治外法権を主張できない外務省

有事法案なんて審議している場合か!
 「日本が外国から侵略された場合..」てのは事前に考えておくべきだろう。その事自体否定するつもりは無い。しかし「有事法案」の中身は官僚の作文で政治家が言葉の定義にすら満足に答えられない、本当に「有事」になったら政治家が責任を持って運用出来るのか。それが最大の不安だ。結局、超法規的処置になってしまうくらい判断が不明確になっている。
 いやいや、有事法案や個人情報保護法案については暇が有れば後で書くが、5月8日の中国、瀋陽日本総領事館への北朝鮮国民(と思われる)5名の亡命に対する対応をビデオで目にするにつけ、日本は外国から侵略されて滅びる心配をする前に、内部から融けて無くなってしまう心配をしたほうが良いと思えてならない。
 大使館、領事館の治外法権は我々の世代では常識であった。学校で教えるとか以前に明治から日本を取りまく外交のなかで「内政干渉」(日露戦争後の遼東半島を手放した歴史は常識だった)、「治外法権」(開国初期の諸外国への手厚い不平等条約)なんかを常識として知っていた。
 今回のビデオは韓国の支援団体による撮影だが、そこに映し出されている領事館職員の対応は目を覆いたくなる。そもそも帽子を拾っているが、これは敷地内に入った証拠であり、チョークで線を引いて現状保存するならいざしらず、拾って返すなんてのは外交と小さな親切運動をはき違えているのじゃないだろうか。
 こんな領事館員が居る事が大いなる日本の恥晒しなのだ。まったく、外務省は親善パーティ機能しか無いのなら省から局に格下げすれば良い。地方への権限委譲の中で国の機能として残るのは防衛と外交なのだが、今の状態では地方は独立国になったほうがましだ。

詳細は「あきれかえる」内容ではないのか
 白髪三千条の国だから誇張もあるのだろうが、中国側からは事の真相が公式に流れてくるが、その内容は信じられないほど外交の常識に反している。外務省を含めて「中国側の公式見解は嘘だ」と決めつけている反応が有るが、事実確認をする前に自らの常識で物を言ってはいけないと思う。
どうも中国の声明が正しくなければ無理な事柄が多々ある。
もちろん、ジュネーブ条約の治外法権を警備のためとすり替えるのは詭弁であり、これは中国側の主張は失当である。特に女2名と幼児に「テロリストの危険性」は99%無い。自爆テロの可能性は有るが治外法権なのだから敷地内での自爆テロは日本に責任がある。警備の網をくぐられた瞬間に中国の責任は「ある意味で」消えたのだ。
これ以外の部分については不可解な中国側の公式声明だが、事態はそれを裏付けているような部分が多い。
 かけ込んだ男性2名は建物の中に居たのであって、これを連行するためには中国武装警官が誰に阻止されることなく建物(門から30メートル内側)にたどり着き、なおかつ家屋に「侵入」しなければ出来ない。治外法権の領事館に武装警官が入ることを容認した(ジュネーブ条約でも侵入を認めれば可となっている)事実が有るのだろう。逆に「勝手に入って来た」てのなら日本の外交は「こしぬけ」ってことだ。外交は国益を掛けて戦うもう一つの戦争だ、それすら「戦争放棄」して日本は国として成り立つのか。
 保身のために情報を隠す官僚の典型が今回の外務大臣への報告だろう。「5名が亡命を求めて領事館にかけ込んだが男性2名だけが領事館にたどり着いた」ってのが最初の外務省の発表であった。もちろん情報リソースは瀋陽総領事館の情報だろう。ビデオが公開されなければこれで一見落着してしまった可能性がある。
武装警官によって領事館敷地が侵略された事実なんか報告されてないのだ。その結果5名全員が敷地内にかけ込み、内3名の婦女子が中国武装警官によって押し戻された事実が解る。その武装警官の帽子を拾っている副領事官の様子も知る事ができる。
 その後の対応を見ると、領事館は親善パーティ以外の「厄介事」は地元の警察に委せるって「マニュアル」で運営されていて、それに瀋陽総領事館も従ったのではないかと思われるふしがある。結局、外務省ってのは平和ボケの中で機能を失った過去の遺物なのかもしれない。この10年程前に「ペルー人質事件」の教訓は何も生かされてないのだから。

