拝啓、倶知安町、伊藤弘町長殿

脱自衛隊依存の町のシナリオ
 朝日新聞の北海道版が官依存の構造として、倶知安町の自衛隊依存体質について記事を掲載していますが、その中で町長の「もはや、広域市町村合併しか無いな」の発言は大変思い切った発言であるとともに、そうとう物議を醸していると思います。
 先に5月15日付けで掲示したように、これからの財政再建、地方分権の流れに置いて市町村の広域合併は必須と考えていたやさきの事で、新聞記事を目にして我が意を得たりとほくそえんでおりました。
 現在の市町村境界は50年以上前の広域合併によって15、000余の市町村が合併され3、600余になったものです。この時代から50年。半世紀を経て、現状に合わなくなっているとの感覚を町長自らがお持ちなことは、これからの強い地方を作る上での第一歩と思っております。
 市町村合併はトップの決断事項であると考えます。ボトムアップに企画が練られる性質の事柄と違います。まずは、検討委員会を町内に設置され、具体的な検討を始められることをお勧めします。
 真に町民のニーズに即した地方自治を形成するためには、町民の生活圏に即した地方自治が必要な訳で、週末に余市のサティで倶知安町民が顔を合わせる現状を直視し、より広域な新自治体を検討されることを望みます。

産業あっての自治
 ニセコスキー場に代表されるように、倶知安町および隣のニセコ町はニセコ山系を観光の目玉として位置づけています。「東洋のサンモリッツ」などと、いささか古いキャッチコピーではありますが、表現されたものです。
 話は変わりますが、現在パソコンの製造等を行っている諏訪精工舎。ここは第二次世界大戦の末期に東京銀座の精工舎の製造部門である工場の疎開に端を発しています。当時味噌倉を改造した時計組立工場が、疎開の終了とともに終戦を迎え、何を行うにも閉塞感にさいなまれた時代でしたが、彼等は「部品も工作機械も有る。腕時計を作ろう」として敗戦の中から立ち上がったのです。
 彼等のキャッチコピーは「諏訪を東洋のスイスに」でした。
 何故、このような話を持ち出したかと言うと、諏訪では東洋のスイスとして時計工業を根付かせたいの思いが現在のセーコーエプソンにまで辿り着いたのです。世界で最初の水晶クオーツ腕時計、1964年の東京オリンピックの公式計時時計、LSIの自社生産から現在に至るコンピューター周辺機器の製造。全て50余年前の「部品も工作機械もある。腕時計を作ろう」そして「諏訪を東洋のスイスに」によってなされたものです。
 さて、翻って「東洋のサンモリッツ」。はたして、産業施策に結びついているでしょうか。「サンモリッツ」の音と外国への憧れで夢を見ていただけではなかったのでしょうか。これも外国為替自由化以前の「100万ドルの夜景」と同じで、いつまでも引きづっていては未来を過つのではと思う訳です。函館の100万ドルの夜景は最近の円安で少しは価値が上がったのでしょうが、1ドル84円では、ま、函館の価値も低下する訳です。

羊蹄市構想の基礎
 羊蹄山の持つ産業性と言えば「羊蹄の水」でしょう。羊蹄山の西に面している倶知安町が東側の京極、喜茂別町に比べて水の利用がはかばかしくないのは、やはり自衛隊依存で新たな産業への取り組みが遅れたからと言わざるを得ません。日本海からの雪は倶知安側に多く積もるはずで、地下を流れる自然水の量も質も倶知安町側が優っているはずです。
 ここで、羊蹄山周辺市町村の広域合併によって生じる羊蹄市のガイドラインを考えてみます。
 人口は、ニセコ町(4511)+真狩村(2826)+留寿都村(2369)+喜茂別町(3240)+京極町(3775)+倶知安町(18030)合計34,750(平成2年の推計値による)人。少し足りないです。宿敵の岩内町も加えますか(笑い)。
 産業は「羊蹄山の徹底利用」です。観光だけではモノカルチャーで将来性が無いのは昨今の価格破壊ツアーで3食カレーラース、結局コンビニが乱立するペンション街ってことでお分かりのように、大変脆弱な訳です。湧水の利用に留まらず、1800mの山頂での自然冷凍のアイスクリーム、氷温貯蔵、電気通信基地、気象レーダーの設置。観光面では宿泊に加えて羊蹄山周遊ミュージアムロード。何もパノラマラインを超えて岩内町まで出かけなくても、有島武郎に代表される北海道の畑耕作の歴史は羊蹄山周辺に山ほどある訳です。真狩村で進められている河川公園がウオーターフロント開発の原点な訳です。
 新幹線が着工されれば、駅は倶知安町周辺に出来る訳です。新幹線が無理でも今年(97年)秋には、白老大滝線が開通し、太平洋と日本海を結ぶ観光道路が活用出来る訳です。そもそも、倶知安町のネームバリューはJR駅に歌碑がある啄木の歌に読まれた「汽車」でもある訳で、啄木と倶知安は結びつくのです。
 北海道も開基100年を超えて、そろそろ地元に歴史が発掘できるようになってきています。これを後生に伝えるのみでなく、来訪者にも広報する事業に着手すべき時代背景になっています。誰も泳がない温水プールなんか作っていては末代までの恥な訳です。
 さて、「東洋のサンモリッツ」が産業基盤とすべきものは、上記に加えて温泉です。高齢化社会のみならず、昨今の医療費抑制は必ず健康維持にまで施策が回ってきます。結局医療費を抑制するには国民が健康であることが一番な訳で、病気になって治療に金を渋るような昨今の施策は21世紀には通用しません。そもそも、保険負担の若者が急激に減少するのですから。
 この時に、温泉を主体にした公的治癒施設。そうです、トーマスマンの魔の山に出てくるようなサナトリュウムの短期滞在型のもの。これが狙い目です。他の観光地に比べて羊蹄山が優っているのは、独立峰であるが故の雲の移り変わりが描く風景です。治療の場で単調な風景よりは、時事刻々移り変わる雲は素晴らしい風景を提供してくれます。これも「羊蹄山の徹底利用」です。
 有島武郎と木田金次郎が羊蹄山にかかる雲の移り変わりを見ながら語ったであろうことは想像に難くありません。彼等が何を語ったかまでは解りませんが。
 伊藤弘町長、あなたの背中にそびえる羊蹄山が、これからの強い自治体作りの要の産業基盤、ランドマーク、住民の意思統一に大きな力を発揮するものとお考えになりませんか?
 下を向いて歩道の舗装を直すのも良いですが、上を向いてごらんなさい、電柱の上の旧式の大型柱上変圧トランス、空を切り分ける電線。羊蹄山の景観を一番活かしてないのが倶知安町です。羊蹄市が出来たとき、倶知安町地区は何を分担しますか?羊蹄市のススキノですか?。これまた夢のない話ですねぇ。
 羊蹄ビール工場ですよ。向こうがミネラルウォーターとカキ氷なら、こちらは地場ビールをやりましょう。

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1997.06.23 Mint