政治の末期は解散総選挙しか無い

政治は末期に向かっている
 どうなのかなぁ、基本的に郵政民営化が持論の小泉首相と6月14日のサッカーの日本戦を観戦したい小泉首相は同じ人間なのだ。とすると、結局「わがままな変人、小泉純一郎」なのかもしれない。
 日本が滅びるのは外国からの侵略では無い、国内の政治腐敗、行政不信によるのだって「有事立法」への意見は的を射ていると思われる。この国は衰退に向かって歩み始めたのだ。その衰退の原因は目的喪失のいわゆる「先進国病」である。そもそも日本の体力は国際バランスを左右するほど大きいのだが、どうも国内的対応が多くて国際的視野が不足しているここ10年だった。他の先進国も同じように「先進国病」に罹患したがそれぞれ政治主導で完治に向かったのだ。
日本政府には国としての機能と地方としての機能を分離する動きがあるが、国の機能は外交と防衛と言えるだろう。その国の機能が果たされないまま本来地方自治の範疇である地方自治体への地方交付金がカットされ続けている。国の無駄使いで余った部分が地方自治体に交付金として配分されてるのだ、そんな税金の使われ方に納税者である市民は意思表示の機会を得ていないのだ。
情報化社会ってのは市民が情報に関心を高め、マスコミがより多くの番組編成を政治に裂くのだが、マスコミはまだ未熟でワイドショー的ではある。日本が「この10年で10人の首相交代があった」ってのは今までは首相を生み出す構造が機能していたのだが、それが機能不全を起こし、出る首相出る首相全て偽物だったからだろう。つまり「民意」が解らない首相を選んでしまう政治の仕組みの構造不全が原因なのだ。それを「国民の政治不信」と一括するのは楽だが、実質、政治の機能不全なのだって危機感はヒョーロン政治家には無い。まったく馬鹿じゃないのだろうか。

衆議院4年、参議院6年の制度はもう古い
 小泉首相が「まだ、半年なのだから、まだ一年で何が出来る」なんて方便で言い訳しているのは時代の変化を熟知していない脳天気なのだ。情報化社会ってのはテンポが早い。じっくり構えて根回し腹芸って時代は、まさにIT化で構造改革されるのだ。瞬間瞬間で的確に判断を下すことがリーダに要求されるのがIT時代のリーダの宿命なのだ。昔は「情報を把握して」なんて時間を必要とした、でも、今は情報はリアルタイムで入手可能であり、暗号化して電信(モールス符合)で送る日米外交の時代(これは、外務省のパープルと呼ばれる暗号だが)では無いのだ、即決が出来る環境にあるのだ。公文書になるまでは「情報入手出来てない」なんて言ってるから瀋陽領事館事件で遅れをとるのだ。
 物事を具現化するには時間がかかるってのも言い訳にしかならない。その時間を必要とする要因は情報伝達に時間がかかるからだ。がしかし、IT化はその時間を短縮しているのだ。
「1週間で結果を出せ」ってのは決して無理な注文では無いのだが、昔の感覚で物事を行うには数年の時間が必要だって感覚が蔓延している。
衆議院2年、参議院3年が今の時代のテンポに合うと思うが、ま、議員が自らの既得権を見直すはずも無いか。

