都知事選挙のゴタゴタ

青島立たず
一番大きな要因は、「青島立たず」を前提に物事を考えていなかった自民党だろう。民主党の鳩山邦夫氏への相乗りで対青島戦略を考えていたことが混乱の始まりと言える。
そもそも「青島には勝てない」の敗北主義、4年に1回の統一地方選に国政のネジレ故に定見を持たなかったそのツケが回ってきている。自由党とは組みたいし、公明党の数は欲しいし。なりふりかまわぬ「数の民主主義」に没頭した結果がこの出遅れを招いた。
また、民主党を菅直人主導の新保守と読み違えているのはもはや滑稽である。
朝日新聞の論説委員ですら「鳩山邦夫氏は民主党看板で自民党との対決色を何故出さないのか」と的を外した記事を書いている。
本質的な体臭は民主党は社会党なのである。去年の参議院選挙での政党名簿序列を見た瞬間にそれが解らないのだから自民党も朝日新聞も頭を剃ってしまえ。
オリーブの木構想が渡りに船だったのは、何を隠そう社会党だったのである。
何故、村山政権が有ったのかを今一度考えると、東京の知事選挙のシナリオみ見えるはず。
 ビスマルクの言葉に「賢者は歴史に学び、愚者は経験にまなぶ」という話がある。今の民主党の歴史を考えると自民党が民主党の推薦候補に相乗りできると勘違いした理由、そして肘鉄くらわされた理由が見えてくる。誰が何処で何を勘違いしたのか、じつは「さもありなん」必然は確かに存在する。
自民党が過半数鵜を得られず混迷の時期に、細川、羽田と国政の器で無い人が総理大臣ならびに内閣を組織していた時代に「社会党の村山政権」のアイデアを実現に向けて動かしていたのは鳩山由起夫である。混迷の政治に一つの終止符を打つためには、前代未聞の社会党と自民党の連立政権を早急に実現し、そのなかから新しい日本の政治体制の摸索を始めようと言う考えは正論である。そのなかで対立基軸をまきこんで、現状を肯定も否定もせず、政治に求められている「機能」を正面から受け止め新しい時代を作ろうとすれば、おのずと社会党総理を誕生させ、旧来の仕組みでは無いことを認知しなければならない。物事を進める上で社会党の「反対していれば支持が得られる」体質が一番の問題点なのだから。

村山政権の役割
 その意味で少し長すぎた村山政権であった。さすがに村山本人は気が付いていたようで、後進に身を譲るタイミングを摸索していたようだ。で、発足したのが橋本政権。これって馬鹿馬鹿しいくらい自民党の「解ってない」部分を露呈した。とにかく戦後の体制にリセットをした村山政権なのだから、数で押し切る民主主義でない本当に新しい発想で形づくられた政権を構築する土俵は用意されたのに「おぼっちゃま君」の対応はなさけない。
昔、科学技術庁の会議をすっぽかした当時の科学技術庁長官の女性議員とゴルフをしていただけのことはある他利無視の自己中心形の履歴を持つ人間を総理に(党代表)まつりあげる自民党もなさけないのだが。
あんのじょう参議院選挙直前の日曜日、ダンデーモーニングで田原さんに突っ込まれ、さかんにとりなした加藤当時幹事長の救いもむなしく橋本Noの機運が一気に高まって、選挙後の出口調査で各局予想に反して自民党残敗の報道に取り掛かる。
この時、勝利はしたが民主党にも大きな弱点が露呈していた。相手のミスがかろうじて勝利に見せてくれたが、村山政権のエポックメイキングな事をすっかり忘れ、社会党的なんでも反対組の台頭があったのだから。

村山政権の後にくる政治
 少し頭の悪いマスコミに示唆しておきたいのだが、現在の政治勢力は番記者が情報を集めていては読み切れない所に来ている。つまり共産党を除けばオール保守の中で誰が誰と組んでもおかしくないのが現在の政治である。政党や政治家個人に目を向けているのではなく、現在戦わされている論議が個々の議員にどのような派を生じているか、個々のケースで検証しないと先は見えない。若手議員の中には政党を離れ個人として個々の政治的テーマに票を投じるだけ洞察力が付いてきている。
オール保守の中で民主党が横路孝弘を筆頭として旧社会党的労働組合基盤に固執するのなら民主党の分裂も早いであろう。

なぜ鳩山邦夫は民主党から出馬しないか
 枕はだいたい振りつくした。ツカミはOKかな(Smile)?
鳩山由紀夫の考えを読んでみよう。自分自身の党籍移動の経緯である自民党→さきがけ→民主党の流れは、そして村山政権樹立に向けたホテルで缶ビール飲んていた村山を襲撃したエネルギーは、一点に集約されると思われる。それは,55体制崩壊後の新しい日本の政治形態の摸索(もしくは樹立)である.現在の鳩山兄弟の共通理念は民主党をいかに利用して新しい政治体制を形成するかであろう。都知事に立候補する経緯は兄由紀夫が4年前に請われて北海道知事選挙出馬に苦悩した時と似ている。実は政治の流れは国政の中で劇的に変動するとともに地域に根ざして変動する両輪をからなっている。高知県の知事である橋本龍太郎の弟は着実に高知県の政治を変革しつつある。同様に鳩山邦夫が都知事として兄が国政の場で、それぞれ新しい政治体制を目指すのは正攻法である。
で、その目指すものはズバリ大統領制に近いものである。地域のしがらみや、政党の拘束によらないで立法府たる国会を運営するためには個別のテーマで集散する議員個々の高い見識に裏打ちされたタスクフォース的運営であろう。
現在の政治体制の中で菅直人を総理大臣になんて考えている人間はスケールが小さい。議員個々が有権者から任された立法府の一員として行動できる真の民主主義を実現するには個々のタスクで協力する自由度を保証した国会が必要になる。例えば、小泉元厚生大臣が本気で郵政の民営化を行うのに党内ネゴシエイションなんて方法をとらなくても立法可能な方法、つまり政党によらない「議員立法」が可能な制度が必要になる。それが、個々のタスクについて議論を重ねる方式であり、そのリーダーとして大統領制度があれば良い。
議員個々は個々に背負う国政の使命がある。しかし、それを行使できない政党の枠による縛りはおかしい。それを打破するための体制。それを鳩山兄弟は目指している。そのための民主党であり、そのための、あえて民主党から出馬せずなのである。

大胆な結果予想
 桝添さんの立候補は意外だったが、基本的に桝添ー鳩山ラインは存在する。鳩山苦戦の場面があれば桝添さんが手を引くことも考えられる。桝添さんは北海道の白老町に別荘を持ち、ここで市民講座を行ってる。その白老町は鳩山由紀夫の選挙区でもある。
柿澤氏の立候補宣言は明石元国連代表にかなりのプレッシャーになる。あえて火中の栗を拾うほど明石氏には公明党にも自民党にも義理はない。下手すると自由党の鳩山支持だってありえるのだから、明石氏としては柿澤氏立候補宣言段階で降りるしか選択枝は無いだろう。共産党やチンペイはおいといて、結局鳩山優位のまま選挙戦になだれこむのではないか。そして最近丸みが増した邦夫氏が民主党色を出さなければ出さない程可能性は高くなる。都民がまた「ファジーへのあわい期待」を選択するとは思えない。
その意味で自民党は自ら勝利可能な選挙を自滅してしまったと言える。
それにしても柿澤氏の議員辞任による(公職選挙法ではふたまたはかけれれない)繰上げ当選が阪神監督の野村さんの奥さんサッチーだとは何か悪いジョークなのだろうか。

Back
1999.02.17 Mint