自治体悲哀

北海道の地域プロジェクト
 ま、公共団体の情報化の要は、情報ハイウェイを造ることでなく、ハイウェイに流す情報を整備することだ、てのがかねてからの持論なのですが、まだ、道路造りが行政の仕事と勘違いしている輩が居る。
 その意味で、コンテンツ関係の仕事を積極的に売り込んで獲得しているのだけれど、情報内容を読むに付け、ヤレヤレと感じる資料も少なくない。今回、「北海道の地域プロジェクト97」を作成したんだけれど、地域発想型の数の少ないこと。
 北海道でピックアップされたプロジェクトが717件、このほとんどが道や国の事業が先に有り、これを受け手該当自治体としてデザインをする範疇。まったく、独自でプロジェクトを旗揚げしているものは、別項の「北海道イベントガイド」にアップされる筋のもので、どうも当たりが悪い。
 この資料を眺めていると、「自治体」てのは、道や国の出先機関で、住民に目が向いているのか疑わしくなる。厚生省が「老人福祉計画を策定せよ」と音頭とらないと何もしないのが地方自治体なのかもしれないが。

なぜ、こんな構造になるか
 市民が悪い、と言ってしまえば実も蓋も無いが、結局行政の一極集中による上意下達の方式が地方を縛っており、真の地方自治にはほど遠い現実がある。そして、最大の被害者は市民である。
 今何が地方に必要なのか、ジックリとサベイして的確な施策を打つよりは、上部行政機関で対象市町村を探している補助事業を誘致するほうが役人の実績として評価される。そんな風潮が全ての公共投資の効率を悪くしている。住民が選挙で高度な調整機能を預託した組長が何がなんでも国の予算をブンドッテクル。これは正しいのかな?。
結局ひも付きの予算で地域に最低なインフラが整備される訳もなく、使うための建設でなく、作るための建設で終わってしまう。
 極端な例だが、高齢化社会を迎えて、医療機関にばかり頼っていられないので、軽費老人ホームが在宅と医療の中間施設として考えられてる。ここには25%の国庫補助、25%の都道府県補助、25%の自治体補助が得られ、自己資金は25%で済む。岡光事件はこの手法で本来の100%を120%に水増しし、自己資金ゼロで建てたトリックなのだが、これは、別な機会に話すとして。実は補助対象になる施設の規模が入所者50名を1施設としている。50名の施設を複数地域に配備する考えらしい。しかし、例えば北海道の場合、1市町村内ですら、50名は大きすぎる例が多々ある。札幌近郊の厚田村では、公費で50名の施設を作っても入所者は半分にも満たない。基準の入所費が高額過ぎるし、そもそも、それを負担できる高齢者は少ない。
結局結構な施策だが、手を挙げることができない。
 つまり、東京頭で地方を考えてるから公共投資が空回りする。馬鹿が金を握っていても、結局有効に使われないのだ。

まず、差も近い代表にもの申す
 もちろん、自治体には職員以外に、選挙で選ばれた市民の代表が居る。彼等は何を考えて市民の代表たらんとしているのか。
民主主義の代議員制について、おさらいしておこう。「住民投票の罠」でも書いたが、個人の集合である社会が、何かの利害関係で対立する場合、これを集団全体の投票で決するのは難しい。必ずしも多数決の原理で物事が解決しないのは、経験的に我々は学んでいる。で、個々人の利害を超えた高次の調整機能を預託するのが代議員制の哲学である。
選挙で選ぶ基準に「人柄」が上位を占めるのは、自分か他人か解らないが利害の、特に害の事象が表れた時に、高次な判断が出来る人との選定基準がここにある。出来もしない政策を確約するよりも、物の考え方、日々の行動が、危機に際して高次な判断を預託できるかの境目なのである。もちろん、自治体の選挙の場合であり、国勢の場では2重3重に預託が積み重なるので、必ずしもこうはならない。と言った意味で、諸外国の例のように、大統領は国民が選び、総理大臣は代議員が選ぶ方式は、このあたりを補完する方法として考慮に値する。(あ、話がそれた)
 自治体においては、この選ばれた代議員は、住民の声を施策に結びつけることを使命と考えなくてはいけない。党利党略ではなく、イデオロギーでも無く、まして、自分の事業のためでも無い。住民がインフラを望むだろうか。先のプロジェクトに「総合体育館」とか散見されるが、これから少子化、高齢化の時代を迎えて「総合体育館」は無いだろうにぃ、てのが素直な感想。また、自治省の「桜並木整備」事業に手を挙げている自治体が多いが、雑木林を伐採して桜並木を作って何になるのか。サイクリングロードの整備については、まったく、サイクリストの声が取り入れられて無く、語るにおぞましい。

