現在の選挙投票方式は憲法違反だ
現在の選挙制度の問題点
6月25日に衆議院議員選挙があるが、正直言って現在の選挙制度には不満である。小選挙区制になって一人しか当選しないようになって、投票の選択肢が狭められた感じがする。また、僕の属する選挙区の北海道1区では投票したくない人間しか立候補していない。比例区だけ投票して候補者投票は辞退しようかと思うが、なんで主権者である国民が投票を辞退しなければならないのだと怒りさえおぼえる。
「IT戦略」を自民党が選挙直前に挙げたが、当の総理大臣が「イット戦略ってなんだ」と言ったとか言わなかったとか、まぁ、「森のデブ」((c)田中真紀子)には困ったものだが、国民を真に主権者たらしめる選挙制度の構築が政治家の使命だと思うのだが、選挙制度の改革には政治家は消極的である。民主党なんかもそうだが、既存の「地盤、看板、鞄」の選挙制度の中で自分達が政局を取れると思っているのだろうか。僕に言わせると「既存の制度に甘えた」国会議員の政治踊りにしか見えない。政権を担うためなら何でもするってエゲツさが無い。万年野党の批判勢力で有り続けることがレーゾンデートルの人々をよせ集めたからシャーナイのかもしれないが。
投票権は100%行使できる選挙制度
小選挙区制度ではいわゆる「死に票」が増える。これは統計のイロハを知らなくても解ることだろう。選挙区で1位以外の人間に投票した者は「死に票」を投じたことになる。で、その「死に票」の率は平均4人が立候補するとして、一位当選者が30%を獲得したとして残り70%が「死に票」になる。これが民主主義だろうか。平均して小選挙区には日本共産党が全区立候補の方針なので平均4名が普通である。そこで国政に届かない票が最悪70%もあるなんて選挙制度の欠陥としか言いようがない。その欠陥に支えられた「二大政党」なんか、国民が認めるものでは無い。今の制度では、別な抑止力として大統領制を用いなくては欠陥だらけの民主主義になってしまう。
海外投票の制度の拡大で選びたい人に投票
徐々に「地盤」を崩壊させよう。IT革命の時代に投票所で紙に鉛筆で書く。この紙を折り畳んで箱に入れる。箱から出して集計するって完全人海戦術の投票方式は見直すべきだ。
もし投票所で全国の立候補者の全ての名前を得票別に処理するとしたら不可能だと思う。だから、現在の「限られた立候補者と限られた政党数」に絞り込んで対応するしか無いことになる。その地域で立候補していない人の名前を書くと「無効票」となる。それは主権者である国民の意志の尊重では無く、選挙制度の事務的側面から「無効票」と扱われるのだ。いったい、本末はどちらなのだろうか?
さて、インターネット投票で投票区に縛られない投票を、とは、まだ言わない(笑い)。
今回の選挙から海外在住の日本人および遠洋航海途中の漁船員に投票の機会を提供する制度が動きはじめた。概要は、不在者投票の拡張版のようで、「予め投票された結果を所轄の投票区の不在者投票と同等に扱う」ってこと。
まてよぉ。この方法を使えば、自分の投票区で無い投票区にも1票を投じることができるじゃないか。しかも、その事務処理流れは既に出来ている。あとは、認めるかどうかの政策的判断だけだ。事務処理上難しいの言い訳は利かない。
この制度でNoの票が生きる
例えば、森首相はどうしようもない、止めさせるべきだと思ったら。森総理大臣の投票区の対立候補に不在者投票を利用して投票すれば良い。そのことにより対立候補を当選させ、森首相を落選させることができる。自民党の内規に党総裁は国会議員とあるのかどうか知らないが、少なくとも国会の首班使命で国会議員で無いものが立てるとは思えない。
それじゃぁ、党首が不利と思う人が居るかもしれないが、同様に投票区外から森首相に投票する手もあるのだから不公平では無い。
で、将来は1000人くらいの立候補者誰にでも投票できる制度を構築すべきである。現在人類の持つ英知は、民主主義を運営する制度については世界的に模索の時代であろう。党利党略では無い選挙制度を担う政党なんか有り得ない。何故なら党利党略を考えない政党ってなんの存在理由も無いのだから。
しかし、それって民主主義の欠陥「数の論理」ではないだろうか。日本の選挙制度がどのようにあるべきかを立法府である国会が「3権分立だけでは不十分、4権目として選挙制度の独立した機関を設ける」法律を造れば良い。今回の森政権誕生のような不明確な事が起こるのも、一般の株式会社にある「監査役」が国会に無いことに起因する。