官僚的制度の終焉

リストラ流行と合併流行の矛盾
 始めに断っておくけれど、リストラは社員の首切りの代名詞になっている日本のマスコミの用語読解能力の貧困さにはあきれてしまう。「テロ」とかもそうだ。テロリストを指すのか、テロリズムを指すのか正しく情報が伝わらない。「炭そ菌」の疽(そ)のひらかな表示、に至っては読者を馬鹿にしているのかと言いたい。一部には記者用の辞書に無いのが原因との話もある。これは本末転倒だ。
 リストラはリストラクチャリングで、再構成と言うのが本来の意味。企業の持てる資源を再配分する戦略(ストラテジィ)の実施方法なのだ。勝手に造語するから国際的に意味が伝わらないカタカナが横行する。レポート、テーマ、ステレオタイプ、みんな本来の発音や意味を正しく伝えられなくなっている。
 さて、この真の意味のリストラが企業に急務なのは時代の変遷と伴に硬直した前例主義方式が非効率になった事があげられる。時代の変化が少ない時には前に巧くやった方式を見習えば良く、役所が10年1日のごとく単調に繰り返してきた官僚主義的業務遂行方式が理にかなっている。前例の無いものには目をつむっていれば良い。雑音なんだから、放っておけば良い。それで総てが巧く行く。
 変化に対応できない方式なのだから、変化する時代には再構築しなければならない。組織を軽減し機動力を産ませる再構築なのだ。その一環として社員の減少が計られるのが日本で言う「リストラ」である。
 しかし一方では金融を中心に企業提携や合併、持株会社方式が進められてる。

官僚的体質は金融機関に堅調だった現象
 護送船団方式の銀行界においてMMC等の新金融商品を自行が取り扱う決済を行う役員会の様子は以下のようであったらしい。
1)それは大蔵省に認められるのか
2)アメリカでもやっているのか
3)他行もやってるのか
以上の条件がYESであれば、自行も取り扱う決済を下す。
なんとも、先に書いた官僚的体質である。で、金融機関はこれで良かったのだ。時代が血気盛んな足の速いビジネスとして金融を捕らえていなかったし、なまじ冒険する経営者は船団を乱すアウトローになってしまうのだから。
ここに真の競争は無かったと言える。その金融機関が持ち株会社を中心に大型化の道を歩み始めている。なんとも時代に逆行した選択と思えてならない。スケールメリットってのは産業革命以降、工場の生産設備と生産量に関して言われるもので、逆に事務部門にはスケールメリットは無い。そこには同じ仕事量でより少ない人数で行う作業効率追求が有る。
 金融は特別で大きいほどメリットが有るとは思えない。現にアメリカでは1980年代に企業の大型合併が多かったが、合併後数年で今度は部門単位に外部に切り売りして結局、事業範囲をリストラクチャリングして来た。もし、今、金融の大型合併がその道を歩むのなら、都銀・地銀・信金の枠では無く、企業向け、個人向け、証券向けと機能を再編成して分割する時代が早急に訪れるだろう。ただ、市場は「生き残りのなりふりかまわぬ経営統合」としか見ていないが。

実は政府も同じ事を考えている
 「大きな政府」を望むのか「小さな政府」を望むのかの議論とは趣が異なるが、行政も肥大化よりもスリム化を目指さなければ生きて行かれない。大きな組織は末端まで配慮するまで神経が行き届かない。そこで、前例に添って行うことを前提に決裁権を末端に委ねると効率が良い。それが官僚的前例主義により可もなく不可もなく運営する手法だ。
 しかしこの手法で行政は国鉄のストライキから電電公社の国際入札から管理する手間が掛かりすぎた。しかも、民間感覚で対応しなければならない事柄を官僚的手法で取り扱うのだから効率が悪いに決まっている。小泉首相の「民間で出来るものは民間で」って方便は、国が行う非効率を軽減する。
 同時に、国民の税金を消費していた組織が、国庫に税金を納める形態に変化する。これは国の財政にとって大きなメリットになる。国も赤字経営団体に頭を悩ませる必要が無くなる。
1990年代から各国共通のキーワードは「民営化」だった。最も急進に行ったのがニュージーランドで、必ずしも成功しなかったが、政府のコストが劇的に軽減した。この改革の波に10年遅れて日本も取り組むことになった。その正否は21世紀の日本の国際社会での正否にまで関わっている。

官僚的手法も必要な場面が有った
 時代の仕組みが一部のエリートに委ねておけば良かった頃なら、末端は官僚的に動いていれば良かった。しかし、高齢化、高学歴、1つの事業が100年続くなんて考えられない今の時代にそれは弊害でしか無い。企業が「リストラ」で人員削減を行うのは公器としての使命を忘れた姿だ。自分の社員を切っておいて製品は今以上に売れると考えるのはおかしい。収入の無い消費者を作っておいて自社製品だけが消費者に受け入れられると考えるのは傲慢である。
 ソニーですら「我が社は人材の会社である」と言っていた井深氏や盛田氏の理念を忘れ社員削減に走ってる。
実は資本本位制(資本主義と呼ぶのは間違い。資本主義なんてイデオロギーは無い)経済の欠陥が日本の企業経営者の判断を誤らせてる。企業経営に株主が参画してくると目先の利益にのみ企業は存在することになる。アメリカの経営者がまさにこれである。従業員を切り、長期設備投資を避け、短期の利益にのみ邁進する。企業の業態は関係無い、鉄鋼関係企業のCEOがハンバーガーチェーンに横滑りする。そんな経営者に企業が公器で社会貢献の道具であるなんて話はチャンチャラおかしいのだろう。
 日本の風土を考えてみれば、株主は見知らぬ資本家で配当を狙う金の亡者では無く、共同経営者であるって考え方が相応しい。アメリカ金融にボカボカにされた金融、証券が株主第一主義で会社を経営せよ、企業の目的は利益であるなんてアメリカ式を迫るからおかしくなる。戦後55年を過ぎて尚、日本は敗戦国なんだと思い知らされる。
 この面では非常に官僚的で良いのだ。日本には日本の会社経営方法が有る。それは江戸時代から続いてきた家族的経営である。これが日本を繁栄させてきた。アメリカのような多民族国家と違い日本は少民族故にアメリカとは違った経営が有るのだ。と、言い切らないと、護送船団方式でまったく世界に通用しない金融、証券がアメリカの思うままに食いちぎられ、やがて企業も潰されるのだ。
 既に金融、証券はアメリカの軍門に下った。この次に狙ってくるのは企業だ。そして、着々と政府すら狙ってるのがアメリカだ。

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2001.12.07 Mint