政治は一度ほころび始めると次々と
古いタイプの政治家を自認する鈴木宗男
「私は古いタイプの政治家ですから」との言葉の裏にはどのような思いが込められているのだろうか。利権政治? 恫喝政治? 口利き政治?
考えてみると日本の「三権分離」は立法府と行政府の間は分権されてないことが解る。議院内閣制で国会が行政のトップを選ぶ。行政のトップは常に立法府のひも付きになる。ここで甘い汁を吸っていたのが「古いタイプの政治家」なのだろうか。その意味でも首相公選制は三権分立の意味からは、より進んだ制度と言えるかもしれない。
そもそも政治家は制度(法律)を作るのが職務で、税金を執行するのは行政の裁量権に任されている。そこに口を出すのは行政権の侵害だ。しかし、ここで官僚と政治家の馴れ合いが数々の不明確な税金の執行を招いている。
政治家の本来の仕事を全うすべきだが、利権がらみの族議員に支配される立法府は結局官僚の法案作文を根回しし自己都合を付加し、本来の議論の場である国会に提出される前に法案は骨抜き、利権誘導になっている。自民党と言うか与党の部会で事前信義される運用は決して民主的では無い。日本が2大政党制にならなのは法案の成立過程が野党抜き、与党の独壇場である面も災いしているだろう。
いきおい野党は法案なんかどうでも良くて特定の支持団体のご機嫌取りしか閉会中の仕事はない。それで良かったのは何を選択しても日本丸は浮沈空母だった時代背景があったからだ。いまこそ政治家は国民から預託された権利を行使して日本を立て直さなければならない。
小沢一郎が述べているが「公武合体なのか尊皇攘夷なのか、そのあたりの大きな選択と決断が国会に求められてる」のだ。ソープドラマのように田中真紀子の言った言わない、外務省官僚叩きはもう終わらせて、鈴木宗男もバッサリ始末して、日本の危機に立ち向かってもらいたい。
ソープオペラの語源を調べていたら
Any Way。
最近「電波メディアの歴史」なんて本を読んでいたらラジオの商業放送(最初は民法3局、1年をたたずに日本放送協会に統一された)から85年、テレビ放映から50年、その普及にそれぞれエポックがある。例えば国民のラジオ普及率が最高だったのは1943(昭和18年)から終戦(敗戦)までの期間で、これは主にラジオが空襲警戒警報、空襲警報を流すのでその情報を得るために当時はポータブルラジオなんか無いから人の胃行き来する所にはラジオが設置された。
テレビの普及とともにラジオは衰退するのだがこれを救ったのがトランジスタ・ラジオでありモータリゼィションに乗ったカー・ラジオであった。
で、歴史の勉強では無くて、テレビの広告、特にスポット広告と時間帯別の視聴者分析によると午後の早い時間は主婦層の視聴が多く、ここにメロドラマを持ってくるのが1970年台の流行になった、このときライオン油脂(現在のライオン)と花王石鹸(現在の花王)が同時間帯に「ライオン奥様劇場」等を流していたのでこれらの昼のいわゆる「よろめきドラマ」をソープドラマと呼ぶ。なんて記述が有った。
まさか、和製英語が世界標準になった訳でもないだろうと思いながらも確かにスポンサーはライオンや花王であった。調べてみると英語ではソープオペラでありソープドラマって英語は無い。しかも何故ソープオペラと呼ばれるかと言えばアメリカでも同様のマーケティングからP&G社が午後の早い時間の主婦層を狙って1960年代にいわゆる「よろめきドラマ」を流していたのだ。この傾向をアメリカではスポンサーの商品を揶揄してソープオペラと呼び、それが日本に同じように流れてきたらしい。
ま、余談だが。
3月危機はあるのか無いのか
どこまでを危機と呼ぶかによるが、金融恐慌が起きるような危機は無いだろう。が、その一歩手前までは行くかもしれない。ノンバンクの倒産で主力銀行が存亡の瀬戸際に建たされる所までは行くかも知れない。ノンバンクも金融だから金融恐慌かもしれないが銀行が破綻するような事は起きないだろう。
小泉首相が退陣にまで追い込まれるのは3月危機のような事態では無く国民の支持が落ちる夏頃だろう。消費がまったく戻ってこない、そのためにダイエーのように店舗閉鎖があいつぐ。残った店舗は競争の原理が働かなくなるので今までの安売りが減ってくる。今までのように物価が下がっていれば給与が増えなくても良かったのだが実質給与が目減りしてい来るのだからもはや小泉首相には期待できないと国民感情がなる。そして後任を出せない自民党は、実質的な政権投げだしになる。そして選挙を経ずして政権交代。これが今年後半に起こる可能性は高い。
ま、このような予測は当たるか外れるかよりも、その予測が面白いかが使命なのは百も承知なのだが。