選挙制度改革論議

自己の利益の選挙制度改革
 柿澤さんが都知事選挙に出馬すると、ブロック制の議員が地方区に鞍換え立候補して、ブロックの次点の現阪神タイガース監督の野村さんの奥さん(通称サッチー)が繰上げ当選するとか。
ま、この事よりも、現在議員である人が何故その職を辞して同じ議員に再挑戦するおか不思議でならなかった。
よく調べるとブロックで当選した議員と地方区(で、表現は良かったかな)で当選した議員の間には党の扱いが全然違い、ま、ブロックの議員は実力で議員になったと言うよりも党の人気取り集票パンダであり当選後の発言権が低いそうだ。それに不満でブロックからの鞍換え立候補らしい。自民党としても柿澤さんの辞職後の補欠選挙で議席を確保するためにも前向きに検討しているらしい。
 札幌なんかに住んでいると実感するのだけれど、小選挙区制で町で(あ、中央区(Smile))見掛ける選挙ポスターが貼られた候補者に投票できないジレンマがある。この人に国会議員として国政にたずさわってもらいたいと思っても投票権が無いことがはがゆい。
自分の住むブロックではドングリの背比べ、誰が成ってもお役にたたないなぁと思っても誰かを選ばなければならない苦痛を感じる人は多いだろう。(西区の特定選挙区の話ではない)
小選挙区制は2大政党制を誘引する制度と言われていたが、2極の対立軸により政治が行われる時代では無い現状を考えると単に選挙の投票権を制限するだけになっている。国政に送り込みたい人に投票できない国民の権利を制限する悪法と言える。
そもそもブロック比例代表制は何の理念ももたず、当時の海ふ(あ、字が出ない)総理大臣の「あまり、急激な改革は賛同者を得にくいから」の一言で実現したものである。
その顛末が先の例の「ブロック比例区離れ事件」へと流れていく。

全国区個人立候補制度を実現せよ
 昔の参議院の全国区制度を全ての国政選挙に導入すべきである。宮田輝の得票を分け合うような姑息な党利を考えるから選挙後の政党の集散で有権者は何を選んだのか解らなくなってしまう。(有権者は人を選ぶことを通じて国政を選んでいることを忘れないで欲しい)
朝日新聞によると地方議会の「えんま帳」なる活動をしている市民グループが有るらしい。議会への出席率、質問の有無、その内容などを記録したものらしい。立候補の公約に上げた項目を議会で発言し委員会等を通して実現に向けて努力しているかの評価ができる。公約は不履行があたりまえの風潮にあえて一石を投じるものだろう。議員が名誉職と言う風潮も刷新し、働く議員を選ぶためにすばらしいことだと思う。しいていえば、議会をオープンにし、インターネットなどで公表されることを議会に望みたい。
国民の政治への関心は高いがそれを選挙結果に反映できる制度になっていないのが昨今の問題点であろう。日曜日の午前中は政治番組のオンパレードである。好きな人は9時からのNHKの1時間の休憩(Smile)を挟んで7時半からテレビに釘付けかもしれない。これほど番組が多いのは当然視聴率が高いからであろう。そこで直接国民に訴える議員を目にすることができる。何も考えていない陣傘議員のでる幕は無い。出る幕がなければ全国区では落選する訳で政治家のパイが増えるわけで若手の台頭が可能になる。
かつてJ/Fケネディは「テレビを巧く使う」と言われたが、これは批判的に言われた面が大きい。しかし、テレビが民主主義の発展に貢献する度合いは高い。だから十分利用しなければ民主主義は育たないと考え、積極的な取り組みが必要であろう。それをインターネットが補完すれば良い。いや、テレビとインターネットの境目は数年で無くなるだろう。

政治家はブレインの充実を
 民意を代表する政治家が実は議会の場で何もしていない実態を先の市民グループは明らかにしてきた。そして、活動しない議員は次回落選の方程式が完成しつつあるらしい。
政治家自らが活動するには専業の政治家でなければ難しいであろう。制度としては専業政治家であるが、実態は多くの兼業政治家を生んでいる。議会が無ければ兼業に時間を裂いている。このような政治家が専用のブレインを持てる制度を充実させたら良い。選挙に金がかかるのでは無く、選挙にかこつけて寄付をつのり政治活動の資金にまわしている現状を考えると公費の支給が望まれる。もちろん、選挙後当選した議員はこの公費で考えた政策案をインターネット等を通じて公表し、双方向で意見交換を行わなければならないことを義務付ける(公費なのだからあたりまえ)。自らのアピールもさることながら次回選挙の公約は自ら蓄積を重ねる。そんな議員が育たなければ民主主義は制度矛盾を解消できない。
選挙制度の改革には党利からの離脱と選びたい人を選べる国民の自由に着眼したものであって欲しい。
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1999.02.23 Mint