自民党政党内のコップの中の嵐なのに
マスコミはセンセーショナルにしか追わない
2回も聞けば解る話しを、いわゆる「日曜政治番組」はワンパターンで繰り返す。7時半から繰り返し、小泉、橋本、麻生、亀井の各氏が画面に出てくる。その主張は、いくら番組をこね繰り回そうが、大して変わらない。っとと言えば、それぞれ各人の出馬の背景をあからさまにしようとした田原総一郎ですら、目的を達し得なかった。
とある新聞社の記者と論議したことがある。「新聞はセンセーショナルに事件を取り上げるが、3日もして新事実が出ないと別な事件に浮気する」と言ったら「新聞に真実を継続的に追うドキュメンタリー小説みたいことを求められては困る」と言われた。「何故だ!」と気色ばんで言うと「そんなのは本屋の本棚に並んでいる。そこで入手すれば良い。1ヶ月4、000円程度のメディアに1冊2、000円の本のような内容を求めてはいけない」とのこと。
「じゃぁ、新聞記者はジャーナリズムなんか持っていないのか」と更に突っ込むと、「『ジャーナリズムで飯は喰えない』が編集部の定説でね。それに憤りを感じるなら辞めてもらって結構ってのが新聞さ。人の噂も79日って言うだろう。その噂伝達を事業にしただけで、所詮ジャーナリストをそこに求めてはいかんのだよ。3日前の記事には責任持てないってズブトサが、この世界をいきる道なんだ」
「だとしたら、新聞には権威が無いってことじゃないか」
「あたりまえだろう、権威が無いから権力にたてつくって江戸時代の瓦版と何も違わないのに、権威が有ると勝手に決めつけてるのは国民の側だろうがぁ」
「脳味噌が腐ってんじゃないか。思考停止人間だろう、お前は。互いに権威を演出してるんだよ。北海道の地方紙では解らないだろうけど、朝日新聞は産経新聞を「右寄り」と呼称することで自分の権威を演出し、産経は赤新聞と朝日を呼称することで自分の存在をアピールしている。結局、業界ぐるみの演出でしか無くて、自作自演のマスターベーション社会が新聞なんだよ」
「おい、俺と会話するには一線越えてないか。俺だってそこで喰っているだから」
とまぁ、僕は最近新聞には権威を感じない。
家庭に送り込まれる「毒薬」くらいにしか感じなくなった。わが家の「毒薬」は朝日新聞を選んでいるが。
国民の真意は「改革」かなぁ?
どうも、マスコミ批判が自民党に多いのだけれど、弱体化して腐ってるとしか思えない。先に書いたように、時の為政者は批判されるものなのだ。江戸時代のかわら版からしてそうだった、それにめくじら立てて何を言っているのかとあきれかえってしまう。
マスコミってのは民意のバランスの天秤。それも為政者の逆側にあるもの。それが無くなれば「情報は民主主義の糧である」と言ったジェファーソンの発言の意味をもう一度かみしめて欲しい。それは自民党独裁であり、今の北朝鮮と同じなのだ。それを指向するのが自民党なのだと公言しているのが自民党の亀井氏の発言なのだ。それを「拍手喝采」している自民党の体質が既にスターリンなみのファッショなのだ。
で、「小泉人気」なのだが、正直言って「橋本よりマシ」意外の何も無い。馬鹿を相手に勝利した者は必ずしも利口では無い、本当の賢人は馬鹿と勝負なんかしないのだ。
だから、自民党総裁選挙の中で馬鹿と勝負した小泉氏は「同じ穴のムジナ」やはり馬鹿である。
もちろん、それを伝えるマスコミも馬鹿である。小泉個人にフォーカスを当てて、過去の自民党政治って何だったのかに着目していない。それこそ、1940年代に「戦争を煽った」と言われた批判に真摯で無い。
国民は「新しい時代」に「期待」しているのだ。旧態然とした社会構造が閉塞感をになめない今、たとえブチコワシであっても、新しいものを求めているのだ。
小泉人気を越後屋は利用する
参議院選挙において、自民党は既に候補者を決めている。それは、小泉総裁以前に決められた「橋本派」の公認である。いくら小泉氏が頑張っても、選挙で当選して国会議員になるのは橋本派の子分である。ま、三国史で言えば、敵の陣営を助ける馬鹿な役まわりである。
まったく、越後屋に利用される代官の役どころを演じているのであって、それに気が付くかどうかがここ数日の小泉の言動だろう。どうも気が付いていないようだが。
やはり野におけ田中真紀子
今回の北朝鮮の長男事件で何故、外務大臣である田中真紀子が出てこないのだ。
職務怠慢である。親父が中国外交を開いたのだから、娘は北朝鮮外交を開いても良いじゃないか。しかも、事実上後継者である男と話して置いて損は無い。がしかし、外務省の官僚が飛行機に同乗したってことは、完全に官僚支配である。
外務大臣は何処で何をしているのか。
ある意味で、このあたりが田中真紀子の大臣就任有頂天にカウンターパンチになるかもしれない。
で、全ては、「歴史が検証する」