どうなるのかなぁ、補欠選挙

国政選挙だが与党も野党も問題山積
 7つの選挙で選挙前は5/7が自民党与党派。この割合を守ればよしとするのだろうが、地方の「既存の政治屋には委せられない」の波は予想を越えて強い。長野県で田中康夫氏が再選された事もマスコミの取り上げが少なくなったので「過去の事」と思いがちだが、マスコミに取り上げられなくなったら無くなる訳では無い。
依然として「既存の体制を打破しなければどうにもならない」って1年前の小泉発言は国民の意識を代弁しているのだ。ただ、その事を与党3党がどこまで受けとめているのか、この一年を見る限り方針と行動の間に180度違うと感じる人は多いと思う。つまり、既存の組織の座布団の上に胡座をかいて「改革、大切ですよぉ」と言っている様子は見え見えなのだ。
4/7確保出来れば良いのか。3/7なら敗北なのか。この改選区が7ってのは微妙な数字だと思う。しかも改選区は全国に分布し、その4つが「自らの議員辞職」故の選挙区なのだ。加藤紘一、田中真紀子の後がまを選ぶ選挙なのだ。
 しかし、野党にも迫力が無い。先に書いたが鳩山由起夫の党内人事の失態は、もはや日本には野党は存在しえない。つまり、2大政党で右か左かはシビアな政策論争になるのだって政治風土を作るのに失敗したってことだろう。旧社会党的な「反対勢力=野党」って構造を改革出来なかったのだ。その責任は大きい。
 政権党になるために小沢一郎と組まなければならないのは自明である。にも係わらず党内調整の名のもとに政権奪取よりも「党内友愛」を配慮して何もしてこなかったのが民主党鳩山由起夫代表だったのだ、だから、「改革」しなければならないのに、ま、穏和な労働者の代表のご老体を担ぐのは何を考えているのかメッセージ性に欠ける行動だ。
 ま、社民党や自由党まで書く気は無い。泡沫政党と蹴飛ばしておく。共産党は名前すら上げる気にならない。

馬鹿ばっかりで国政選挙とは思えない
 もう何回も書いているので読んでいる人は目にタコ状態かもしれないが、今日(10/10)始まった選挙戦でも「景気回復、地方から日本を変える」みたいな発言をしている立候補者が多い。選挙を人気投票化してるのは候補者自分自身なのだ。自分が当選して島根県の経済を良くするって発想は何処から出てくるのか。国政を担いたいって志しが有るのなら「外交と防衛」を語らなくて何の志しか。有権者に甘い汁を配るのが選挙戦なのか。まったく「馬鹿なんだからぁ」。
 選挙民はなめられてる、選挙公約が「アメ配り」でなければ選挙戦では無いって候補者ばかりなのだ。その馬鹿のために投票所に行きますか? 投票率の低さは民度の高さなのだ。悪いけど都市部の投票率の低さは国政への関心の薄さでは無くて候補者が馬鹿ばかりだからなのだ。地方は地縁血縁で投票率が高いだけなのだ。立候補してる候補者の馬鹿さ加減は地方も都市部も同じなのだ。まったく「馬鹿なんだからぁ」
もう何回投票所に行っただろう。その度に思う事は、こんな方法が最高の民主主義じゃないって事に人類は気が付いているのだろうかって事。あの投票所の選挙管理委員会の人々は最高の名誉(か、最高の休日出勤手当か知らないが)で最高の民主主義を担っているのは我々だと勘違いしていること。人類は生長している、民主主義だって制度で言えば発展途上なのだ、投票所で紙に書く方法がベストでは無いのだ、ベターの下から3番目くらいなのだ。
 僕は前にも書いているが「国政選挙は有権者は全国民」って考え方を持っている。島根県のお家の事情は島根県議会選挙でやってくれ。これだけ情報社会が発展したのにアメリカの大統領選挙はパンチカード、しかもゴアがマイアミで勝っていたらしい。
 国政は国民に影響する。だから有権者も国民でなければならない。地方の代表が国政に参加する方式、制度は明治時代の「やむにやまれぬ」妥協だろう。それを変えなければ国政なんて存在出来ないのだ。

とにかく結果待ち
 今の選挙制度ではどうもならんけど、基本的に地方の自己責任の立法と国政の立法は分けた方が良いと思う。国政選挙は全ての投票権が全ての国民に有り、地方区なんて明治時代の制度は辞めるべきだ。そして、「国防と外交」で政策論議を闘って欲しい。経済なんて課題は国がなまじ律令制度で税金の名の元に金を握っているから起きる問題なのだ。実際には火の車で、借金上手が国をそして地方自治体を潰してしまったのだ。
 右上がりを一番信じていたのは借金地獄の政府なのだ、小泉首相はそのことに気が付いているらしいか、小泉存命(物理的に)の時代だけでは解消されないだろう。だから、強固な方針の実施をしなければならないのだが、道路公団悪者説(これって、役人の常)ばかりではどうにもならない。
僕が感じる「役人気質」ってのはとにかく「自分以外の悪者を見つける手法にたけている」ってこと、これが僕の認識する「役人根性」だ。自分は常に悪くない。どこかに悪い奴がいる。自分はその被害者なのだって制度に組み込まれて生きている情けない実情が今の「役人気質」に反映している。鈴木宗男事件は振り返ってみるとまさに、ここに行き着くのだ。「悪い奴をあげつらって自分は生き延びていく」それが役人根性なのだ。それを行政のトップである政府が無関心なのだ何故か。結局、立法府長が行政府の長になるって現行の制度の矛盾なんじゃないか?
 とまぁ、そんな話しを無視して選挙戦が展開されるのだろう。正直言ってこれを「国政選挙」と呼ばなければならない現状に矛盾を感じる、なんせ僕に投票権が無いのだから。

地方が競争する社会を作るべきなのだ
 北海道に住んでいて恥ずかしいのだが、今の地方は中央と連携するのでは無く、独自の政策を実行すべきなのだ。そのために隣接する自治体と「競争する」って意識で政策を考えてもらいたい。
 アメリカのブッシュ大統領は「テロリストの側にいるのか、我々の側に居るのか世界は個々の国に返答を求めている」なんて演説をした。で、カザフスタンの大統領の泣きながら米軍受け入れになったのだ。これと同じだ。隣の市町村と連携するのか(市町村合併)それとも独自で進むのか、それが個々の地方自治体に求められている時代に入っているのだ。
 その意味で、国政選挙も変わらざるを得ない。がしかし、現在までの候補者は「精神的ジジイ」でしか無い。国政に送り込んでも「役たたず」だろう。その人間に投票しに行く人間って、何を考えているのだろう。現在の選挙では60%くらいが投票率だ。残る40%には確信犯が居る。投票拒否要因が制度に生かされない状態が続く限り、国会とか地方議会とかは誰も見向きもしないのに「勝手に」代表民主主義を叫んでいるだけではないだろうか。
 「投票率が有権者の50%を切った選挙で選ばれた候補者は当選無効」を確立すべきだ、出来れば「80%」にまでしてもらいたい。有効投票率が選挙の正否に生かされてないのは是正すべきだ。現状の継続では無くて、基本的に投票率50%以下では選挙は無効って制度を作る努力を「立法」を担うものが決定すべきだ。が、既に選ばれた人々(政治家)は、当選のノウハウを知っているので(無党派は寝ていてくれれば良いってこと)誰も議員を選ぶ方法には消極的か積極的利権主張者になる。本来の「あるべき姿」なんてのはまったく議論されない。それが「国民から律令国会」を預託された国会議員の実情なのだ。
この国は保たんぜぇ。

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2002.10.10 Mint