テロ対策こそが専守防衛なのだ

専守防衛は日本に蓄積されている
 本来テロを防げなかったアメリカ政府の責任が語られるべきだ。少なくとも文明国(が、何かは良く解らないが)は正当防衛でしか武力は使わないのだ。テロを根絶(テロリストを殺す)する事は出来ないのだから、テロから自らを守る事を考えなくてはいけない。それを、不可能な命題「テロ撲滅」に走ってしまうのは考えが浅いとしか思えない。
 まったく驚いてしまうのは、テレビでは、したり顔して「目には目を、歯には歯をです」って言ってる評論家が出ていることだ。これはイスラムの教えの「謝罪方法」のことなのだ。相手の目を奪ったら目を差し出して謝罪せよ、相手の歯を奪ったら歯を差し出して謝罪せよって考え方だ。これを、拡大解釈して「アメリカはイスラムの教えに従った」って解説は、それを放映する放送局の責任も当然さが、日本のテレビの底の浅さを示している。所詮「テレビは物を売るための道具なのだ」って事を放送を担う人間が認めているような出演者選出なのだ。馬鹿じゃないの、ワイドショーでジャーナリズムが自ら首を絞めていることが解らないディレクターの無能ぶりってのは。
 テロは仕掛けてくる。これを防ぐのがテロ対策である。仕掛けて来ることを根絶出来ない。世の中には何処にも気違い(ピー)が居るのだ。気違い(ピー)を根絶することは人道的配慮に欠ける。だから、攻撃されてから反撃する「専守防衛」の考え方が必要なのだ。
そのための手だては打っておかなければならない。が、今回のアメリカの準備はスキだらけで、そこを突かれたのに、自らを反省することなく「かましたる」ってのはどうなのか。本当に国民を守りたいのなら、先に書いたように「テロ防衛対策強化」ってのがベストの選択ではないだろうか。今のタリバン攻撃はベターか、それ以下の選択だと思う。
 専守防衛とは防衛に専念するってのはとはちと違うと思う。「やられたらやり返す」ってのをもう少し進めて、「やられないようにする」って事ではないだろうか。つまり、専守防衛は正当防衛よりは事前的で、防止の考えが含まれるって考えると良い。
先に航空機テロ対策として空港近辺でしか降下出来ないシステムの開発と書いたが、GPSを利用して解除措置をしないと高度を下げられないシステムも考えられる。民間航空機をテロの道具にしない配慮は「予防」を踏まえた専守防衛の措置になると思う。
 日本の電子機器の技術をもってすれば(なんせ、GPSアンテナはSONYで決まりなのだから)このような機器の開発は可能と思われる。
日本の「交番」のシステムもテロ対策として有効だ。最近警察は交番の警察を増員するらしいが、まさに、これはテロ対策として有効なのだ。「kooban」も日本がテロに対する対策として提案できる方法だ。

専守防衛は報復攻撃と違う
 現在のアメリカの刑法は「死刑」を犯罪への抑止力と考えている。日本でも死刑廃止論への反論としてこの点が上げられる。がしかし、人を殺す時の人間の精神ってのは理性なんか無いだろう。行動を抑止するのでは無く、思考を抑止する(他人に殺人を依頼するとか)効果しか無いのではと思う。犯罪を防止するってノウハウはアメリカのような国家としての歴史が浅い国には蓄積されていない。とりあえず「力の行使による抑止」でしか無い。その裏返しがアメリカの活力でも有るのだが。
 「攻める」力があれば「守れる」ってのがアメリカの発想だ。この発想には「攻める相手が特定される」って制約が付く。見えない相手には「攻める」ことが出来ない、だから守れない。典型的なのはアメリカは共産革命におびえ続けていたって事実がある。思想を伴う確信犯には無力だと自ら気が付いているのだ。
 そこで、予防的専守防衛って思想が出てくるのだ。アメリカの文化と違う発想なのだから、当然理解を得るまで紆余曲折はあるだろう。でも「やられてから考える」って報復攻撃より「やられない」って対策こそが国民を守る国家としての使命達成なのだろう。そのために「隙を作らない」対応を行うべきだろう。この任に当たるのは軍隊では無い。アメリカではテロを防止できなかった責任がCIAに有るような論調だが、実はFBIに有るのだ。

守って忍耐のほうが難しい
 アメリカの武力行使は10月の上旬、戦法は「特殊部隊の地上戦」あたりが、現時点で考えられる。地上戦の前には空爆もあるだろうが、その対象はテロキャンプに向けられた重火器の破壊だろう。
 その後、泥沼の地上戦に展開する愚を侵すかどうかは解らない。良識からすれば特殊部隊のオサマ・ビンラディン氏の殺害および死体の搬出が最高のシナリオで、これが失敗に終わった場合の対応はかなり難しい。最も安全なのは北部同盟のカブール奪還と新政府(と、言うか、国連に認められた政権は北部同盟なのだが)樹立の支援。最悪なのは米軍の進駐とタリバンとの戦闘だろう。
 国務長官の選択は前者であり、兵器産業の望むのは後者であろう。
 ここはアメリカの良識が何処にあるか見きわめたい。報復により同じ様に肉親を失う家族を増やして良いのか、この議論が3週間経って徐々に出てきている。
軍事行動が10月上旬とすると、テロ事件から1ヶ月が過ぎた次期だ。この時点でも感情的に報復実行が叫ばれるか疑問がある。「テロを根絶する戦いに終わりは無い。我々はテロに強い国家を樹立して、テロ実行を封じ込めるのだ」とかブッシュが宣言して治安対策を優先する。そんなシナリオが何処かで既に書かれているような帰気がする。要は、その発言が説得力あるタイミングは何時かってことだろう。なんせ、ブッシュは再選こそが需要でアメリカや世界がどうなろうと、対して関心は無いようだから。

専守防衛こそが、文明国の誇りなのだが
 「痴漢に会う女性には隙がある」。こんなことは一般論では言えるが被害当事者を前にして言うことははばかられる。同様に「テロに会う国には隙がある」とアメリカに言っては喧嘩になる。がしかし、テロ対策が甘かったってアメリカ自身の問題として考えるべきなのだ。
 ハイジャック防止に何か策を講じていたか。実は、ここに「隙」が有った。ハイジャック防止が緩くなっていた。そこを突かれたのだ。日本よりも多民族なアメリカ、その国家を運営する姿勢に「警戒」をもってするか「友愛」をもってするかの基本方針を考えるに、やはりアメリカは建て前友愛、本音警戒が必要なのだろう。このバランスが少し狂ったようだ。そこに「隙」が出来たのだ。
 本当の意味での「自己責任」が実はアメリカ政府が出来ていなかったとはなんとも皮肉な話しだが、「自己責任」って考え方を考えると、「為していない者は被害を被る」ってことなのだろう。無作為は被害につながる社会が「自己責任社会」なのだろう。今回のアメリカは「無作為」だった、それを外部に向けて「報復攻撃」なんてすり替えるのは、そしてそれに国民が踊るのではアメリカってのはまだ幼児国家なのだと思う。

Back
2001.09.26 Mint