民主党のここが駄目(1)中高一貫教育
議員立法ったってねぇ
民主党が新制民主党になって最初の議員立法がこの「中高一貫教育6・6制」だそうな。ま、あきれてしまう。現在の荒れる中学校を「高校受験のせい」と決めつけて、だから、一環教育にすれば荒れないと論旨を展開するのは馬鹿じゃないかと思う。
鳩山由紀夫氏がかねてから「もっと議論をして」って姿勢は、決めつけて猪突猛進になるのではなく、多方面の意見を拝聴して、そこから、自分なりの結論を得て行動する姿勢を訴えているものと思う。現に一介のサラリーマンである僕の話も熱心に聞いてくれたのが印象に残っている。彼は学舎肌なので様々な意見に触れることにより物事が単純では無いことを悟り、その複雑だのなかから、それでも結論が導き出されるのではないかと議論する。どうも菅直人氏と決定的に違う思考回路と思う。
議員だから立法しなければならないと思うのは自由だが、ただ闇雲に立法すべきでもまた無い。
日教組の組合運動専門教師の発想まるだしのこの法案はいただけない。しかも、中高一貫教育を義務教育化すると言うのだから、日本の子どもは社会を見るのに12年も人生の貴重な時間を費やさなければならないのか。
中高解体こそが政治家の手腕
高学歴社会のヒズミは、子どもの選択肢の狭さになって現れている。10代後半で世界を見てやろうと日本を飛び出す子どもがいかに少なくなったことか。「そんな事は大学を出てからやれば良い」って制度の中で多様な人材が育たなくなっている。大蔵省や日銀の接待攻勢事件は、このような社会制度の最先端を走っていた人間の末路として見なければならない。みながキャリア組を目指すのは、それしか選択肢が無いからであり、そのレースのゴールは見えている。つまらない人生である。
それを子供たちに押しつける中高一貫教育なんてとんでも無い。
政治家がとる道は、学業に縛られている子供たちを解放することである。中学校だって解体してしまえば良い。行き場の無い子供たちが荒れている現状を見ているのか。「窮鼠猫を噛む」が今の中学校の現状である、行き場の無い子供たちに多様な選択肢を用意するのが制度そのものの変革を行える政治家の立法って武器では無いのか。それを放棄して、現状を容認し、その延長線に「中高一貫教育」を持ってくるのは社会のリーダーたる資質に欠ける。主婦の井戸端会議の結論でしか無い。そんな議員に国政を預託できない、何故なら大局観が無いから。これでは、また、民主党は駄目だろう。
議員は請託されてはいけない
政治資金規制法(ま、政治腐敗防止法と言うらしい。政治家防腐剤なんかをキンチョーに作ってもらうほうが速いような気がするが)で、もめているのが議員の職務権限に関わる請託の見返りとしての政治献金を禁止するかどうか。これに、労働組合の代表である社民党が噛みついているのも不思議な話だが、そもそも、政治家が請託を受ける対象たるか無いか考えてみたら良いと思う。
誰かの利益代表として国政の場に立候補したのなら、議員を辞めてもらいたい。自らのビジョンなき者には国民は国政を預託できない。間接民主制と言うのは、国民が自らの権利の一部を議員に預託することにより成り立つ。その選択の前提は政策や公約である以前に、議員本人の人柄を上げる人が多い。もっとも、公約で議員や政党を選択しているのなら、多くの議員は詐欺罪で告訴されなければならないが。この「人柄」が意味するものは、「あの人が、そのように判断するのなら、公益に叶ったことなのだから従おう」とする、個と全体の狭間の中での判断基準に昇華する。
にもかかわらず、代表として選ばれた議員が私利私欲のために請託待ち状態にあるとしたら、彼は何を目的に議員に立ったのであろうか。請託請負人? よくもまぁ、そんな人間を選んだもんだ。いや、その人間しか居なかった不幸が有るのかもしれない。事情は多々あるだろうが、議員が請託の相手である時代は既に過去のもの、五味川純平の戦争と人間が経済界の請託を受けて動く軍部を描いているのと同様に、経済界の請託を受けて動く政治家もまた、国を滅ぼすこととなるのは歴史の必然である。
だからこそ、政治家は請託されるものであってはならない。社民党の判断は、こと、この件では非常に正しい(そこまで考えての判断では無いと思うが。単に、自民党に集約する利権をイヤガラセしてやろう程度だろうが)
議員は何をすべきか
倶知安のBARONさん見てますか?
残念ながら、議員は立った地盤の利益代表者である。ただし、応援してくれた人々のみの利益代表者では無い。選挙に勝利すると言うことは、その選挙区全体の利益代表者として選ばれたのだから当然の瞬間から全住民の利益を担うこととなる。ここが、欠落すると鈴木宗男のようになってしまう。
全ての利益、つまり公益を考えるのが議員の勤めである。特定の請託に対応してはいけない。対応するにしても多くの意見を聞いて公益に照らし判断すべきである。共産党が伸びているのはあまりにも公益を図らない自民党の対抗馬としてである。巨人フアンとアンチ巨人フアンが巨人を持たせているのと大同小異の減少である。ただ、違うのは、公益は失われ続けていく。
中高一環教育で何が得られて、何が失われるのか。自明である。子どもの多彩な才能が開花する時を失われ、一億総官僚社会しかできあがらない。昭和30年代の植木等の描いた無責任世代を低学歴落ちこぼれ無責任と称すれば、今度のはたちが悪い、高学歴で社会的影響力を持ったものが無責任化して行くのだから。山一の前社長、拓銀の前頭取、結局辞職に追い込まれた大蔵相の長野証券局長、巨大な無責任の時代が訪れている。これは、絶対阻止しなければ21世紀の日本は無い。
だから、今、子どもを力強く育む社会制度が必要になる。中高一貫教育なんか「もやし製造制度」に陥る。中学校を解体し、15の春を多様な選択肢の中に向かえられる教育制度を社会的に構築すべきである。現在の日本の教育制度では少数の官僚は育つかも知れないが、マルチナ・ヒギンズやセレシュのようなテニスプレーヤー、近くはサッカーの中田やカズのような(二人とも結構世界的には高齢だけれど)人材は神話の中に埋もれてしまう。
何も20歳過ぎてから、大学出てからが人生では無い。人生は生まれたその瞬間から始まっている。それを12年間も培養しているうちに、みんな金太郎飴になってしまう。それこそ、最も管理しやすい国民ではあるだろうが、そんなことでは日本に明日は無い。即刻、中学解体論議を国会銀は始めるべきである。