何をなすべきか!
 さて、行政を担ってると辛いだろうなぁと思う事がある。職員のやる気である。一つの職場に3年と居ないのだから、職業を通じてライフワークを形成する仕組みの職場では無い。おいおい、その方向が条件闘争、権利獲得に向かうのは人間の弱さか。
民間の経営を行っていて、一番気を遣うのは資金繰りでも営業力でも無く、社員のやるきの創造である。民間企業の社員は基本的に仕事をしたがっている、仕事を通じて自己実現をしようと思っている。この姿勢が100%発揮されるように、常に潤滑油を怠らないことが一番の苦慮する所である。組織が活性化していて、個々人にやる気が有れば、成果は後から付いてくる。
 さて、自治体だが、これが無い。成果の評価が非常にアイマイである。そもそも、職員採用が不透明である。地元の名士の親戚なんかがゴロゴロ居る。これは、変である。中途採用が非常に少ない。これはオウム真理教的である。
アメリカの公務員は公僕である。一時期タスクフォース的プロジェクトに参加し、そのプロジェクトが終わると、職場に戻り次のタスクフォースを待つ。中曽根首相が「民活」を勘違いしているのは、行政がポストを離れて民間となり、タスクを成熟させる構造が無くして、官主導の「民活」は成功するはずが無い。その構造造りまで頭が回っていない。で、「むしむしランド」は首が回らなくなり競売にかけられる。(話が逸れた)
 残念ながら、地方では役場は地域で5本の指に入る規模の企業である。ここの職員が活性化していなくては地方の活性化もまたあり得ない。ここで、はみだし野郎が支庁は道や国から補助金を奪ってくることを是認してはいけない。それは、自らの意志を捨て、上部機関の現場責任者になっているだけなのだから。もっと、他力によらない自己研鑽による活性化した職場を作らなければいけない。
 で、具体的施策。新卒で採用した職員は30歳までに1年間、民間の飯を食わせる。民間と役場の交換トレード制度を確立する。民間は迷惑だが、役場の仕事くらいなら民間から補填してもらって十分こなせる。出ていく職員には世話になる企業に研修委託費を付けて出す。 役場しか知らない職員の一掃である。
 次に、テンポラリー職員制度である。若いアルバイトに限らず、民間から1年間を期限に契約職員を募る。民間企業には、給与プラスその社員が居たら計上できたであった利益も補填する。民間で余った人材ではなく、民間で手放したくない人材を、あえて、役場に投入する。
 3番目は地域のドメインの確立である。石炭や自衛隊じゃなく、100年の大系を持って地域経済を確立する方策を考えることである。産炭地を自転車でまわっていると、国のエネルギー施策に翻弄された地域の恨みが伝わってくる。がしかし、そこで、アグラを組んでいた地域の自己責任は無かったのか。
観光立地もトレンドでは駄目、徹底的に観光を研究してそれで駄目なら一家離散地域崩壊の覚悟を持って取り組まなければならない。それがドメインである。
 中央の補助金を当てにして、地域ドメインを忘れている市町村が多すぎる。これは、代議員の責任である。

最後に!
 札幌市のプロジェクトの紹介文であったと記憶しているが、工業団地造成に「単なる工業団地造成では無く。。。」、公営住宅の建築に「単なる、公営住宅の建築では無く。。。」。
 あのなぁ、「単なる物」だと一番テメーが解ってるんじゃないのか(激怒)。
こんな、職員はくびにすべきだ。首にならない職場に居ると、ここまで堕落するものなのか。

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1997.08.22 Mint