日本のプロジェクト方式の問題点

特別でない「プロジェクト」
ま、なんと言うのか発想の貧困なのか、企業が新しい環境に耐えるためにリストラを行うのは当然として、これを社内プロジェクトにする経営者の見識の無さにはあきれる。
経営が苦しいから贅肉をそぎおとすのでは無く、本来企業と言うのは常日ごろ同業他社に巻けない生産性と利益確保を求めれれてるのであり、経営とは不断のこの命題に取り組む姿勢でなければならない。がしかし、がき大将的猿山の頂点が経営者であると勘違いしている経営者が最近特に多い。
不断の努力が、経済的外圧によるのではその資質を問いたくなる。先に東京都知事選挙の話を書いたが、大阪府での横山ノックの再選は間違い無い所と思われる。それは、青島幸夫に比べて横山ノックのこの4年間は一過性の人気取りでは無く府政の経営者たる府政の財政の窮状を府民に訴え、ともに改善することの陣頭指揮をとっている点であろう。
 比較しながら考えるのは両人に失礼だが、基本的に知事たる最高責任者は自ら判断しなければならない事柄を他人任せにしてはいけない。
例えば既存の組織体制にメスを入れるような事案の場合、既存の公務員に任せていては何も解決しない。彼らは既存の権益の中に居る人間であり、既存の権益をリストラる答申は出せない。唯一、個人に諮問すれば出て来るかもしれないが。
そこで、最高経営者である知事が自ら勤めなければならない事案となる。がしかし、これを内部のプロジェクトに委ねるのは官僚出身社の知事に多い。一部青島幸夫を除いて。
今の北海道を見てみよう。道都札幌市の桂市長は公務員出である。北海道知事の堀さんも道庁職員出である。ともに、道民感情からすれば役人の身内から出た経営者である。
これを頭の隅に入れておいてもらいたい。(詳細後述)

行政機構は市民へのサービス(奉仕)が目的
 自らに有利な事柄は先進事例に学び、不利益なことはネグレクトするのが人間の常だが、公務員の情報操作はこれにあまりある。
大きな政府とか小さな政府を議論する前に、公務員、公僕、給与所得が税金に起因する職業に従事する人間が民間企業のサラリーマンと同様な待遇を求めること、そのものが既におかしいのだ、と言う話を先ず最初にしよう。 アメリカの友人の話である。彼は市役所の職員でホワイトカラー、いわゆる現業部門では無い。かれの友人が「仕事は暇か?」と聞いてきたので「ここの仕事は楽なものさ」と発言したのだが、後に市議会で問題になってしまった。仕事が楽ならその人間を市が雇っているのは税金の無駄使い、しかも現業を持たないホワイトカラーが本来市役所に必要なのかという議題で。
 アメリカは仕事はタスクフォース方式で行う。民間だとか官庁だとかの差はない。そのため、一つのタスクフォースが終了した時に次のタスクフォース待ちで公務員のホワイトカラー職に就くものも多い。あくまで次のタスクフォースまでのつなぎで公務員の公職を勤めるのだ。つまり、1職員といえど組長(市長)と同じ特別職になる。
アメリカの公務員のホワイトカラーには優秀な職務経歴を持った者が多い。その知恵を市民へのサービスに生かすことができる。そして組長(市長)ノブレインとして、もし組長(市長)が替わったら総入れ替えに宿命も背負っている。
がしかし、日本の場合は競争社会でしのぎを削るサラリーマンと同様の待遇が退職まで保証された公務員制度のなかにある。生産性ひとつ取っても民間におよびもしないのに、人事院は民間並給与を勧告する。まったく、おあほじゃないかと思う。
民間と比べると「ローリスク、ハイリターン」な公務員に誰でもがなりたがる歪みがここにある。本来、これはおかしい事なのだ。

プロパーが組長では民主主義では無い
 とまぁ、現在の堀北海道知事、桂札幌市長には早急にお引取願いたいと思っている。
民間の、特に全国に支店・営業所を展開している会社では定期的に人事移動を行っている。これは、組織の硬直化を防ぎ常に新しい手法を取り入れる組織活性化の商法として有効である。だが、社員はたまったものでは無い。しかし、組織が存在し続けるためには空気の入れ替えが必要になる。勤務地転居によらない組織の活性化をはかれない旧態然とした組織の頭の責任は大きいがここでは触れない。
 選挙で選ばれる特別職は数少ないタスクフォース的自治体の運営手法である。ここには、自治体の経営を舵とりし、情報を住民と分かちあう人を住民が選ぶ権利を保証した民主的手段を実現したものがある。わずか50年まえには知事は内務省の独善的任命によっていたのと比べて雲泥の差である。予断だが、北海道の知事を勤めた町村金五は、終戦時この内務省を仕切っていたのである。
昨日も今日も明日も同じ人間と顔つきあわせて、それで組織が活性化する訳が無い。誰がなんと言おうと公選された者が組織の元上司、元部下では組織は活性化しない。その頭(かしら)が民間経験皆無で公務員数十年では淀んだ川にヘドロを注入するようなものだ。民間経験者の血が投入されなければ「なれあいの地域で一番大きなリスクの無い甘い汁構造の組織」でしかない。何人(なんびと)たりとも批判を許さずのスターリンも腰巻きからげて逃げ出す超管理社会が形成されてしまう。誰も役所の悪口を言わず、それに乗じてますます役所ははびこる。(てな構造解るよね>怪人ニセコ町長)

組織は壊れる直前状態が一番フレッシュ
 話を原点にもどそう。
身内にも優秀な人材が居るだろう。がしかし僕が会った範疇では公務員として、現在の組織の中で優秀だが、一般的スケールでは凡人か変人でしかない。
ま、変人を優秀と呼ぶ習わしが官庁にはあるのかもしれないが。
民間にはリスクを背負って責務を果たす緊張感がある。同様に官庁では組織を崩壊直前に導く緊張感が必要ではないか。それは身内組長(市長)産まない土壌を形成する常日ごろの努力を必要とする。ま、無投票で組長が引き継がれている市町村が多いが、これはスターリン並の独裁継続と肝に命じなければならない。人材が生まれないのは既人材が新人材を「出る釘は打つ」的にあしらっているのも要因なのだから。
特別職は自ら任期中の短期的計画を任期中に実現する使命をおびなくてはいけない。任期以上の長期計画はおごりである。きちっと任期中に予実を合わせるべきである。「やりのこした事がある」の立候補、「目の黒いうちは組長」みたいな選挙は辞めたほうが良い。
無能な選挙からは無能な地域しか生まれないのだから。
伊藤町長(仮名、笑い)対立候補が居てよかったじゃない。それだけ関心が高いのだから。

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1999.02.20 Mint