政治>ポスト小泉政権は
物理的に短命な小泉政権
何を指して「小泉政権」と言うか若干の差異があると思うが、基本的には「自民党総裁の小泉純一郎が総理大臣である内閣」を指して「小泉政権」と呼ぶのがふさわしいだろう。だとしたら、どのような外圧によるか解らないが基本的に小泉政権は短命だと考えるのが妥当だろう。自民党総裁、いや自民党そのものが数年を待たずして分裂霧散する可能性が高いのだから。
自民党を政党ならしめているものは何か。自民党として結束するその吸引力は何か。もっと具体的に言うと個々の自民党議員を自民党に留まらせる「引力」は何かを考えると、もはや、自民党が個々の自民党議員にとって存在する価値を失ってるのではと思われるふしが有る。
それは「選挙は党に委せろ」って仕組みの崩壊である。今回の参議院選挙でも多くの官僚が自民党の腹芸を受け入れた見返りに自民党から立候補し、自民党議員になっていくが、彼らは6年後の再選の時には再立候補する力は無いだろう。なんせ、後ろだての自民党に彼らを受け入れる政権政党としての力が無くなってるのだから。
政界再編成が起こり、その結果は
政界再編成は小泉首相が唱える「改革無くして繁栄無し」はスローガンとして分かりやすいが、具体的な話しとなると良く解らない。がしかし、現在の延長線上では繁栄は無いと言うことで、言ってみれば、現在の自民党政権の総決算ならびに、リストラを目指しているらしい。
選挙の広報でも「小泉内閣を支える自民党」と小泉純一郎は自民党と一線を引いている。小泉純一郎の考える政治のパワーバランスでは、自分の切り札は「小泉内閣」であり、この切り札を支えるのが、「今は」自由民主党であるが、それが「自由」+「民主」の政党であっても一向にかまわないってアピールをしているように思えてならない。
先に書いたように党首討論においてすら、「小泉内閣」の代表を標榜し、自民党総裁は念頭に無いような発言を聞くにおよんでますますその印象を強くする。
国民の選択は自民党体質にはNoなのだ
自民党の総裁選挙に3たび立ったのは、過去の敗北の中で何も学習していないのでは無くて、十分学習して、そして国民に近いところに政治を持ってこなければならないって戦略を感じとり、その方針の元、総裁選挙に勝っても負けても身の振り方が見える故の最後の挑戦だったのだろう。それは、半年前の「加藤の乱」から学んだ最後の選択肢だったのだろう。
負けた場合のシナリオこそが大切だったのだ。それは、YKKと一緒に自由民主党を出て新しい政党を模索し、3ヶ月後の参議院選挙で5議席以上を獲得し、野党との連合を得て「小泉内閣」を作るシナリオなのだ。それ故に、一番総裁に選ばれて驚いているのは当人である小泉純一郎そのものだろう。
ここで小泉純一郎のシナリオが狂ってきた。何故か自民党も考えていた以上に深刻で、小泉純一郎を使わなくれは政党としての吸引力を失うと考えていたのだ。だとしたら、国民の政治への吸引力は政党である自民党よりも小泉純一郎そのものにあるのだ。だから、自民党を無視してでも「小泉内閣」を前面に出したほうが小泉純一郎の価値は大きくなる。
さらに、今回の参議院選挙で自民党が勝とうが負けようが小泉政権には関係の無い話しで、選挙結果は何処が小泉政権を支える政党になるのかってリトマス試験紙くらいの意味しか小泉政権には感じられないだろう。
政治の混迷から日本が自立する
そろそろ新しい自民党を目指して野に下った人々の登場の時代である。自民党は駄目だと言って自民党を去った人々が多く出たが、その屋台骨である自民党が既に崩壊の状態である。小泉純一郎を選ばなければならなかった自民党の「お家の事情」は、まさに、十代の子供を将軍の後継に選んででも、現在の制度を温存する江戸時代と同じである。その結果がどうなったかは歴史が証明している。つぎはぎの政権継続の後にはドラスティックな政権交代が現れているのだ。
若干の入れ替え、例えば労働厚生大臣や国土交通省大臣(なんせ、与党と標榜してるから)は有るかもしれないが、「小泉内閣を支える政党」が自民党から「自由」+「民主」+「社会民主」あたりに替わっても、さしたる政治空白が無く遂行できるだろう。何よりも現実的なのは、先の3野党には「俺が総理大臣をやる」って意識は無いのだ。参謀、学者の集まりなのだから、誰が担ぐ総理大臣であれ、うまくやっていける布陣なのだ。
小泉純一郎が本当にやりたいのなら「改革無くして繁栄無し」は支持政党が自由民主党では出来ないのは、小泉純一郎自身が一番知ってるのだ。