政治>自衛隊を派遣せよ
Show The Flagで、びびるな!
まったく、アメリカのお国事情から出た「Show The Flag」にビビって、「Show The Flog」になりそうな日本政府。小泉首相もアメリカ行くならコーワからケロヨンをもらって持って行ったら良いのだ。ブッシュの前で「This is Flog」とか言って。
もっと滑稽なのは、小泉首相がアメリカに行く政府専用機をオペレーションしているのは航空自衛隊なのだ。ベースは北海道の千歳基地にある。これが、小泉首相を「輸送」するわけだ。
そもそも「Show The Flag」はアメリカ国内で「日本は何をしてるんだ」って意見を封じ込めるために、意思表示の振りをして欲しいって純粋にアメリカの国内問題から発せられた言葉なのだ。これを真に受けて「自衛隊を派遣しなければいけない」って勘違いが出てくる所が日本の政治の貧困なのだ。
日本も竹槍(って、古いなぁ)でタリバンの構成員の一人でも突けば良いのか。それが「Show The Flag]なのか。もちっと冷静になって考えてみる必要がある。今の日本はパニック状態だ、いやパニックって言葉はふさわしくない、アメリカの脅しにおびえるチキン状態なのだ。「虎の偉を借りる狐」が本家本元の虎から尻を蹴り上げられた状態なのだ。そこでびびって顔色を赤くしたり青くしたりしている。
日本はアメリカの52番目の州なのかと思ってしまう。そもそも、脅しを真面目に受けとめて自らを省みるってのは外交の世界では馬鹿しかやらないのだ。相手が何故そんなメッセージを発するかの裏を読め、行間を読め。と言っても、今の外務大臣が田中真紀子ではなぁ。
テロとの戦いには警察が最適だが、海外となると相手の武力と均衡を取らないとならないので武装兵力が必要になる。そもそも、自衛隊発足の経緯自体が警察予備隊だった。テロと民主主義の戦いってお題目があるのだから、これに参画するのは同然の決断だろう。
「広報支援」は有っても「後方支援」は無い
日本が憲法の範囲内で出来る支援とは、ズバリ「精神的支援」でしか無い。「頑張れアメリカ」と叫ぶことが日本が出来る最大限の支援なのだ。コートで戦う選手を「ニッポン、チャチャチャ」と応援するのと同じで、自らコートに降りて行けないのだ。もっとも、アメリカが太平洋戦争終結時に日本に押しつけた憲法が「軍隊封じ込めの憲法」だったのだからそれはしょうがない。
その「封じ込めの憲法」に今一番苛立っているのが、押しつけたアメリカであろう。親日派が何も知らない他の議員に「日本は何もしない」と攻撃される鉾先を日本に向けて「Show The Flag」と言ってるのが現実なのだ。
朝鮮戦争の時に憲法の範囲内で警察予備軍を編成せざるを得なかったのも押しつけた憲法の制約があるからだ。現に、韓国ではベトナム戦争に兵士を出兵させているのだ。これは韓国の憲法になんら抵触しない。アメリカの戦後処理は日本を封じ込め、アジアの覇者たらんとしたのだ。しかし、ベトナム戦争撤退後アメリカのアジア外交が変わったのだから、日本に機能を移管すれば良かったのだ。それを放りっぱなしにして、結局今では日本のみババを引いた格好になっている。それが、アメリカが仕組んだ事なのだが、あの国は政権が変わるたびに過去の事は継承されないので消えてしまっている。
日本がアメリカに押しつけられた憲法の制限の中で、日本が出来るのは「広報支援」だけなのだ、それが、55年前にアメリカが日本に求めた事なのだ。だから、「アメリカ、チャチャチャ」と叫んでやろうじゃないかい。
その事を踏まえて、日本は以下の選択肢がある。
1)軍事にはいっさい手を出さない支援。
難民キャンプの運営を主体にした警護、保護に徹する。
もちろん、難民キャンプにはタリバンの一派が紛れ込み、戦闘に戻っていく可能性がある。これを「警察のように」取締、警護する。また、難民の生活支援のために無償の食糧援助、難民同士のボランティア編成、医療の提供などを行う。
