札幌市長再選挙、混迷の出発点

大方の立候補者は出そろったようだ
 大方と言うのは再選挙の説明会に3名+1名の代理人の出席が有ったから。例によってこの3名について書いておこうと思うがこれも前回と同様に実名を記さない。便宜的に自民党(i)、民主党(u)、市民派(n)としておく。何故推薦団体名を明記するのかは後ほど解ると思う。
前回、いわゆる政党支援を受けた候補者が挙げた得票は38万票。いわゆる無党派が挙げた得票は41万票。単純に考えれば再選挙でも無党派層が勝利しそうだか、ま、世の中はそう単純ではない。
また、自民党は自民党(d)から自民党(i)に変わってるように、候補者の顔ぶれも前回と同じでは無い。しかも4選挙同時であった前回と比べて市長選挙単独では何処まで投票率が下落するか計り知れない。投票率が下落すればするほど「組織票」を持った候補者に有利になる。先に書いたように公明党票が選挙を左右するのは決して望ましい選挙制度では無いのだ。それは公明党の是非以前に有権者の選挙離れが招く先には有権者が望まない政治が有るのだってことを表している。
「ヒットラーは選挙で選ばれた」って事実を踏まえ、有権者の選挙場慣れに潜む危険な臭いを嗅ぎ分けて貰いたい。

大方の予想は民主(u)有利
 これも「大方」で始まるのだが、単純に考えると前回トップの民主党(u)が有利だろう。今回不出馬を決めた無党派の票が何処に流れるかがポイントだが、僕の予想ではその半分は投票に行かないと考えている。投票率は50%の中盤に落ち着くだろう。8万票程が総量から減ることになる。残った票が何処に流れるかだと思う。
加えて、新顔の自民党(i)は12月時点で固辞して今回は立候補と前に「後出しジャンケン有利」とは書いたがあまりにも後出しでいまいち集票出来るかどうか疑問がある。前回立候補の自民党(d)の支持者の一部にも支援を見合わす動きがある。
で、最大の焦点は市民派(n)は実は民主党層を地盤にしていた時期が有った点だ。鳩山由紀夫メルマガに自身が書いているのは「25%の支持を得られない政党候補者は再立候補するな!」と子供じみた発言をしている。しかし鳩山由紀夫は他の地方でも党の推薦候補を押さず自分自身で対立候補の応援演説を行ったりしている。その行動を不問にしている民主党そのもの結束力のなさもさることながら、もはや民主党は崩壊前の巨大赤色恒星なのだ。ただ、北海道ではまだ石炭と国鉄の名残なのか社会党的民主党が幅を利かせている。
 鳩山氏が一番嫌うのがこの「社会党的な」部分。自身小沢一郎と統一会派を指向したのは、これによって民主党に残る「社会党的な」部分を刷新もしくは切り捨てる考えだろうが、残念ながら自らが切り捨てられてしまった。
しかし、火種は消えていない。衆議院選挙は確実に来年かそれ以前にやってくる。任期まるまる4年務めたとしても来年の夏には総選挙だ。今の小泉政権をたてて政権政党にたる自民党、公明党、新保守党の中で新保守は政党として残れるのかが第一の課題。そして長期政権に潜在する腐敗政治がスキャンダル化すれば自民党といえど安泰では無い。公明党はそこそこ数を継続できるであろう。
方や野党では巨大赤色恒星の崩壊が選挙前に有ると僕は予想してる。その核は「自由党」だ。自由党の「党の存続よりも政権政党」って意気込みは侮れない。覆面県議会議員グレート・サスケが生まれた背景は岩手県で小沢一郎のお膝元だからだけでは無い。変革こそが国民の望むものなのだ。小泉純一郎の功罪の功労は「変革を恐れない」って精神を愚作に苦しめられながら国民に培ってきたことだろう。多少の変人や奇人が出てきても恐れない精神が国民に宿ったのだ。
 話は逸れたが、民主党票が崩れて市民派(n)に流れる。やけくそになった自民党(d)支持層が市民派(n)に流れる。鳩山由紀夫が市民派(n)の応援演説を展開する。こんな地殻変動が起これば市民派(n)の勝利の可能性は有る。
 今から宣伝カーを走らせて広報活動を行っている民主党(u)に僕は「社会党的な」臭いを感じてしまうのだ。これでは時代は20年昔に戻ってしまう。
 小沢一郎と鳩山由紀夫で作る新党は政党を持たない市民派の作った政党になるだろう。そのためには今は無党派って区分けで有っても、1年後には無党派党に合流すれば良いのだ。

それにしても無党派(n)の度量は狭い
 どうも菅直人のイメージに重なるのだ。大局観が無くて小局にばかりこだわる。4者会談にしても呼びかけにOKしても支持者に3日も話さない。それ故に他の3者はドタキャンするつもろではと疑心暗鬼になってしまった。「4人のなかで一番得票が多かったのだ」と子供じみた論理で優遇扱いを迫る。これは本人よりも、支持母体に問題があるのだ。選挙はナンバーワンだけが当選する。2番も3番も負けたことでは同じなのだ。映画トップガンで「一番の名前はこのプレートに書かれる、2番は女子トイレの落書きだ」ってせりふがあるが、市民運動の脆弱さってのは2番で負けることが3番で負けることより良いことだと思ってしまうことだ。負けは負け、だから白紙から話し合わなければいけないのだ。
 大儀の前に小異を忘れるって精神に乏しすぎる。無党派大同団結の道を「俺が一番得票が多かった」って目先の事で自ら閉じてしまったのだ。4者会談が終わって他の3名は不出馬宣言をした。ここで、自らが頭を下げて行脚して協力を願い出たらどうだろう。静岡市みたいに急に功労賞的に「副市長」なんて始めるのでは無く政策として私的諮問機関としてそれぞれの部門の市民評議員制度の委員長をお願いして、政策に生かすと選挙公約すれば良いだけの話ではないか。

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2003.05.13 Mint