「りそな銀行」に「公的資金」

公的資金って何なのだ
 官僚の作文なのだろうが新語がどんどん出てくる。本質は同じものを別な表意文字で著す官僚の作文が問題なのだ。例えば今の「消費税」である。これは中曽根首相が「大型間接税」とか呼んでいたものを取り下げて「私はいわゆる大型間接税は取り下げた、今回の消費税は将来の高齢化社会に向けた福祉税なのだ」なんてしゃぁしゃぁと言っているのだ。
僕は購入する人間に課税する消費税については良い税制だと思う。しかも「預かり消費税ー支払い消費税」と事業者が差額を納税する「付加価値税」の部分も良いと思う。昔の荘園から寺銭得る制度とたいして変わらないのだけれど、少なくとも「流れる個人消費」に課税する考え方は見上げたものだ。
ただ、ここが致命傷なのだが、日本国憲法にうたわれている「生存権」に課税する理論武装は何処まで出来ているのだろうかと考える。僕は基本的に消費税には賛成なのだが、その運用には疑問を持っている。「等しく負担する」てのは良いのだけれど、サラリーマンの受け取る給与は既に所得税が引かれているのだ。この課税を経た所得を更に消費税で税金を集めているのだ、この仕組みはおかしい。
 税金は二重課税されてはいけないのだ。ガゾリンが分かりやすい。給油したガソリンの消費税にはガゾリン税の価格に対する消費税が計上されてるのだ。我々はガソリン税の5%である消費税も払っているのだ。
誰も何も言わない。消費税の減額に対する意見は矛盾を知りながら無視を決め込んだ官僚によって政治に反映されてないのだ。その証拠は消費税の矛盾を訴える国会議員の情報が皆無だのだ。知っていたら教えて欲しい。あっというまに消費税は日本に浸透してしまったのだ。集めた税金の使い方の論議を行わないで。民主主義の時代に昔の封建社会のように「お上が通達する」税金がまかり通っているのだ。何に金が必要だからその分を集めるなんて「説明責任」はまったく果たされず、ただただ集めているのだ。これがキムジョンイルの北朝鮮の政治と何処が違うのか。僕に言わせれば「土瓶、薬缶を笑う」なのだ。

1企業に税金を貸すって事が許されるのか
 公共の利益と言いたいのだろうが「公的資金」って用語はいただけない。単純に税金なのだ。過激に言えば「血税」なのだ。これを公共の利益のために使うのは当然なのだが、何故か金融機関に関しては聖域で「金融不安を起こさない」ってことでジャブジャブと血税が民間企業につぎ込まれる。
 記憶力の良い人なら覚えていると思うが橋本龍太郎総理大臣の時代に脳天気な橋本首相が急に「アジア発の金融危機は起こしてはならない」と言い出した事がある。誰の差し金か随分調べたのだけれど解らない。たぶんアメリカ筋では無いかって情報しか得られなかった。
 アジアの一国である日本でも金融は国際マーケットと直結している。金融が脆弱とアメリカから言われるのは日本の大蔵省(今は財務省)が金融をコントロールしている事態が国際感覚(これって、アメリカ感覚なのだが)と違っているってことらしい。
 一国の経済制度は自国の文化であり、アメリカと日本は文化が違うのだから金融制度も違って良いのだ。ただ、合理的で民主的で経済的な方法は必須なのだが。
 金融危機のお手本は韓国なのだが、この国はこれを乗り切った。僕がソウルに行った当時は日本円に5を掛けるとよかったのだけれど、今は10を掛けるくらい下落した。でも国際社会で生き残っている。
韓国の貨幣価値を守るには金準備率を上げなければいけないと言われれば政府に金製品を拠出したりする。それくらい個人と国家が融合しているのだ。
 「公的資金」で公共の利益を保持する。その題目は通じるだろうか、税金を一企業に注ぎ込んで公共の利益に資するとは思わない。特に今回の「りそな銀行」は再生のために統合してギブアップしたのだ。マージャンで言えば「泣きの半ちゃん」で再度箱テンくらったようなものだ。「泣きの半ちゃん」を許すのが根本的に問題なのだ。そして再度の箱テンに税金投入ってのが今回の「りそな事件」の実態だろう。
そんな事情を知って尚、税金を投入する政府は大ばか者なのだ。そもそも、りそな銀行から言わせれば期待した景気回復が出来ない小泉政権を恨みたいだろう。景気回復できないで公的資金をバラマク行政は「本末転倒」なのだ。行政責任すら果たせてないのだ。

4大メガバンクも苦笑している
 「どうしたら良いのだ」ってことだろう。政府は公的資金を使え使えと言って来る。借りた金は将来返さなくてはならない。それも利息(優先株)を払って。そもそも経営ってのは紐付きになりたくないのだ。護送船団方式なんて批判された財務省は主導権を失ったのだ。でも官僚はしぶといのだ。「金も出すけど口も出す方式」に替えて金融機関支配を続けたいのだ。財務省OBが頭取の銀行がいかに多いか。だから、そのために金融機関支配を「護送船団方式」では無くて「公的資金方式」に替えたのだ。
だた、国民に意図を知られないように、公的資金って用語を使い財務省の一部の既得権のために何千億って税金を使っているのだ。
こんな姑息な役人の手法をチェックする機能が内部に無いのだ。国会議員に至っては新たな利権を作った官僚と結託して私腹を肥やしているのだ。銀行から政治献金を得ている国会議員の名簿を出してみろ>国会。
 これは本末転倒では無くてマッチポンプなのだ。「金融不安を起こさないために、公的資金が必要でっせぇ、だんな!」的なスローガンで結局私腹を肥やしているのだから。りそな銀に送り込まれる官僚は心の中で満面の笑みだろう。計画どうりなのだから。りそな銀がどうなろうと知ったことでは無い、税金が。経営権を与えてくれて高額な役員報酬も保証してくれる。してやったりと思うだろう。
 弱い銀行「りそな」に吸い付いた「ヒル的な」官僚に税金を持たせてやる程、日本って税金潤沢なんだなぁ。

「効率」てことを考えないと
 不況だなんだと言う前に、いや、そこに視点を持つ前に効率考えないとあかんと思う。僕はいまさら「りそな」に金を出すより潰してしまえと思っている。それで金融不安が起こるとも思えない。拓銀が潰れて何が影響したか、その影響は営業権を譲り受けた北洋銀行が起こしたものだ。勘違いされてる面が多いが拓銀の責任は潰れたこと。その後融資が切れて倒産した企業が出たのは営業権を譲り受けた北洋銀行 の責任なのだ。このあたり馬鹿な新聞記者は「拓銀の倒産により資金繰りに生き詰まり」なんて書くが、基本は「拓銀の倒産により北洋銀行に委譲されて、北洋銀行の融資基準に合致せず」と書かなければならないのだ。企業へ冥土の印籠を渡したのは北洋銀行なのだ。無くなった拓殖銀行にその決定権は無いのだ。
 時代は「合理的で民主的で経済的」なものしか生き残らない、て世界に突入しているのだ。それに反するものはやがて消えていく。この価値基準で「りそな銀行」を見るとこれは消える企業だろう。そんな銀行に利権を感じて税金を後ろ盾に支配を行う官僚が生きている実態が政治の責任なのだ。その意味でもう日本国民は北朝鮮を笑えない。キムジョンイルの行う独裁と日本で官僚が行う政治支配(コントロール)は同じものなのだ。「民主的な」って厚化粧に騙されてはいけない。


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2003.05.07 Mint