国旗・国歌を法制化の動き

議論するのは賛成だけどね
 文部省が卒業式、入学式に掲示、合唱なんか言っているから、それで職員と対立した校長が自殺とか、あいもかわらず日本人の「単細胞世論」がマスコミにくすぐられている訳です。
そもそも北海道では「卒業式」や「入学式」は無く(あ、普遍化してはいけないな、我が家の子供の場合と断っておこう)、「卒業証書授与式」(手稲東中学校)であり「入学許可式」(道立札幌西高校)であった訳です。それはそれ、昔読んだマークトェインの「トムソーヤーの冒険」の壁のペンキ塗りで「仕事と思うと誰もやりたがらないが、遊びと思うとこれくらいおもしろい遊びはない」式の余裕がある式典のネーミングな訳です。
国旗とはなにか、国歌とはなにかをトレンド(流行)として考えるのではなく、根本的に意見を得るのなら賛成だが、自殺した校長を例に「こんなに悩んでいる人が居る」みたいな論議は戦後53年、曲がりなりにも民主主義国歌なのだから避けてもらいたい。一人の人間の個人的行為で世の中が変わるのはおかしい。それはテロにより世の中が変わると思うことと同じなのだから。憲法9条だとか、戦後日本だとか言う以前に、社会はそのようなトリガーで動き易いので気をつけなければいけないって自制が失われている現象にしか見えない。
国旗は、識別符号と割りきるべきである。そこに描かれた紋様に意味を持たせるからおかしくなるのであって、国際識別符号以上でなく、以下でない「国際的慣習作り」に日本は積極的働きかけるべきである。アメリカの国旗だって怖い。過去星の数を増やし続けてきたのはアメリカの「覇権主義」を著していると言われかねないのだから。星をあしらった赤と白の縞々パンツくらいの認識で良いのではないかと思う(国際的にね。国民がどう国旗に思いを込めるかは自由だと思う)
 このなかで、日本の国旗にようなものは、はなはだシンプルで良いと思う。「日登る国」とか言い訳すると面倒だが、バングラディッシュ同様にシンプルなまま軽く流せばそれなりに良いと思う。
 なんせ、かん臨丸が太平洋を渡る時に国際識別として掲載したものなのだから。まさに、日本の夜明けを象徴するものだ。「これを見ると悲しい思いをする」なんて心情的な事を受け売りしている日教組の意見には賛同できない。日本の歴史を一部しか見ていない思想である。それも、特に悪い時代の象徴として。ちなみに、この旗がアジアに翻った後、アジアの西欧からの開放が始まった歴史的事実には日教組は目を閉ざしたままだ。本当に歴史を教える資格があるのか疑わしい>日本史の日教組組合員。

国旗もそれないりに受け入れても良いと思う
 僕は国旗日の丸賛成、国歌君が代反対の立場を長く唱えてきた。
何故なら、我が国は「君の世」では無いし「君の世が永遠に続く」ことを願ってもいない。まして、それは、敗戦で永遠ではなくなったのだから。
しかし、昨今の特にワールドカップ・サッカーなんかで、サポーターが選手と一緒になって歌う「君が代」には国歌としての機能はあると考えざるを得ない。
そこで、考えたのが「君が代のキミガヨ化」である
日本語は、漢字、ひらかな、カタカナの表記があるが、国歌に関しては表意文字としての漢字が物議をかもしているような気がする。
申し訳ないけれど、ジョホールバルで「君が代」を歌う選手やサポーターに「さざれ石」がなんたるかを解っている人間はほとんど居ない思われる。ただ、ピッチに立つ選手と一体化したいために「君が代」を歌っている感じがする。

新「キミガヨ」の歌詞
 キィミィガァ アアヨホォウワァァァ  チィヨォォ  ニイィィヤチオニィィィ  サザレェ イッシイノォ  イイイワオトナリテェェ  コケノ ムウウスウウナァァデエィ で、どうでしょう。

Back
1999.03.08 Mint