拓銀は潰れ得になるのか

拓銀は潰れ得になるのか
 なんか変な雰囲気になってないかな。拓銀が経営譲渡することにより、社会的影響、特に経済的影響を受けて四苦八苦した北海道内の中小企業は多いはずなのにその訴えが耳に入って来ない。我が社は貸し渋りの影響はあったけど拓銀がメインバンクでは無いので大きな影響は無かった。これから年度末に向かって決算期を迎えて、拓銀株の簿価がゼロになって赤字決算を迎える大企業が多いと思うが、これすら大して問題になっていない。
どうも、昨今の経営者ってのはサラリーマン上がりが多く、本当の意味での公器としての企業の有るべき責任についての意識が薄いのでは無いかと感じてしまう。
他人の褌で相撲をとるような株式会社の構造であるが、そこはやはり他人の金を預かり、社員の生活を預かり社会的機能を果たす企業の担う責任は非常に重いと言わざるを得ない。簡単にギブアップ出来無い使命を担っているのである。投げ出し経営者は社会的に許されない。そんな資本主義原則が崩れ去っているのでは無いだろうか。もはや、この国は資本主義の皮を被った無責任経済国家になっているのではと疑う。
 拓銀の[とにかく北海道銀行には営業権を譲渡したくない]って論理でもなんでも無い我がままを飲んだ大蔵省ってのは無責任官僚の無責任判断の典型ではないだろうか。どう見たって北洋銀行の[火事場泥棒的行為]は明白で、地方では競合信用金庫の火事場泥棒行為が横行していると聞く。最後の食い物にされてる拓銀はしょうがないとして、公器としての北海道銀行を大蔵省の都合に従い失うことにならないよう、ある意味で戦った北海道銀行もまた自らの存亡を掛けて地獄の1丁目をさまよっているのである。北海道銀行の選んだ苦渋の銀行存続と、肩の荷を卸しやすらぎの北海道拓殖銀行のギャップを感じる。もしかしたら本当に厳しい戦いをしいられる道銀に比べて、無条件降伏の拓銀のほうが幸福なのかもしれない。で、本当にそうだとしたら、まったく拓銀は潰れ得と言わざるを得ない。
日銀特別融資で預金保険機構から2兆円が現金として北海道に流入した。年間の国庫からの流入が公共事業を含めて4兆円と言われる北海道にわずか1ヶ月で現金で2兆円も流入したのである。これが東京三菱銀行を始めとする大手銀行に流れたにしても、先に述べた[死んだ(滞留)金が流れる(流通)するようになった効果]は大きいはずである。
残念なことに堅実で鳴る北海道銀行はこの[特需]の恩恵に携わることが出来なかったようである。これこそが北海道銀行の[ナンバーツーにあまんじる体質]の表れだと思うがこれからはナンバーワンンとしての気概を持って、このような旧体質は一掃してもらいたい。

植村直巳と株式会社
 数年前になるが、とある会社の経営者と話している時に、植村直巳の話になって、結局植村さんも冒険って事業に耐えられなくなり、マッキンリーで安らかに眠っているのかもしれないと話してくれた。
 その前に布石があって、こちらが植村さんが一般からの募金を募った時に10万円を送ってきたOLが居て、植村さんが[あなたにとって10万円がどれほどの価値か僕は解りませんが僕にとって会社勤めをされている方から1ヶ月の収入(当時)金額を戴くような行為で無いと僕は感じていますので一口の5000円だけ有り難くいただき、後はお返しします]って話をしていたのです。
 彼はその話を聞いて、経営ってのも同じで金額の高によるプレッシャーから逃げ出したく時もある、がしかし、自分の背負える以上のものを常に背負わなくては経営者で居られない、植村さんは自らの命ってものを掛けていたから違うかもしれないが、所詮、経営者と言えど個人の裁量な訳で、背負えないものを背負うプレッシャーに絶えていかなければならない。ただし、背負えなくなって社員や取引先やその他沢山の人に迷惑を掛けてもいけない。結局自分が背負える範囲を見極めるってのも経営者に大事な資質かもしれない。
そんな話を彼としたのです。

