佐藤孝行とロッキード事件
やれやれな朝日新聞
まぁ、朝日新聞の佐藤孝行叩きには、朝日新聞ってのが、ただならぬ報道機関であることを改めて感じさせる。発表から総叩きは新聞社の方針だから良いとしても、投書欄でもいち早く佐藤孝行叩きの投書を掲載している。ま、マスコミの世論操作は今に始まったことではなく、この件については、特に詳細に記述するつもりは無い。
橋本総理大臣がなんらの理論武装もせずに大臣に登用したのが不思議である。非の打ようの無い、完ぺきな理論武装があると期待していたのだが、見えかくれするのは「中曽根さんの意向だから」くらいしか見えてこない。本来佐藤孝行事件は人事権の有る首相を筆頭とした人事側の問責問題なのだが、佐藤が辞めればそれで終わり。これもまた、マスコミの解りやすい(笑い)論理。これじゃぁ、未来の報道の卵を着々と蓄えているだけで、結局、マスコミとネタにされる側の持ちつ持たれつの関係は続くことになる。
判決が有罪であったのにも関わらず、全日空の会長にまでのぼりつめたり、どうもこの事件の有罪の受けとめ方が世間の常識と違うのは何故であろうか。実は、報道機関はこのあたりからの深い洞察が求められるのだけれどなぁ。
どうも不思議なのは、日本がハイテク立国を進めている割に、こと、航空機の分野では世界の後塵を浴びる所にまで達していない点。飛行機オタクの僕としては様々な方面から情報が入るが、ロッキード事件てのはアメリカが日本の航空発展を阻害するために仕掛けた巧妙な罠との見方が有る。ロッキード事件以降、航空行政への政治の関わりが弱い。政治家にとって航空に携わるのはタブー視されたのは裏にアメリカの政治施策及び経済施策の中で、自動車は譲れても航空機は譲れないことの圧力と推測される。
ジェットエンジンの分野でも富士重工が参画しているが、メイドインジャパンのジェットエンジンは無い。通産省が産業の発展を後押しして、第五世代コンピューターなんかに無駄金を遣っているが、自動車工業の先に航空機製造を位置づけられないのも、これまたアメリカを競争相手として選択する余地が日本には無いからではないか。
変だぞ、日本の航空行政
日本の航空機の識別コードはJA、敗戦国の常として2流扱い。アメリカのA、イギリスのBに比べて戦前はJのワンレターだったのが、2レターに変わっている。航空交渉の場でも以遠権も含めて不平等な路線を押しつけられている。これも、運輸省の官僚に全面的に任されていて、政治力の発揮は無い。方や他の国に自国の航空機を乗り込ませること。その国を足がかりにより遠くの国に乗り込むことは高度な政治判断を伴う政治施策である。その舞台に現れる政治家が居ない。まるで航空行政はアメリカの意向のままなのが日本の現状である。
ま、佐藤孝行がアメリカの罠の犠牲者だなどと言う積もりはさらさら無いのだが、全日空の会長に見られるように、航空業界にとってロッキード事件てのは、田中角栄が金に目が眩んで陥った米国航空業界の罠のトバッチリを受けたと信じている輩は少なくない。また、民間航空会社が新しい機材を導入するに当たっては、自社の利益を優先するのであって、あたかも政治家がそれを決めたように振る舞うのは関知しない事柄である。売り込みに貢献もしないのに、貢献したと偽って金銭を受領するのは収賄ではなく詐欺である。それに関知しないのが民間会社の基本姿勢である。
自利利他の精神
貢献もしない事実を踏まえて金銭を得る事は、自己の利益を優先させる精神である。裁判の結果が有罪であったか無罪であったかに関わらず、自己に利益を誘導する人間は公職には就けないし、就けるべきでは無い。自民党は「党職」と「公職」を同じもとの考えている。これでは55体制崩壊の前夜と同じである。他人の利益を考える人間でなくては政治を預託出来ないのは、代議員制の民主主義の基本の基本であることは前にも書いた。高度な全体の利益の誘導から施策を決定してもらいたくで、我々は一部の代議員に政治を預託しているのである。自己の利益を求める精神はここでは排除されなければならない。
その意味で、施策を預託された橋本総理大臣も所詮「自己の利益」でしか物が考えられない自分自身を国民の前に露呈したことになる。佐藤孝行を辞任させて済む問題では無い。権力を自己の利益に遣う政党にNoと言える世論作りがマスコミの責務であろう。
以外と、現在の政治家不信(政治不信の言葉に本質を隠してはいけない)は、マスコミがなれ合って情報リソースとして政治家を培養してきた戦後50年の腐敗の総決算を求められているのかもしれない。
佐藤孝行の首を捕っただけで終焉するのであれば、やれやれなマスコミであり、そのマスコミを蹂躙させてきた、やれやれな国民である訳で、このあたりが、本質を見にくくして、議論を封じ、情報開示なんかは全然考えていない、一部の権力志向に永田町が席巻されてしまった状態は永遠に続く。
現在の政治の閉塞感は皮相的情報を元に皮相的判断に数の論理だ蜂の頭だと叫んでいることにある。本質を見る力を喚起する叫びは誰が挙げれば良いのか。それこそが、政治家自らの自己改革ではないのか!