「中国武装警官」てのは軍隊なんだけど
 日本のマスコミはいつも同じ、売れる情報しか扱わない。例えば大連の航空機墜落事故で日本人旅客のパスポートが見つかったって領事館の声明は嘘っぱちだったのだ。この事象が象徴的だと思う。ここに構造的崩壊の芽が見えるのだけれど、週を明ければ「鈴木宗男」にシフトするのかな。
 実は領事館を警備していた「武装警官」ってのは日本人の感覚にある自治省所轄の警察とは違う。日本で言えば自衛隊の所轄の「自衛隊員」なのだ。その軍隊がずかずかと治外法権の大使館の敷地に入って来たのだ。
 日本の感覚で言うとアメリカ領事館に武装警官、つまり兵器を携行した自衛隊員が侵入したってことなのだ。それに「帽子を拾ってあげる」って対応しか出来ないのが今の外務省の出先機関なのだ。これって、税金の無駄使いじゃないの。
僕は「外務省はいらない」とは言わない。外務省が機能を果たさなくなったのは何が原因か、それが、本来の外交を行う外務省に帰する障害なのかを明らかにして議論しなければ日本の「外交」は無いと思う。
ここで、5月13日の外務省の声明が入ってきた。内容は詭弁だ「中国人がかけ込んで来たと思った」ってのが公式声明である。それ故に武装警察の侵入にも「国内問題」として対処したって「脳天気」な声明である。緊張感が無い。自己保身の説明でしか無い。官僚の答弁そのものだ。そもそも「難民と思われる」って感覚を「中国人だと思った」ってことで保身し「そう思った故の対応である」で保身している。そんな答弁が過去は通じたが、そんな「官僚の作文」は通用しない事態が「帽子を拾う行為」なのだ。何を詭弁しようが、「中国人だと思った」勘違い、「不可侵を破った武装警官」に対して何もしていない責任は明確だ。「手を広げて遮った」なんてのは言い訳だろうがぁ。そもそも不可侵の地域に入れた責任を「私は努力した」って作文で覆い隠している。基本は不可侵地域に入れた責任なのだ。「中国人と思い、国内問題として音便に対処した」ってのは外交では無い。「フーテンの寅さん」行為を国民は外交に求めて無いのだ。

小泉の主張の「再発防止」てのはイミフメ
 「馬鹿なのに出たがり」ってのが小泉の立ち番会見かな。総理大臣であり公選制度を口にしたのだから新しい執務室でカメラに向かって国民に直接語れよなぁ。小便ついでの立ち記者会見てのは総理大臣の意見表明の場では無いだろう。そこで「再発防止」なんて言ってる小泉は外務省と同じく脳天気なのだ。亡命を求めた5人の気持ちを考えるのが人権を考える原点だろう。小泉の感覚は「外務省においての再発防止」なのかぁ。
 だとしたら、「お前も官僚じゃないか」と国民は言いたい。
 他国の国民が日本に求めた事に答えられない政治は国際的に孤立する。かつてユダヤ人に無条件で国外脱出のビザを書いた日本人も居るのだ。それに比べて小泉の「立ち番会見」は、「さんまのスーパーからくりテレビ」の安住アナウンサーに絡む町の酔っぱらいと違いが無い。
 問題は「再発防止」では無いのだ、今の当事者をどうするかってことなのだ。「人権」って事に何も考えが無い小泉に「有事」なんて委せられないのだ。はっきり言って小泉は「祭り上げるお雛様」なんだなぁ。これって、熊本のお殿様と同じだな。まったく能力を疑うってこと。常に当事者意識の欠如した対応では総理大臣の席も終戦記念日までかな。だから、事前に参拝したのかな?

Back
2002.05.12 Mint