「日本は第二次世界大戦でアメリカの都市の焼払い作戦、原爆投下等の経験を受けているので戦争が非戦闘員である市民に多大な犠牲を強いることを良く知っている。今回日本の旗は難民キャンプ地において翻る市民支援の旗である」と、言ってみろ小泉首相。
2)いわゆる「後方輸送」支援
国会の馬鹿な議員どもは、「後方支援とは何処まで指すのか」なんて論点で愚にも付かない議論をダラダラ行ってる。後方支援なんて概念は無いのだ。所詮、戦闘行為加担なのだ。だから、いわゆる「後方支援」なんてオブラートに騙されてはいけない。上記の1)で無ければ全て戦闘行為なのだ。
「武器弾薬の補給(出撃への加担)は出来ないが、輸送は出来る」なんてのがテレビで朝日新聞の論説委員と称する人間がわめき散らしているが、馬鹿じゃないだろうか。いやいや、これが朝日新聞の良識なのだからあきれかえってしまう。
武器弾薬は目でみて兵器そものである。しかし、兵士への食糧も戦車の砲弾と同じ機能を持っているので弾薬そのものなのだ。本来戦争は人殺しである。最終的に人殺しする兵士も広義の兵器なのだ。その兵士が喰う食糧は弾薬と同じなのだ。それを解ってない論説委員を抱える朝日新聞には御愁傷様と言って置こう。「補給を断て」ってのは武器弾薬だけでは無く食糧が再重要目的なのだ。そんな事はガダルカナルでの日本軍の敗戦を省みれば解るだろう。
ロジスティックス(兵坦)には武器弾薬もさることながら食糧が最重要なのだ、テレビドラマの「コンバット」を見て、サンダース軍曹が部下から牛肉の缶詰めをオイルサーディーンの缶詰めに交換してもらうシーンを見て我が母は「牛肉喰って戦争してるんだから、負ける訳だ」と訳の解らない事を言っていた。それを横目に父は「物量作戦ってのは兵士に牛肉の缶詰が渡るまで徹底していたんだ」などと感心していた。つまり、食糧も、いや、食糧こそが重要な戦略物資なのだ。これを運ぶ事は戦闘行為の対象にならないなんて論理は何処から出てくるのか。敵が有っての戦争であり、社民党が納得すれば世界が納得するものでは無いのだ。タリバンは食糧輸送を平和の部隊とは思わない。
弾が飛んでこない後方って概念は大陸弾道弾すら有る現在では有り得ない。と、同様に、運ぶ物が何かによって直接戦闘加担か間接戦争加担かの区別も無い。戦地に運ぶ行為そのものが敵から見たら戦闘行為なのだ。その事実を踏まえて議論してもらいたい。宅急便じゃないのだから、運ぶ物の選別で時間を無駄にしてもらいたくない。「運ぶ」と方針を決めたら、戦闘行為なのだ。何を運んでも敵には「戦争加担」と見なされるのだ。些末な議論は国民に選ばれた国会議員の討論する場では辞めてもらいたい。
基本は単純である。戦争に加担するか、難民援助に徹するかなのだ。戦争加担のスケールの上げ下げなんかタリバンから見たら猶予の範疇では無いのだ。自衛隊がハンバーガー1個でも米軍に運んだら、タリバンからは敵なのだ。
自らの問題として考えよ!>馬鹿社民党
僕は今回の事件を「日本に向けられたテロ」と考えるべきだと思っている。アメリカの「施設」に向けられたかもしれないが、そこで働く日本が多数死んだのだ、「行方不明」なんてオブラートに包んでいる場合では無い。日本人が海外でテロの犠牲者になったのだってことを踏まえておきたい。WTC(ワールド・トレード・センター)での被災って事はまさに、企業戦士の死なのだ。
ここに着目しない人とはこの件で議論する気持ちは無い。何故ならば、「アメリカを標的にしたテロ」とか「(アメリカのために戦う)集団的自衛権行使は憲法上出来ない」とか言ってる以前に、我が国がテロによって20余名の国民の命が失われた当事者なのだとの意識を持ち、このテロを自国への攻撃として、対応を考えなくては日本は国民すら守れない国家とあざ笑われるだけなのだ。その方針の元、アメリカと協同路線を取る戦略が出てくるのだ。繰り返すが、ビンラディン氏を拘束する論理は「自国民殺害容疑者」だからなのだ。
