そもそも地方議会は機能してるのか

地域の名誉職が地域を崩壊させている
 どう考えても納得出来ないのが地方議会議員の職務だ。会社経営者が議会議員としての仕事を兼務で行っており、どちらかと言うと仕事の時間の割に収入の多い議会歳費を得ている。その歳費を次回の選挙の票に結び付けるべく使っている(なんせ、生活費なんかでは無い議員歳費なのだから)。
小沢一郎氏のお膝元の岩手県議会にトップ当選した「グレート・サスケ」はプロレスを辞めて県議会議員に立候補したと思ったのだが全然違うらしい。プロレスラーの兼業としての議会議員だと言う。それなら、歳費は必要の都度申告してもらう制度で良いのではと思う。なにやら月給80万円なんて話しが聞こえてくるのだが。
 その歳費は市民の税金なのだが、それを使って地方財政を睨む機能も発揮もせず、借金漬けにしたのはこれらの兼業議会議員では無いのか。血税使って財政を悪化させてるのでは「仕事してない」と断言せざるを得ない。
 そもそも「責任を伴わない」代表って民主主義的に必要なのか議論が必要だと思う。日本の民主主義が形から入っていると思うのは、既に中学校においてすら生徒会長は自らの「責任」ってことに無関心なのだ。繰り返すがニセコ町長の逢坂氏が言ってる「お委せ民主主義」は市民の問題ばかりでは無くて選ばれた側にも問題があるのだ。
生徒会長は限られたクラブ活動の予算を的確に再配布しなければならない。その的確さを間違えば職を去らなければならない。その責任を負う立場に自ら立候補したのだって意識が何処まで有るのか疑わしい。そんな民主主義の基本原則が市町村議会から始まって中学校の生徒会長まで全然意識されてないのだ。

兼業の無責任がツケを末代に
 企業の経理情報にバランスシートが有る。本当は単年度の損益計算書のほうが実情が解るのだけれど、大企業ではBS(バランスシート)のほうが経営の実態が解る場合が多い。
地方自治の経営責任は誰が負うのだ、実は誰も負わないのだ。責任を果たしてないのなら首にすれば良いって選挙制度だけしか無いのだ。だから地方自治は国の金を得て施設製作中心の箱モノ行政になる。実は、国の補助律は50%。残りの50%は地方自治体の借金で初めてこのような箱モノが実現する。しかも、古き良き時代は地方の負担50%も特別地方交付金で戻って来た。
 今いちばん問題なのは、先代が地方交付金をあてにしてやった事業の交付金が出て来ないってことだ。その不足分は住民が負担しなければならない。そんな事態に対して「兼業議会議員」はまったく口を噤んだままだ。責任回避してるのならまだ「かわいい」。実は全然不勉強で何も解らないにも係わらず議決権を持つ議会議員だって現状に問題が有るのだ。血税の泥棒なのだ。そんな人間を選挙で選ぶって選挙制度に市民はあきれかえっているのだ。だから、投票所に向かう人間は少なくて、宗教団体の信者ばかりの選挙結果になってしまうのだ。
 改革の対象である既得権は実は現行の地方自治選挙にも潜んでいるのだ。兼業の議会議員(その多くが企業経営者)が融資と事業継続しか人生で得た教訓は無いのだから、借金はガバガバやれって政策に無責任に同調して、結局、なんのための地方自治かを壊したのだ。無制限借金可能な経営くらい楽な経営は無いのだ。しかも、その責任は誰も問えない甘い制度になっている。

今日が楽しければ良い臨時職員
 人間、甘い汁に固執したいものだ。今の地方議会の議員は選挙で当選すれば4年間は安泰なのだ。そして血税がガバガバ懐に入る。まったく市民としてはこの町に住みたくないと思う。その議会議員への攻撃は前に書いたが、そもそも札幌市って町は腐っていると思う。その実例は別途僕の体験した話しでフォローするが、正直言って全体が腐っているのだ。
 誰も札幌市の方向なんて考えてないのだ。そんな市会議員を60年も選挙で選び続けた市民もどうかしている。名誉職が行った政策に後々苦しめられるのは市民なのだ。現職は抗弁せよ。ここには掲示板が有るのだから名指しするが「勝木の息子」は掲示板に書けるかぁ。なんなら実名検索が多いので、実名で書くが、借金容認の地方議会の個々の議員の責任は誰も問わないのか。僕は、組長に責任をかぶせて、隙間でヌクヌクしてる地方議会議員はすべて切ってしまえと思っている。現状の仕事を継続するのなら立候補不可。個人所得は全額公開。内容によっては個別リコール。そんな制度を作らないと当選したら4年間闇雲に歳費を払う何もしない議員をせっせと選ぶ今の選挙制度で投票所に誰も行かなくなるのではと思う。
今の地方議会制度なんて辞めたら良いのだ。経営責任を組長に集約し、単年度の「地方自治株主総会」で結果を査定すれば良いのだ。なにも組長の査定まで議会に委ねるのは無駄なのだから(機能してないのだから)辞めれば良いのだ。
 責任を問われない地方議会議員を投票所に足運んで投票する価値の有る行動なのか、僕は疑わしいと思っている。何故投票するかの説得力無い現状が投票を宗教団体の組織票にしてしまっているのだ。
 つまり、現行の選挙制度は欠陥が有る。と僕は言いたいのだけれど、その欠陥で隙間産業のように生きている地方議会議員のなんと多いことよ。言いたいことが有ったらここの掲示板に書け! 基本的に地方議会は今のままなら要らないってのが僕の歴史観(SMILE)なのだ。反論できるほどの論理を持った地方議会議員は居ないと思う。
 立候補者の沈黙によって投票率はますます下がるのだ。それは民主主義の「制度の欠陥」なのだが、誰もそれを論議しないで、民主主義は崩れていく。

役場が馬鹿だから税金が無駄になる
 行政って何かを今一度考える必要があると思う。律令制度で税金の名目で金を集め、これを再配分する制度が行政なのだろう。だとしたら、再配分責任を問う仕組みは何処に有るのか。実態は会計監査くらいしか無い。払った市民が行政の一機関である会計監査制度にすべて代表民主主義制度の元委託しているとは思えない。勝手に「お目付け役」を身内から出しているだけだろう。
 既存の制度を含めて改革を叫ぶことが出来る組織では無くて、単に「一部の極端な部分を告発する」ってだけが会計監査院の仕事の結果なのは見ていて解る。自己弁護なのだ。
行政が地域で最大の事業体である地域は北海道に多い。そこで働く市町村職員の意識は親方日の丸よりもっと最悪で「何も考えていない」のだ。こんな地域では「公僕」なんて言葉もむなしい。そもそも自衛隊の基地に依存している市町村では特別国会公務員(自衛隊員)への配慮を選挙公約にしているのだ。それが、旧社民党も含めてなのに苦笑する。
役場は行政の要なのだが、組長追従主義で独自アイデアも何も無い。単なる公僕って開き直りが考えられない程効率の悪い組織運営になっている。公僕が開き直ったら恐い。いかに効率を落とすかは得意中の得意なのだから、金ばかりかかって実効の無い行動は役人には得意分野なのだ。
 効率的な行政は組長が決めれば良いって考え方の部長とかが居る地方自治体が多いが、基本的に行政なのだから携わる職員の意識が政策なのだ。それをまとめる使命が組長の仕事なのだが、職位、議会議員、ともに無責任なので垂れ流しなのだ。
 責任が何処に有るかの部分で言えば、日本の民主主義制度は未熟である必然が有るってことなのだろう。それを、今後も続けますかぁ

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2003.04.12 Mint