右往左往のテロ対策
結局自衛隊は1500名も余ってるのか?
「平成13年9月11日に...」長文のいわゆる「テロ特措法」だが、この実施に向けて何の脈絡もない行動が続いている。そもそも、現地調査と称してシンガポールにやっと艦隊が到着したばかりなのに、基本計画が内閣の承認を得てしまった。漏れ聞く所によると民主党がパキスタンに派遣した調査団の報告を受けて急遽陸上輸送等は行わない事になったとのこと。
現地ではアメリカの空爆に対する反感が日本で考えているより数段大きく、パキスタンを自衛隊が歩いているだけでアメリカの片棒担ぎとして襲われる恐れが有る。そんな情報を野党の調査団から受けているのが現在の政府の「情報収集能力」なのだ。
イージス艦を出すとか出さないとかの議論も、まず「出す」ありきで「出す論理」が後付なのはまったく右往左往としか言いようが無い。
それにも増して、日本の防衛が手薄にならないのかの議論が無いのがなんとも情けない。「治に於いて乱を忘れず、乱において治を忘れず」の姿勢が全く感じられない。そもそも、イージス艦は北朝鮮のミサイル脅威からの防衛策として配備されたもので、現在北朝鮮のミサイルの脅威は当時と比べて薄れたのだろうか。そんな判断も無く、「出せ出せ」はまったく馬鹿じゃないのかと思う。
また、自衛隊は「国を守るための必要最低限の武力」だったのだが、1500名と複数の艦隊が日本を留守にしても「国を守ること」が出来るのか。
1)守れるとしたら
「国を守る最低限の武力」になお1500名の余剰が有ったってこと。
2)守れないとしたら
基本計画を承認した政府はアメリカへの面子のために国を売った売国奴なのだ。
こんな基本的な事がまったく論議されてないのは「右往左往」でしか無い。
敵は「アルカイダ」からか「タリバン」になっている不思議
テロとの戦いがテロ擁護政権との戦いに変化したのは何時なのか。マスコミも平気で「タリバン攻撃」と言い始めたのは何時なのか。国連に認められてないとは言え「タリバン」は政権である。政権と戦うのは戦争である。ブッシュ大統領が言う「新たな戦争」でも何でも無い。昔から有った国と国の戦争だ。
イスラムとの戦争では無いと言うのだから、同じように、政権との戦争では無く、ならず者集団、アルカイダとの戦争。でなければ論理矛盾するのだ。現在の日本の報道は「アメリカとイスラム政権であるタリバンとの戦い」と書いて全然矛盾を感じていないようだ。
北部同盟を支援したロシアと結果は同じになってしまっている。しかも、アフガニスタンが今後ゲリラ戦を中心にした内戦に入ることは明確でアフガニスタンの国民から見たら「混乱をもたらしたのはアメリカ」となる。
太平洋戦争終結後のアメリカのように進駐軍で一気に文化を書き換えるような事は出来ない。たまたま日本は明治維新からの短命な神国の軍事政権だったから新しい文化に染めるのは容易だった。がしかし、イスラムの国の文化にアメリカが入っていく事は出来ない。そもそも、イスラム国家からはアメリカはユダヤ人の国に見えているのだ。結局「内戦を誘発して去っていくアメリカ」の図式は免れないだろう。
そもそもパキスタンを「テロの側に付くのか、我々に付くのか。テロの側に付いたら敵だ、壊滅的打撃を与えてやる」と、まるで「ならず者」の恫喝を行ったのはアメリカのブッシュ政権だったのだ。その意向を受けてテレビで泣かんばかりに「しょうがない、アメリカに協力しないとこの国は無くなってしまう」と国民に訴えた大統領の心情はアメリカが思うほどスムースな交渉成立では無く、パキスタンの多くの国民に「今に見ていろ!」と反逆の魂を植え付けたのだ。あの画面から大統領の苦渋の選択を見た人々の心情をあまりにもアメリカは理解していない。
