長野県の例はこれからの地方自治の課題

大統領制を模した地方自治の制度
 あくまで「模した」の部分が今回の不信任案可決。アメリアでは弾劾裁判って司法の手続きによるのだ。長野県の場合は「気に入らないから辞めさせる」って次元の低い、民主主義を無視した、県民不在の県議会と知事の確執が生んだ現象なのだ。
 一番的確なのは、この議決により知事選もしくは県議会選が行われるがどちらか一方だけで10億円の費用が必要なことだ。ま、来年改選だから前倒しになっただけって考え方もあるが10億円もの金が1年先に必要な事情は変わらない。
そもそも少数意見と言えど話し合うってのが民主主義の基本で、戦後の馬鹿な文部省は多数決が民主主義だと学校で教えた。そのための学級会であり議決なのだ。長野県が日本で一番日教組の勢力が強いってのと今回の事件は相関していると思われてならない。田中知事以前の長野県は「県庁」、「信濃新聞」、「日教組」のどれを悪く言ってもつまみ出されるのだった。
長野冬季オリンピックを見れば明かなのだ、あれは開催都市長野市が消えて長野県オリンピックなのだ。札幌だって冬季オリンピックを開催したが北海道オリンピックでは無くあくまで開催都市が中心の札幌オリンピックだったのだ。長野県の異常さは長野(県)オリンピックで国内に広報されたのだ。ま、気が付く国民が少なかったってことは有るけれど。

「住民の代表」同士の「争い」
 知事は住民の選挙で選ばれる、県議会議員も住民の選挙で選ばれる、ここが日本の国会の「議員内閣制度」と大きく違うところだ。国会では政党の党首が総理大臣として選ばれる。
 「同じ住民の代表を二つも選んでなんか間違ってないか」と思う人が居たとしたら大きな勘違いだ。日本は国を治める制度として「三権分離」を基本にしている。つまり、知事は「行政のトップ」であり県議会は「立法のトップ達」なのだ。選ぶ目的が違うものを一緒にして語ってはいけない。
この事を踏まえると田中知事が担う職責が解ると思う。田中知事は基本的な勘違いがある。それは行政のトップとして業務範囲外の「政策立案」に手を染めて、それを「改革」と呼んでいる部分だ。知事は「行政のトップ」なのだ、だから、行政(役所)改革から始めなければならない。が、田中知事は「立法のトップ」と勘違いしてしまった。
 ま、これには「立法能力の無い県議会」って問題が背景にある。何も決めない名誉職ってのが地方自治体の議会なことは戦後60年も続いている。三権分離の「立法」を担う議会は日本全国何処にも無いのだ。「行政に委せっぱなし、議決するのが議会」って構造は民主主義を蝕んできたのだ。ここに議員各位が気が付いていないのが、なんとも情けない。志し無き政治家が蔓延して、今の政治不信が出来ているのだ。

このパターンはこれから増えるはず
 政治道楽が過ぎるニセコ町の逢坂町長に言っておきたいのだけれど、これからは役所出の組長の時代では無いのだ。地方自治でも行政たる町長と立法たる町議会は常に「対立しながら協調する」って均衡関係に有るのだ。住民は行政の長には経営感覚を求め、立法には個々人の利益代表を求めるのだ。だから、組織運営の妙なんてテクニックでは組長を選ばないのだ。先のNTT労組のてつを踏まないように「夕刊小川」なんかに出てる場合では無いと自覚されることをお勧めする。HBCの「一筆啓上」にまで出て、それがニセコ町の何になるのか考えてないのだろう。個人の手柄だけじゃないか。住民不在だな。
 長野現象は先に述べた「行政の長」と「立法の長(達)」の対立だ、がしかし、そもそも両者がその機能を理解したら対立なんかするのだろうか、すれ違いなら解るが「ガップリ組んで対立」ってのは無いと思う。それが対立に見えるのがどちらかが相手の領分に踏み込んだからだ。
 住民本位に立って考えよう。住民は「行政のトップ」として知事を選び、「立法のトップとして(かなぁ(笑い))」議会議員を選ぶ。行政のトップは内に向かう県職員の業務改善、効率向上に向けられるべきだ。予算案作成にもこの配慮が必要だ。長野県の経済をどうするかって政策論議は本来知事の職務権限では無いのだ。がしかし、今の日本には、「政策立案、立法化」を考えない議会と、自ら「立法に手を出す行政」の構造が蔓延しているのだ。その事実に国民は長野県を見ながら気が付かなければならない。
東京都の石原慎太郎の言動もこの構図で見るとおかしいのだ。東京都議会は遊んでいて給料をもらっている税金を食い物にするダニではないか。立法機能を無くして決裁機能だけ残してるのは仕事を軽くして名誉職にしたいからだろう。仕事しないなら辞めてしまえ。

北海道で何時? 札幌で何時?
 うん。この情報は書きたくないのだが、来年の札幌市の市長選挙や北海道庁の知事選挙ではまったく政党・政治によらない「個人」が当選する。
 それは、立法と行政の癒着が現在の閉塞状態を招いていると気が付いた市民のパワーなのだ。行政の経営を託すのが組長選挙なのだ。その意味では納税者は株主、株式会社○○の社長を選ぶのが組長選挙なのだ。既存の組織から出ても良いが、組織から出た経営者がまともな成果を上げないのはUFJ銀行だけでは無く広く一般に出ている現象だ。
株主たる(納税で出資してるのだ)住民は行政のトップには経営手腕を、立法のトップ(達)には政策立案を求めているのだ。だが、出てきた候補者は組織の論理しか知らないこっぱ役人、立法出来る能力もない名誉職議員候補。あきらかなのは投票率の低下。冗談じゃない、立候補したタマが魅力ねぇんだよ。と有権者は叫んでいるのだ、それが投票率の低下なのだが、「若者の政治離れ防止」なんて手先の施策に選挙委員会は金をつかう。ま、立て割社会の妙だが、個性的な改革を目指した候補者が立てば投票率なんかなんぼでも上がるのだ。
 来年に向けて札幌市も北海道も「長野県の魂」が解るひとがトップになるだろう。名前はあえて書かないが。

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2002.07.11 Mint