竹中平蔵が今まで勤まったのは何故?

民間感覚としては特に問題ないのだが
 なんか「ボカボカに」されてるようだが、基本的に「頭の良いおボッチャマ君」でしか無いと思う。しかも、個人主義なのだ。そんな人間が内閣に居て公僕の長になれる訳が無いのを小泉首相は間違えたのだ。民間からの登用には特に異議は無いのだが、それが的確だったのかと言われれば、竹中は「小、小泉でしかない」と言わざるを得ないだろう。
日本の経済があの「竹中」に握られてるって感覚は我々には乏しいと思う。実際は経済馬鹿の小泉は同じ馬鹿の竹中に丸投げしたのだ。だから、日本の経済はダッチロールしているのだ。
 民間を自立させなかった官僚(通産省を始め多くある)が日本経済を壊してしまったのだ。「自立する民間」と「公共事業依存の民間」を比べてみると基本的に日本は律令制度が曲がっていて、金を集めるのが政府で、それを使うのも政府なのだが、そもそも、ここに課題が有ると思う。「日本国政府」が最大の企業である間は日本に民主的な資本本位制度経済が生まれていないのだ。それが、企業献金だとか、族議員だとかの現象で証明されているのが現状だ。
 「アホに金を与えると恐いでぇ」って松本人志の感覚を僕は持ちたい。今の律令制度は「アホに集金能力を与えた」って矛盾なのだ。で、青年はアホに向かう。そもそも、金を集める機構が律令制度だとしたら、金に群がる人々を整理する仕組みの構築も大切なのだが、こちらの仕組みはまだ出来て無いだろう。
 律令国家制度で集めた金を使う仕組みが時代の流れに合わないのだ。それがどれくらい「合わない」かと言えば集めた資金が30年くらい古い産業に流れていると言っておきたい。国が産業に手を出す時代は昭和の時代に終わったのだ。これからは税金による産業育成には手を引くべきなのだ。繰り返すが「国防と外交」以外は国家公務員の仕事は無いのだ、ってコンセンスを早く作らなければならない。そもそも「国家感」が今の日本には欠如しているのだ、だから、議論されない。

民間と官庁の違いなのだが
 「単年度会計」とか経理制度に着目して比較する論調が多いが、僕はコストパフォーマンスの違いだと思う。投資対効果が民間の多くの株式会社では様々なチェックに晒される。株価であったり株主総会であったり。もっとも公器である会社が株主個人の意向で運営される今の「株主本位の考え方」が必ずしも最良な制度だとは僕は思っていない。アメリカ経済の限界は企業経営が株主への短期的利益還元を最優先にしたがために、粉飾決算すら選択肢に入るエゲツナサなのだと肝に命じるべきだろう。これでは「公器」では無い。
方や官庁はまったくチェック機構が無い。行政の不備を追求するのに住民には組長選挙くらいしかチェック機能が無いのだ。60年も続けてくると組織も崩壊寸前なのだが、その前に崩壊しつつある行政を国民がチェックする仕組みが無いのだ。
 例えば国政の面で言えば崩壊した年金制度がある。バブルの頃に年金公団は「グリーントピア構想」なんてのをぶちあげて各地に温泉宿を作った。これに必要な金は年金事業団から流れている。で、利益を生むこともなくドブに金が捨てられ施設は1円で売却。こんな経営に年金負担者である国民が意見を言う場が無い。多額の負債を生じた責任者は責任を問われることも無い。別な団体に天下り。そんな役人天国がまかりとおる制度にメスを入れさせない官僚国家が出来上がってしまったのだ。
能力が有って金の無い集団と、能力は無いが金の有る集団とどちらが国民を幸せにするか考えると自明なのだが、現在の行政は後者の論理もまま60年間国民の税金を欲しいがままにしてきたのだ。チェック機構が無いので、まさに私欲ざんまい。後世に膨大なツケを残して、個々人は膨大な遺産を親族に残して死んでいったのだ。

責任の無い者に権限を渡すのは間違
 話しを戻して竹中平蔵大臣だが、まったく「経済評論家」から脱していない。国政なんて考えは頭の中に無いのだろう。言いたい放題で責任は取らないってヒョーロン家そのものだ。その姿勢を内閣の中でも貫いている。小泉も同じように責任とらないヒョーロン家なのだが、ここに来て野党は絶叫型の小泉よりも、ひ弱なオボッチャマである竹中に鉾先を向けたようだ。
 民間ヒョーロン家感覚の竹中を攻めるのは容易だと思う。行政の長の意識は無いのだから質問すればするほど墓穴を引き出すことができる。
 そもそも国務大臣が政策の失敗に対して責任をとって辞任したことがあるのだろうか。失言での退陣は多いが、それは本来業務では無い。本来業務で失敗をして責任をとって辞める。そんな責任と表裏一体な国務大臣なのだって考えは何時の時代から忘れ去られたのだろうか。
 責任の無い名誉職の国務大臣の悪しき制度が竹中大臣を生んだのだ。それは、日本の民主主義の発展途上の一側面である。だから、発展の先にある仕組みを明示するのが「改革」なのだが、今の自民党も小泉も現状維持が好きで、改革を叫びながら先にあるものを明示出来ていない。それを追求出来ない野党にも政権維持能力が有るとは思えない。
 個人的に、壊れた日本を捨てることが必要だと思う。全部ぶっこわして新しい制度を作らなくては現在の制度は制度疲労を起こしているのだ。そこに絆創膏を張るやりかたは「延命」ではあるが「再生」では無いと思う。

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2003.02.12 Mint