律令国家制度の終焉

国家運営の基本を見直す
 政治家と金の問題は常に「自分の金意識の無さ」に起因すると思われる。じつは政治家に限らずいわゆる「公金」と呼ばれる金は「自分の金意識の無さ」が目立つ。例えば企業交際費、自腹では行かない(行けない)ような金額設定でも許される。原価に対して差は無いのに「他人の金」を使う者に向けての金額設定がある。それは「相手がいくら使ったか」が大切な接待と呼ばれている世界で流通する。
 実は国家の運営でも末端では「自分の金の意識の無さ」が蔓延してる。例えば「地方公共団体が発注すると割高」なんてことがまかり通っている。同じ施設でも市町村が発注すると2、3割高めで完成する。何故なのか。「自分の金の意識」が無いのだから取る方は取り放題になってしまう。それを許す相手なのだから徹底的にタカル。だから地方公共団体の発注は高くなるのだが、それを常識にしてしまってる業界の常識が恐い。
 国とは何か、多くの定義がある。基本は「国土、国民、主権」が存在するのが国家って定義だろう。そしてその運営形態は「律令制度」つまり誰かから集めて運営する仕組みだろう。
 江戸時代なら農民から領主(土地の持ち主って定義して)が米を集めてその経済物資で国を運営していた。明治の時代からは「税」って仕組みで金を集めて国家を運営してきた。この仕組みを作ったのが大化の改新以来の日本の律令国家制度なのだ。

税金によらない国家運営とは
 本質は何も変わっていない。「国家」って名の元に金を集めてその「国家」を運営する仕組みなのだ。国家公務員ってのはその運営経費で賄う労働力なのだ。地方公務員も同じだろう。にも係わらず昔の表現で言う「親方日の丸」の不効率は是正されない。本来、民間企業に率先して組織運営のあり方の実験室みたいな機能を果たさなければならないのに、まったくオール窓際族の不効率を許してる。
 民間企業が出来ない分野を、民間企業が出来るなら手を引く、それが小泉行革の骨太の方針だったはずだ。だとしたら、組織運営も含めて民間が出来ない方法を指向したらどうなんだろう。給与に関してはまったく民間の逆になってる。何時も右肩上がりで各種手当は組合の言うがまま。いまどき「ポケベル手当」なんて民間に有るかぁ!。
それを廃止する意識すら理事者側に無い。正直言って民間の委託計算センターに居た時もあったので市町村の給与の仕組みには精通している。2重帳簿で一方には「図書手当」なんてのが一人1万円も出ていて、一方の帳簿では時間外手当に化けてるなんてのは多くの市町村の給与で見てきた。それにおくすることなく「この図書費は非課税だよねぇ」って年末調整の生産でクレーム付けてくる役所も有る。まったく、どうなってるんだ。
 具体的市町村名はあげないが、「職員の職員による職員のための給与」になっている自治体を目にしてあきれかえった。
 今の厳しい時代に右上がりの給与で安泰してる公務員は絶対おかしいのだ。公共事業と同じく「公共給与」をむさぼる国家、地方公務員はもちっと現在の民間感覚を持たないと革命で殺される。本来国家を運営するには理念が有って、そこに経済が付いてくるのだ。理念が無い今、金を税金で集める国家は泥棒なのだ。常に「税金収入によらない国家運営」を考えていなければ国民は容認しないのだって意識が欲しい。

1500年の歴史は不変では無い
 新しい律令制度は現れないのだろうか。国家も地方自治体もコストセンターでは無くてプロフィット出来ないだろうか。それを検討する事は国にしか出来ない。今のままで税金をむさぼり喰う組織で良いのだと思う人々の集合体では国民主権の考え方は生きない。
もっと、「企業には出来ないが公共団体では出来る」ってことをアピールしないと先に述べた「公共団体の作る施設は高くてあたりまえ」って世界に落ちついてしまう。本来なら政治が一番触り易いのだから政治家主導なら国家公務員ならびに地方公務員の給与を見直す事は十分発言できるはずだ。律令国家制度の中で何を改革するかを考えてもらいたい。「公僕」て何なのかをもう一度考えてもらいた。公務員は「ご苦労さん」手当で給与が支払わてるのでは無いのだ。多くの地方自治のコストとして「最高の就職先」ではいけないのだ。そのための市町村合併で「リエンジニアリング」なのだ。そもそも、役場が最高の就職企業なんて地方自治体は廃止すれば良いのだ。存在理由が無いのだから。

国連と同じ運営はどうだ
 全ての税は地方自治体に入る。その中から地方自治体では手に負えない「外交」と「軍事」に対して中央政府に拠出金として払う。そんな制度にして議論をガンガンしなければならない。だって、サラリーマンの給与からの源泉は一番の「用途と不明金」だぜ。
 地域が狭すぎる故の「しがらみ」、広過ぎる故の「無関心」これらを是正するのには50年くらいかかると思うが、やはり市町村を同じ様な大きさにしなければ今の人口による投票制度による国会は保てない。選挙で何時も問題になる1票の格差は実は「頭数(人口)を基本」にした論議なのだ、これに反論する「国土の広さ」ってのは議論しても永久に合意を見ないだろう。
 まず国家公務員(一般)は全員くび。その中で必要な国としての機能だけは再雇用する。そして残った国家公務員は地方に「売りに出す」。そこまでやっての改革ではないのかなぁ。
 北海道が予算が少ないので軍事に金が出せない。なんだ、北海道がロシアに侵略されないための軍事じゃないのか、てな議論が国会で(単なる国防&外交組織ね)行われるのが良い。公共事業の是非なんか、中央に金を集めてからの再配分論理では是正の余地は無い。辞めるには国が集める律令制度の論理を正面から受けとめることだ。そして「エラソウに」地方を指導してきた愚考に目覚めるべきだ。そもそも「全国全て東京」って「東京馬鹿」が国政を握っていた時代は終焉するのだよ。
 「地方の時代」をいかに潰してきたか。それは国民が望む「律令国家」とは何かからの議論が必要な根本的な政治体制への議論である。その議論を開始すべきだ。ポイント・ゲット・ゲームのような、宗男、辻元、加藤問題で遊んでいる場合では無いのに、ま、国会議員てのは脳天気で税金喰ってる、ま、国家の癌細胞だな。
 この際、「国会を辞める」って選択肢も有っていいんじゃないかい。

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2002.04.02 Mint