフォローしてもらいたい。ちなみに、現在ペルー大使公邸で人質になっているペルー大使の前任地とその行状を調べているマスコミは無い。
 政治判断で動燃の解体をするにしても、結局「厄介者の始末」でしかなく、理の通った施策にはならない。役人の好きな「前例が無い」のはまさに、このような後始末について言える事象だ。
責を全うする評価の無い社会
 社会を官庁でしか知らない集団は、保身と閥で生き残ってきた。評価は減点法であり、「つつがなく過ごす」ことが良いとされている。このような社会も戦後の早い時期には価値観の多様な人材で構成され自浄作用たる内部の目が有ったのだろうが、官庁一筋人種が蔓延するにおよんで構造的欠陥を、社会常識違反をさらけ出している。
 いま、大切なことは、特殊な社会になりつつある集団を精査し、その集団の常識が全体の非常識であることを正さなければならない。民間の論理では常に費用負担にはそれによって将来回収できる利益が念頭にある。無条件に収入が保証される集団では、費用負担が「予算消化」に化け、その姿勢もおよそ、大多数を占める民間の日本人の常識からかけはなれている
 「民活」とは、面倒な事を民間におしつけるのではなく、官庁に民間の論理を導入し民間の活力を官庁に取り戻す活動ではないのか。
 何故、マスコミが「嘘」や「情報隠し」に天下をとったように騒ぐのか。それは、民間の常識に判断を委ねる報道が、結果としてマスコミの「是」として聴取者に受け止められ、ひいては営業拡大に結びつくからである。もはや、官庁の片棒担ぎは出来ない。これがマスコミの偽らざる姿勢である。

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1997.04.17 Mint