いまさら「大橋巨泉」は無いだろう

何を勘違いしたのか「民主党」
 インターネットを通して「大橋巨泉」が立候補宣言。生で見させてもらいましたよ。
その内容に「政治家気取り、大橋巨泉」のスタンスを見ることができる。具体的な話の内容になるとまったく不確かな論点に立脚していることが解る。
「なんで「大橋巨泉」なのか」に民衆党サイドも説得力有る発言か聞かれない。そもそも現在の民主党の主張と相容れない主張をする者を、選挙で党公認とするのは単に当選目当てでしか無い。タレント候補うんぬんを叫んでいるマスコミはまったく見当違いで、主義主張が違う人を党公認とするのはおかしいのではないか、と突っ込んでもらいたい。
マスコミへの影響力のみ期待できるが、今の大橋巨泉の思想が民主党を代表するものでは無いことは明確で、そこに目をつむって選挙戦に突入するのでは民主党がうわべだけのトレンド政党化するのは明らかだ。かつての細川新党が何故衰退したのか、それは地道な政権へのアプローチをせずに、一発逆転ホームランに酔って国民と乖離してしまったからだ。
今の民主党の選挙戦術も満塁ホームラン狙いで、イチローのような単打積み重ねでは無い。結局、博打はハイリスク、ハイリターンの典型なのだ。リスクを考えた上での大橋巨泉擁立なのかはなはだ疑問だ。ハイリターンだけ狙っているとしたら、政権を担える責任能力は無いと言わざるをえない。

昭和ヒトケタが頑張れる余地は少ない
 昭和ヒトケタ世代の最年少が現在67歳。他に、テレビで活躍の田原総一郎さんが同じ昭和9年生まれだったと思う。彼らの世代は戦争の時代に育ち、小学校3年生の頃に敗戦を体験し、世の中の仕組みが大きく180度変わる様を物心付くころに体験している。この体験はその後の人生に大きく影響していると思えてならない。
 田原総一郎さんのエッセイ的な出版物である「取材ノート」を読むと、常に世の中にウサン臭いものを感じ、常に疑うことを忘れない、というよりもその思考方法が身体に染みついてしまった世代感が伝わってくる。少し年齢が上だが野坂昭如さんからも同じ様な臭いが伝わってくる。
 そのようなドラスティックな体験を通して、我々に伝わってくる迫力を感じさせる人は、実はすでに活躍の時代を過ぎたのだ。日本が閉塞感を味わいながら過ごした10年間の間に何もメッセージを発しなかったのだから。戦後ってキーワードの中にこそ存在価値があったのであって、もはや戦後生まれが日本国民の過半数になっている現在では戦前から戦後へのドラスティックな世の中の変化をどのように生きたかの体験は語る価値が無くなったのだ。
 その意味で、敗戦を境に戦前戦後にコダワルのでなく、常に変化しつつある「現代」を見ている田原総一郎さんは生き残っているのだろう。

アメリカ崇拝思想が「進んでいる」と勘違い
 立候補の記者会見で一番アナクロだと思ったのは小泉首相の靖国公式参拝に対する攻撃である。多くの「靖国公式参拝反対論」の理由に納得できる事柄もあるのだが、大橋巨泉の主張は「A級戦犯が合祀されているから駄目」である。しかも「別祀すべきだ」と主張する。
実はA級戦犯は戦争の勝者である連合国が決めたもの、だから、靖国神社に合祀されていても日本人にはなんら違和感は無い。外国人には違和感があっても日本人には違和感が無いと言い切るべきなのだ。
 そこまで端的に言わなくても、A級戦犯は戦勝国から日本全体に対して、代表者として裁かれたと解釈すべきであろう。A級戦犯だけが戦争を履行したのでは無い。大橋巨泉の、そのような「歴史観」は受け入れがたい。
 そもそも民主党が改革に伴うセーフティネットを作ろうと主張しているのと「A級戦犯別祀」は両立しない。そんな矛盾にも気が付かず堂々と述べる筋の話じゃないだろう。
 「ドイツはナチスを自らの手で裁いた」まぁ、ここまでアナクロなのはご愛敬なのかもしれない。ドイツは「ナチスの個々の行為を裁いた」のであって、当時の未曾有の不況の中でヒットラーが出てきたのはしょうがない、と考えている。ただ、法に反した行為は裁かれなければいけないとしているのだ。しかも、同じアングロサクソン同士の戦争だから、連合国側もドイツの主張を認めたのだ。方や、アジアでは戦勝国(アングロサクソン)が黄色人種を裁いたのだ。

オリジナル思想が無い人間は政治に出るな
 どうも大橋巨泉の言動を見ると、「戦前の日本悪い、戦後のアメリカ正しい」の、まるで「マッカーサーさん、ありがとう」の記事を載せた朝日新聞程のアメリカ崇拝のような姿勢がうかがえる。そもそも、11年間、その大半を外国で過ごし、日本の事情に疎い人間が、これから政治家として勤まるとは思えない。まして、既に隠居の身である。
 こんな候補を立てるなら、30歳代の新人に選挙の経験を積ませた方がよっぽど日本のそして民主党のためになる。何を考えているのか民主党。たぶん、菅直人の言動にNoと言える人間が居ないのだ。もっと言えば、コツコツ勉強はするが行動力が伴わない今の民主党を象徴している出来事だ。比例区で「大橋巨泉」と書くのは、関西芸人が居ないのでしかたなく書く吉本フアンだけだろう。大橋巨泉は芸人なのだ。瓦版で時の権力を批判しているのが似合っているのだ、その分をわきまえなくてはいけない。

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2001.06.28 Mint