政治>政治と金の関係は政治の議題では無い
馬鹿な議員は個人的に馬鹿なのだ
またかいと思うのだけれど、政治家が金に走って不正を働くって事件は国政を左右する問題なのか? 僕に言わせれば「個人の資質の問題」としか思えない。「自民党的体質」とか野党は言うけれど、これも僕に言わせれば「政治屋的体質」なのだ。500人も居るのだから馬鹿も混じる。その馬鹿が選挙で選ばれている事こそが問題なのだ。どこの政党に属しているかは些細な事なのだ。品質管理の中で不良品が多く発生するのは多く生産している製品なのだ。率は替わらないが数では多く生産しているものに不良品数は多くなる。単純な話しだ。
自民党が「馬鹿な議員」の数が多いのは同じ率なら多数派程数が多いって単純な話しなのだ。これは統計の基本の基本なのだが、マスコミとか野党とかは、ここが天王山みたいな書き方をする。所詮「うちなる不正の根源」には踏み込まない。ある意味「馬鹿が馬鹿を生む」って象徴だろうか。
実は最近「馬鹿」って言葉は刺激的過ぎるとメールで指摘をうけた。「だって、馬鹿ジャン」と返信したら「アホではどうですか」って言われた。それで、本質が見えるならそれでも良いけれど、基本的に馬鹿とアホにはタヌキとキツネくらい「化かしかた」の相違があると思う。タヌキに化かされてもキツネには化かされないぞと、良く解らないが心情的に解る表現に納得する人も多いと思う。
ま、馬鹿かアホかの議論はおいといて、所詮、国会議員一個人の問題だろう。それを予算委員会の主要課題にしてしまう国会議員は「梨元的レポータ」でしか無いのだ。国会議員として国政を担うって志を持って、やってる事は「梨元的ゴシップ」では恥ずかしくないのか。失点追求主義の野党(昔の社会党だ!)が辿った道を思い越してもらいたい
この国の舵取りが国会議員の仕事だろう、舵もとらず、ゴシップを「政治スキャンダル」として予算委員会で熱弁振るうのは自分に預託された使命を解っているのかと疑問を感じる。単に次回の選挙で当選したいから「梨元」やってるのだ。これも馬鹿議員なのだ。それを「政党の指示」と言い逃れするなら「政党も馬鹿」なのだ。
「責任政党」なんて言葉を言うが、そんなんでは責任果たせないぞ、ってことが解らない自己責任ならぬ自己満足になっているのが今の民主党なのかもしれない。
菅直人が何を言っても政党の体臭は「ゴシップ追求」の無責任野党体質でしか無いのだ。
馬鹿な国会議員は切って捨てる
単純な話しだと思う。疑惑があれば司法に委ねる。国会が捜査する必要は無い。捜査として委員会で証人喚問することが国の運営にどれだけ大切なのだ。はっきり言って与野党互いのパフォーマンスでしか無い。そんな出来の悪い舞台を税金で運営することに国民はNoなのだが馬鹿な国会議員には解らない。
全部切り捨てろ! と僕は言いたい。今の国会議員のなかで代表民主主義を預託されてる議員はどれほど居るのだ。余計な数が有るから「金と権力」に走るのだ、だから、ばさばさと切れば良いのだ。国会は只切れば良いのだ。後は三権分離で言えば裁判所が処置すれば良いのだ。
なんで、国会が全ての事に影響を及ぼさなければならないのだ。国政と立法に専念できなくて1政治家の不正が駆け引きの対象になってる野党民主党は「アホやなぁ」。
国政を担う資格が無い議員は切れば良いのだ。で、その定数が無駄だったのだから、1議員が切られた時に議席も1個減らせば良いのだ。不要な1議席が有ったってことを真摯に認め返上するのが国会の責任だろう。
何処の選挙区から減らすか議論する前に、選挙区を全国区一本にして、このような制度を利用しやすくするのが政治家自らの方針だろう。
つまり、これだけ情報化社会が進んだ今、「全国区は金が掛かる」みたいな意識は無意味で、情報化に対応した新しい全国区を創設し、その中で議員を選ぶ選挙制度の抜本的改革が必要なのだ全て「全国区」で出来るように情報伝達の仕組みは21世紀発展している。そこで、地方区なんて制度は国政に馴染まない。地方区は地方自治の範疇で生かし、国政は国政たる国防、外交に得化すべ使命を担うために全国一本選挙区で行くべきなのだ。
そのためにはスキャンダル国会を演じる制度を誰も支持してないってことを解らせる必要がある。選ばれた議員が自己を省みて客観視する能力に欠けているのはなんとも情けない。そもそも議員になるのが目的でそのために「公約」って方便を重ねるか議員になって何をするかの目的を失ってるのだ。目的が叶ったらあとは、野党の使命はスキャンダル発掘と思っている議員が多いのだろう。この「野党である安楽」みたいな構造を打破しないと日本は変わらない。もっとも「変わらない日本」であってこそ野党だって考え方のシトも民主党には多い。日本が変わってしまったら野党に安住できない、だから何時までも駄目な日本であって欲しいとでも思っているのだろう。だから、駄目なのだ。
野党に安住したいものだから対立相手の与党を存続させる。そんな発想の野党を国民は信用していないから野党の支持率を全部足しても与党にかなわないのだ。
改革は与野党問わず必要なのだ、野党に安住している場合では無いのだ。
馬鹿な金権政治家はさっさと切って、もっと国のなりわいを議論すべきなのだ。
ゴシップがうけると思う国会議員の低能
国政を担う能力無いなと思う。質問された側の問題では無くて、インタネの常識である「馬鹿な事を言ったら馬鹿にされる」の基本的な「自己責任」について考えてみたい。今の国会での議論は立法府の認識が希有だ、ゴシップ闘争でしか無い。国民無視なのだ。政治家の政治家踊りの場になっている。それは、60年前、日本に進駐軍の統治が始まったころと何も変わっていない。本当に日本人は昭和26(1951)年に独立国家になったのか、って話しをしたい。結局、「55体制が崩れた」とか言っても、それはマスコミのミスリードであって、政治家が日本国にダニのように吸い付くって事を容認してきたのが国民の自己責任では無いのか。
「馬鹿を代表に選ぶと恐いでぇ」って事が浸透するにはまだ時間が必要ってことなのかなぁ。僕は「切って切って最適な議員数を決める」て方式を提案したい。
考えてみると小泉首相がメルマガで「日米同盟」とミスタイプしてるように、アメリカに国政の要である「国防と外交」を預けてしまったのだから、本来国会なんて機能は日本に不要なのかもしれない。その不要なものを我々は60年も続けてきたのかもしれない。
今一度「日本に自律した国政は必要ない」のかどうか議論すべきかもしれない(今更って感はするが)。アメリカの52番目の州ならそれを認めて隷属すれば良い。そんな根本的な事から見直さなければならないほど日本は駄目になってしまったのか。
「日本人の文化」って話しはとても奥が深くてここでは書けないが、僕は2つのキーワードが有ると思う。一つは古くからの歴史を鑑みると「台風一過を待つ」、そして最近は「その日暮らし」。
これでは国際社会では通用しないが、国内では通用する。そんな日本的文化は大切なのだが、こと、国防と外交を担うべき国会も日本文化では困るのだ。ここは、国際ルールで行こうよ。