民主主義ってのは理論
 各国の政治制度は違えども、いわゆる先進国と呼ばれる国は民主主義的運営で政治が行われている。政治制度ってのは多種多様で、そもそも国家が律令国家に成ると同時に政治制度が必要になったのだ。
小集団で部族的運営であれば政治制度は必要が無い。ここには共存共栄のゲマインシャフトの論理が強く、部族の掟が有れば部族は存続していくことができる。
が、いわゆる近代国家ってのは国としての存在意義を定義し(日本では日本書紀あたりかな)、国を運営する制度を律令国家に求め(荘園はこれの初歩的形態)、その運営を政治制度として確立した国会と言える。
 だから、鎌倉幕府の時代も江戸幕府の時代も日本は国家だったのだ。ただ、その国家を運営する政治制度が現在と大きく違っているだけなのだ。運営方法は全員民主主義なのか一部民主主義なのかの違いだけだ。政治制度の運営に誰が参画しているかだけの違いと言っても良いだろう。
 良く独裁と民主と対立して語られるが、独裁ってのは一部の人の参画する民主主義と定義すれば対立して語られるのはおかしいと感じる。要は、全ての人に政治制度への参画権利が有ると考えるかどうかの違いなのだ。
その意味で今の日本の政治制度は国会を中心に三権分立って考えで司法・立法・行政が分離しているような制度にはなっている。がしかし国会は二院制であり、選挙権は20歳以上の国民には与えられてるが、被選挙権は衆議院で25歳以上、参議院では30歳以上と定義されている。本来政治制度に参画するのは選挙権のみではゴマカシで、議員を内部に送り込むことが政治制度への参画なのだが、25歳以下の選挙権を持つ人間の政治への関与は「投票」以外何も無い。ここがおかしいとは誰も言わない。実は、ここが変なのだ。
選挙権が有るにも係わらず被選挙権が無い事実を論理的に説明した資料を知らない。感覚的で情緒的でしか無い。それは「国民に閉ざされた政治」の証左なのだが、これを問題視する声すらほとんど聞かない。
 「自民党政治」と言われる政治は民主主義とかなんとか言うのでは無く、今の政治制度に咲いたアダ花なのだ、今の政治制度は何処か機能不全を起こしている。それに気が付き改善を語る能力を今の政治家に求めても「自分自身の私的事柄」の範疇なので改善策なんか出てくる訳が無い。

政治制度改革は政権交代以外に実現は無理
 どうして55年も同じ政治制度を続けてきたのだろうか。そこに空白の10年なんて事態まで起こしているのに。
結論は簡単である、それが「都合が良かった派」が多数を占めたのだ。組織も仕組みもそれを生みだした制度に依存しているのだから、依存した制度を変えるなんて意見は生まれてくるはずがない。
 国会の構造に「与党」と「野党」がある。たんてきに言えば「与党」に居ないなら野党なのだが、55年前に与党と野党の的確なバランスが合意されてしまったと思う。野党は万年野党なので実現不可能な野党の政策を立案して語っていれば良かったのだ。細川政権ってのはこの点で革命的であり、その後の村山政権も努力して来た。がしかし、与党でない者は野党って考えが体臭のように染み着いたバックボーンを抱えてはとても政権を運営できなかった。
全部「義務教育」である。その義務教育が学生自身理解していない。聞くと半分以上が「学校に行く義務があるんでしょうぉ」って二十歳にもなってそんな知識しか無いのかと逆ギレしそうになる。義務教育ってのは子供を経済的な理由で学業を受けさせずに就労させる親の行為を縛るものなのだ。子供が学業放棄するのは「義務教育」では縛れない。
 日本には教育者に対して「先生様」みたいな信仰がある。子供が通っている学校に対して「預けたら託す」みたいなことが美談だと思う意識がある(ま、預けたら、厄介はあちらって無責任さも有るのだが)。それが教育を「聖域」にしているのだ。我々は納税者だ。納税者は税金を払って「預けたら(払ったら)、託す」ってことでは、この国は成り立たないぞ。教師は公務員で公僕なんだ「先生様」では無くて子供の針路を決めるパーツなのだ。そこをアンタッチャブルにして、あなたの子供はあなたの思うように育たないのだ。
 民意を政治に反映する最大の敵は現在の立法府に居る政治家である。日本の政治制度が抱える問題点は三権分立と言いながら国会議員が行政に圧力をかけることでる。それは議員内閣制度で行政は国会の一機関って制度の欠陥だと思う。その欠陥を巧みに利用して暗躍する政治家が居る(ま、イニシャルでMさんと言っておこう)。
そこに日本の標榜している「民主主義」の矛盾が集約されている。新しい政治制度を作らなければこの国は内部崩壊するのだ、それを今の国会議員は意識してないと思うだから、「政治不信」なのだって国民の声も意識してないと思う。
 政治制度が変わらなければならないのだ、そのためには現行政権を葬り去らなければならない。その後に新現行政権を築くことが政治制度の変革なのだ。
 現行政権維持のために総選挙をやらない小泉首相には「時代」が解っていない。

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2002.06.16 Mint