市町村合併ブームに乗り遅れるな

巨大化過多が招く弊害
 あっちがこっちとくっついた、後ろの正面だぁれ。ま、最後は企業数が減り再編成が終わったってことになるのだろうか。そんな事は無い。実は巨大企業の生長はニッチと呼ばれる隙間を沢山作る事になる。マーケットは複雑怪奇な多角形である。そこに受け入れてもらうために大小沢山の形で企業が存在する。複雑な枠組みをされたマーケットと言う広場をギッシリ埋め尽くすには大きな石も小さな石も必要になる
例えばマーケットに最適なサイズと言うものがある。3社が3個の間は多角形のマーケットに座りが良かったものが合併して1個になった瞬間マーケットでの収まりが悪くなることは良くある。10センチ四方の枠の中には直径1センチメートルの球なら100個入る。ところが直径2センチメートルの玉が1個混ざると残り99個とはいかなくなる。絵を書いてみると明らかなのだ。合併による巨大化は必ずしもマーケットのニーズに合うものでは無い。
 恐竜が巨大であった理由は多々あるが割と説得力あるのが爬虫類では外気温に左右される体温を外気温の影響を少なくするために体表面積率を低くするのが「進化」であるとの考え方。巨大になれば体重当たりの表面積は少なくなる。定温動物になれなかった爬虫類の一つの進化の方法だったとの説。(もちろん、いろいろ異論もあって、一部の恐竜は定温だったらしいことも最近解っている)。
で、合併による巨大化はなんとなく恐竜の巨大化と通じる所がある。欲しい機能を持てないが故に、他の方法で補完する。
それは何かと言うと例えば金融業界ではコンピューター化の推進が世界の趨勢だが、これには膨大なコンピュータシステムへの投資が必要になる。この投資を各社で行っていたのでは世界市場での競争力を失う。などがある。
 また自動車工業界では自動車購入層の開拓の頭打ちがある。日本車は新たなマーケットを開拓したのでは無い。既存のマーケットのユーザーを品質、価格で他から奪ってきたのだ。だから、他が日本車と同じ様な戦略で奪還を目指せば必然的に日本車のマーケットはリベンジを受ける。NIESに新しいマーケットを求めたのだが、社会インフラの整備が遅れているので一般乗用車はマーケットを形成できない。RVが流行した裏にはメーカー戦略のNIES商品をNIESだけでは捌けないので国内にも売った結果である。そうでしょうが、日本で鹿よけバーを車に付ける合理性はゼロなのだから。

大きいかでは無くていかに早いかが重要
 で、上記の金融業から。
20年も前からダウンサイジングとか囲い込みとか言われて、コンピューターシステムを征する者が世界を征すると言われてきた。そのために、航空会社はセーバー・システムに代表されるようにコンピュータシステムをいち早く構築し、各国の航空会社をこの利用者におさめてきた。
所轄が大蔵省だから解ってないのかもしれないが、金融に係わるコンピュータ・システムを各社が自己資金で用意するのは限界がある。これでは日本はナンバーワンになれない。しかし昔、通産省が強力な業界指導で富士通と日立、日本電気と東芝と業界を官主導で再編成したことを思い起こして欲しい。
つまり、大蔵省が音頭をとって「日本金融共同センター」を作り、各金融機関の共同利用を行政指導すれば良い。受注する会社は破綻が近いNTTデータ、これと組むのが日本IBM、富士通、日本電気、日立はATM分野を担当する。こんなシナリオを書かなければいけない大蔵省が各社のコンピュータ投資負担に何も策を持たず「合併、合併」と騒いでいるのは国民のためにならない。

「早いこと」が本来の機能
 企業には企業風土があってそれぞれの企業の体質改善にはハードルが高い。例えば「稟議規定」。これによって現場の課長が決裁できる金額が規定されるが、大企業で50万円、最近は20万円かな。現場にこそ新しい胎動の情報があるのだが、これを情報にうとい(どうも、新聞を会社で読む事が情報戦略と思っているトップが多いらしい)人間に決裁あおぐような仕組みが「規定」されている事が恐竜的である。
巨大であるほどデシジョンに時間がかかるのは解っている。先の恐竜の例で言うと別途脳を持って身体を制御していた類も居るらしい。人間だって大脳が全てをコントロールしている訳でなく小脳なんかに役割分担を分けている。がしかし、巨大企業は無能な大脳だけの仕組みを構築してしまった。何故なら、おかみである「株主」に仕組みを明らかにして「上場」を図ったから。

恐竜は全て滅亡する
 恐竜が何故絶滅したのかは諸説あるのだが、ここでは「恐竜」=「合併志向企業」にとどめたい。
「恐竜は完成した生物故に絶滅した」これが僕の持論である。ガイア理論によれば、生物は自分自身が住みよいように環境を変えていくらしい。ビーバーが自分の住処を作るために川をビーバーの言う「ダム」でせき止めるのはまさに生物の環境コントロールなのだ。
で、環境に合わせて素早く進化(変化)する進化の優等生が実は更なる環境の変化に弱い。現在の環境で最高の地位を築くが、実は環境ってのは変化する。老害を叫ぶ人が多いが、実は老人は経験をもって語る故に現状を見誤ることが多い。
合併を推進し「誰かに」経営を任すサラリーマン経営者が選んだ結論が合併なのだから、合併によってなにか新しい道が開ける訳がないってのが的を射ているのじゃないかな。
合併によって産まれるものは企業の論理でしかない、市場の(消費者の)論理では無い。故に、絶滅する恐竜の最後のあがきでしか無い。で、消えた恐竜のポジションに住む新たな「ほ乳類」が産まれつつある。例えば、...言わなくても解るだろう。あの頭の髪の毛が薄い人が率いる流れだ。既に恐竜は市場を手放したのだ。だから少しの勇気があれば誰でも恐竜無き空白のマーケットを手に出来るのだ。

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2000.03.27 Mint