しかし、今の政治家どもの頭の中にはアメリカから言われて右往左往しているだけで、当事者としての責任能力がさっぱり感じられない。社民党のキャンキャン吠えるなんとか早苗とか、自国民がテロに殺された国の政治家なのか。「殺されたのでは無くて、行方不明」とでもいいたそうな様子だが、危機管理ってのは先を読んだ戦略なのだ、死体が出てくるまで死亡では無いなんて理屈は危機管理では通らないのだ。
小泉首相の大馬鹿野郎は廊下での記者会見って旧来の制度を改革できない意志の貧弱さなのだが、米国追従では無いと国民に向かって首相官邸からメッセージを発してみろよ。それすら出来ない小泉首相には「改革は出来ない」ってのは前に書いた。国民の直接選挙による首相公選って話しは何処に行ったのだ。そのシステムの優位制を見せつける絶好の機会ではないか。ここにも「口先だけの小泉首相」が良く現れている。
全員退官して傭兵となれ>根性見せろ自衛隊
言葉は悪いが、戦後引き上げ者の雇用の場として旧国鉄が使われた。その後遺症を引きずって中曽根首相によってなんとか国策雇用会社から民間会社に脱皮できた。自衛隊って正直言って雇用創出の面が無いか?
実は僕の知っている自衛官は皆、国防の精神を担ってるのだが、話しのはしばしに募集しても集まる人のレベル(あ、失礼)は民間より低いって言う。そこには「国防の志しが無い」とも言う。特別(特殊)国家公務員として、省令に合わせて数を確保しているだけで、これを兵力と呼ぶのは恥ずかしいともオフレコで語ってくれた。
他のページを見ている人は解ると思うが、これを語ってくれたのは現役の戦闘機のパイロットが中心なのだ。昔の日本軍の強さは下士官の強さであったってのは先に書いた坂井三郎さんの言葉だが、同様に「戦艦大和の最後」を書いた吉田さんも「大和の最後の戦いは、下士官の頑張りだった」と書いている。これは軍隊での教育以前に国民が戦争で手柄をたてることが国民の使命と教えられた結果だろう。で、今のタリバンはまさにここに居る。逆に日本の自衛隊は一部の士官だけが志しここに有る。下士官の強さはタリバンに及ばない。
戦後の「平和教育」(何が平和教育なものか、国際的に日本は「ニコニコ老人会」以上の活動をしていないのだ)で育った人間に求めても実現しないのが「平和はかち取る物」って概念。シビリアンコントロールも良いけど、自衛隊には「沈黙の艦隊」の精神は無いのか、去勢された闘牛のようなシビリアンコントロールで良いのか。そのシビリアンコントロールの国会は馬鹿の集まりなことはテレビの政治番組で明白だろう。「黒猫ヤマトの宅急便」が出来ることすら自衛隊には許されないって「憲法解釈論議」不毛だと思わないか。
「沈黙の艦隊」に徹しろ。軍港を出たら、前述の1)を宣言しろ。鉄砲持っていても国外なら警察の取締は無い。そもそも、武力は国家なのだ。僕は小樽港にきたインディペンデンスとカールビンソンを見て、その入港にヘリが10機以上警戒する様は、これが一つの国家なのだ「沈黙の艦隊」はまさに、この着眼点なのだと解った。
派遣で公海に出たら1)を宣言して努力せよ。馬鹿なシビリアンコントロールの奴隷で居る必要は無い。なんとか早苗の足の下に居る必要は無い。自衛隊は「平和の軍隊」って新しい概念を世界に向けて発信せよ。
自衛隊は封じ込められず、派遣される。そこで、自衛隊の自己主張をしようよ。災害派遣を耐えてきたのは、戦う自衛隊では無くて「平和の軍隊」ってことなのだ。それを馬鹿な政治家の頭を越えて、世界にアピールしようよ。
「沈黙の艦隊」の漫画は自衛隊艦船の常備品なんだろう。ガタガタ言う奴には公海に出てから「日本に」帰ってもらえば良いじゃないか。
軍隊が平和の使徒なのだって、日本が言い出さなければ誰も言わない概念だぞ。