現時点で、アメリカがタリバン政権を倒したのだ。もはや、アルカイダ壊滅、ビンラディン拘束なんてのは絵空事になっているのだ。これからの地上作戦は「時限爆弾が地雷原を歩く」みたいなもので、とにかくボコボコにされてしまうだろう。
日本が平和のテーブルなんてあり得ない
「キリスト教でも無い、イスラム教でも無い日本が平和のテーブルに付かせる事が出来る」なんて知識人ってのは奇妙な幻想を描くものだ。仏教には「総ての権利は戦い得られた物である」なんて思想は無い。共産党宣言もキリスト教もイスラム教も戦って得るって狩猟民族の基本原則には忠実だ。
そもそも、ニューヨ−クでの慰霊祭に様々な宗派が参加したが仏教は居なかったじゃないか。坊主が読経をしないニューヨークの慰霊祭に違和感を感じた人は多いだろう。戦後処理ってのは大学の卒業生の謝恩会とは違うのだ。会議の後の懇親会とも違うのだ。日本人が考える戦後処理って奴は「料亭で一杯やりながら仲良くしようよ」って感覚でしか無い。こんな論理で、しかも「日本で会議を開催」って言っているのだから日本の常識は世界の非常識と言われるのだ。
戦後処理とは国益のぶつかり合いだ。国益のなんたるかも知らない日本の政治主導で平和のテーブルなんか演出出来ないのだ。ブレア首相の「出たがり」を小泉が真似しても出来ないものは出来ないのだ。
日本に出来るのは経済援助。知恵も武力も無いのだからそれしか選択の余地は無いだろう。何故、それに逆らってまで「右往左往」するのか。滑稽でしか無い。国民の声を聞く耳を持たない。改革の変人内閣が非常時に変人ぶりを発揮して、それを止められない。やはり小泉は第二次近衛内閣と同じ轍を踏むのだろうか。当時と同じく外務大臣も変だし。
人口爆発の社会現象に留意
日本も含めて先進諸国と言われる国々では人口の増加がとまっている。対してイスラム圏を中心にした石油資源を生かして経済を発展させてきた国々は人口の爆発劇増加に頭を悩ませている。
石油資源は前にも増して外貨を吸い込んでいるが、人口の増加によって国民一人当たりの石油による経済恩恵は減少している。医療が国営で総て只って時代では無くなっている。公衆衛生は向上したが産業育成に失敗してるので大学を出ても国内に就職先は無い。産油国の若者の失業率は先進諸国の数倍にカウントされている。
五味川純平の「戦争と人間」には経済の海外侵略を追うように軍隊が海外侵略を重ねる様が描かれているが、この時代の日本には「富国強兵」の政策の元、限られた国内だけでは無く、海外に富を求めたのだ。しかし、産油国の現状は、経済が行き場を失っているのが現状だろう。だから、若者は職も無く過激なテロリズムに身を投じて行くのだ。選択肢が非常に少ないのだ。
かと言って、先進工業国は膨大な人口に裏打ちされた産業育成を予め叩いておかないと自分たちの利益が守られない。だから産業振興に手を貸すふりをして工場を建てるが生産物は買いたたく。出来れば買いたくないのだ。
アフガニスタンは地球温暖化による影響を強く受けたと思われる。本来が高地で降雨量が少ないのに、温暖化でますます湿度が下がり砂漠化が進んだ。その土地に2億人もの人口を養える産業は無い。故に、イスラム原理主義に則り、消費を極力抑えた経済政策を講じなければならないのだ。それを自由の侵害とか豊かさの否定とか外部から言うのはたやすいが、今、現実に食べるものに困っている経済状況に有る者に、それを指摘しても意味が無いだろう。
自然との共生が21世紀ビジネスの核になるだろう。まず、人口抑制と自然保護を自らアフガニスタンやパキスタンで行うのが日本の役目ではないだろうか。貧乏人の子沢山はやがて戦闘的子供たちを生み、世界の暴れん坊になっていくのは日本がつい100年ほど前に経験しているのだから。