「小泉純一郎内閣」と自民党は別物なの?

党首討論で「小泉内閣」を連呼
 ま、記者倶楽部のやることなんだが、国会の「党首討論」よりはおもしろい。党首が議席数に応じて時間を割り当てられるってのは少し違うと思う。公党なのだから構成要員の数に比例して発言の機会が与えられるのは少し違うと思う。政党を形成したら平等でなくてはならない。その意味で政党と認知されているのだから、各政党が平等な時間を割り当てられてこその「党首討論」なのだ。それが、解ってないのが現在の国会の「党首討論」なのだ。ここでは「国会の論理」が優先していて、「国民の論理」はまったく無視されている。
 その中で行われた「7党首討論」なのだが、ま、小泉純一郎は「自民党党首」の立場は忘れて「小泉内閣」を連呼していた。この姿勢に気が付いて論評しないマスコミって存在価値があるのだろうか。ジャーナリズムでは無くて、伝達媒体マイクロウェーブ野郎になってどうするって翌日の紙面やホームページを見て思った。

「小泉内閣」と「自民党」の戦い
 本当にマスコミは馬鹿だと思う。今回の参議院選挙は「小泉内閣」と「自民党」の戦いなのだ。過去のシナリオと違うのは「小泉が負けたら、自民党を出る」ってことなのだ。こんな政策は過去無かった。国民が自民党を支持すると、実は小泉内閣にNoを突きつけることになる。そうなっても良いのだが、その時の小泉純一郎の選択は「バックボーンは何処でも良い」だろう。マスコミは「メ(ピー)ラだから」自民党敗退の責任論に追従するだろうが、本当は「自民党では何も出来ない」って審判なのだ。
だから、それを受けて小泉純一郎が何を選択するか、ここがポイントになる。先の参議院選挙では敗退した責任を取って橋本総理大臣が辞職した。自民党にNoなら総理大臣が辞職するる。そんな構造は自民党の論理だ。今の「小泉内閣」にはこんな「お約束」なんてちゃんちゃらおかしいだろう。
 自民党が選挙で負けたら「小泉内閣」は自民党Noなのだ。つまり、内閣構築のパートナーに自民党単独を選ばないのだ。そのような、「内閣が政党を選ぶ」それこそが「小泉内閣」なのだ。

小泉人気をあやかりたい自民党候補
 上記の理由で、小泉人気は自民党候補に有利では無い。ただ、そこまでの流れを選挙民が読めているかどうかは疑問がある。ただ、今後6年間の任期を考えると、自民党って政党は政権政党で無くなる可能性が高い。最も短期的には「小泉内閣母体を民主党に変更」ってシナリオだ。小泉内閣は旧来の自民党がコントロールできる内閣では無くなってる。高い国民の支持ってのは、立法府から生まれた行政府が単独の権力を得たってことで、こんな内閣は過去の国会で無かったパターンなのだ。
 その恐怖を「独裁」とか野党が攻撃する前に、自民党にとって時限爆弾なのだって自民党議員の危機意識が見えてこない。やっぱりなぁって感じである。

自民党が勝つと「小泉が沈む」
 選挙期間中なのでインターネットによる選挙運動には制約があるらしい。公職選挙法では「特定の当選を有利にする」って行動を規制している。僕はここで誰も「有利にしている」つもりは無い。文句があるなら言ってきなさい選挙管理事務所。
 基本的に小泉政権ってのは自民党の断末魔の選択なのだ。そこを引きだしたのが「加藤紘一の乱」なのだ。すでに、小泉内閣誕生の半年前に、自民党は政権担当能力を失ったのだ。加藤紘一が捨て石になってこそ自民党は再生するチャンスが有ったのだけれど、加藤紘一潰しに成功して安泰と思った空白期間に森首相の愛媛丸事件当時のゴルフ騒動が発生したのだ。
 つまり、国民は「加藤紘一の乱」を是認していた。がしかし、戦い破れた実態にフラストレーションを感じていた。時の政権が「加藤潰し」に成功して我が世の春を謳歌する姿勢に割り切れないものを感じていた。だから、愛媛丸に異常に反応したのだ。マスコミの報道内容が悪いって自民党のマスコミ批判も感情的で効力を生まなかった。たしかに、マスコミの基本的なスタンスがぶれていたのは事実。ただ、ワイドショーもマスコミに加算した場合に言えるのだが。(ワイドショーってマスコミに分類されるのかぁ?)
 「加藤紘一の乱」は自民党終焉へのトリガーだった。その事態を自らの非と認め時代に合った体制へと変革する自己努力を求められていたのにそれを怠ってしまった。それが、なんでも無い「首相ゴルフ続行」なんて本来引いても引ききれないトリガー(撃鉄)が効いてしまったのだ。
 そして「森のデブ」が退陣(とは、自民党は公式表明していない。政権交代らしい)して総裁選挙が行われた。結果から「自民党崩壊、最後の総裁は「ヘンシィンーの変人、仮面ライダー」となったのだ。で、この最後の「自民党総裁」は自民党よりも「小泉内閣」の論理で動いているのだ、

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2001.07.13 Mint