代表取締役の社会的責任
 ソニーが社外取締役を大量に含む組織改革をした話は有名。逆にトヨタは社内取締役を増強している。どちらもマスコミの好奇心に晒されてるが、そこは多角的事業を行ってるソニーと単品主義のトヨタとの違いであろう。
 もっとも、戦争前は織機のトヨタが戦後自動車のトヨタになり、21世紀には通信のトヨタになると予言しておく。この時、トヨタは自動車生産からは手を引くだろう。名古屋の民度は一点主義で決して新しいことと二又かけないのだから。
 さて、ソニーの社外取締役制度であるが、これは、事業の方向を見すえると言うより事業のチェック機構としての取締役であろう。これはアメリカの企業理念に近いものである。企業は社会からの預かりもので、それをつつがなく運営するのが企業の中枢に居る人間の社会的責務であるって考えかたである。誰に対して[つつがなく]も明確であり、その順番は企業によって違うが、基本的に[国家、株主、従業員、地域社会]である。
間違っても[経営者自身]は無い(笑い)。
たぶん、資本主義経済を健全に育むためには、この理念が大切だと思う。これは国家がどのような政治信条によって運営されているか以前の問題であろう。
政治と経済の葛藤を描いた小説に五味川純平の[戦争と人間]がるが、彼が描いた戦争への構図は今にも生きている。それは、政治は人民をいかに食わしいくかであり、民主主義の現在では人々にどのように食っていくかを選択させるのが選挙という制度である。
常にチェックを受けて物事が進んでいく、そんな仕組みに少し人類は目覚めた訳である。

人類の知恵
 ま、ホームページで訴えたら世の中変わるのかってゲスな質問を受けたことが有る。
では日本が今のような日本になったのは何時かと問いたい。45年も生きていると特に調べなくても経験が教えてくれるのだけれど、長野オリンピックが国内始めてのオリンピックな世代はこれらが解らないと思う。
正月休み利用して2冊の本を読んだ(それ以外に西村京太郎も読んだが)。ひとつはアポロ13号、これの検証のために前に読んだライトスタッフ。
わずか25年前の話だが、実はこの出来事に一喜一憂していた時代なのである。
その時代に生きていた哲学は[未来を信じる心]であったと思う。我々の前には無限の可能性が開けている、そんな感覚があった。だがしかし1997年に京都の会議で出たものは国家の経済優先のナショナリズムである。
時代は昭和恐慌の体を見せているが、場面は全然違う。社会構造と技術の変遷がとても再来と呼べない新しい背景を設定している。
どうも、拓銀経営陣、山一証券経営陣は昭和の恐慌に埋もれて逃げてしまおうと思っているように見える。
僕の先生が教えてくれたことがいくつかあるが、[類推]が判断の根拠になるって話はおもしろい。例えば、ガソリンを売るためにどうすれば良いかを考えるときに、他はどうしているかを考える。ウイスキーなんか酒税改定でなにをしたか。結局、高性能ガソリン路線で並ぶよりも粗悪低価格路線は無いのかって考え。日石(あ、ばれてる)Sガソリンってのを売る。リッター70円(税金との差はほとんどない)もちろん「S」は「粗悪のS」(笑い)。 そこで考えてのは「類推」って手法も有るってこと。世の中には前例のない類推不可能な事も多々ある訳で、その意味では会社を閉鎖するってことにも、もっとしかるべく方法がある訳で、大蔵省の指導のもと北洋銀行ってのは、何も説明されてない個人の怨念だけの、まるで太宰府の菅原道真の世界な訳で、馬鹿っかじゃないと僕は思ったりするのです。
 ま、馬鹿が北海道から減るには歓迎ですが。

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1998.01.04 Mint