イラクへの自衛隊派遣は小泉のエゴイズム

ま、「エゴ」が適語では無いかもしれないが
 海部首相の頃であったか、PKO協力法の前段の廃案になった特別措置法。正式な名前は忘れたがこれが戦地に日本人を業務で送る法律の最初だったと思う。あの当時は支離滅裂だった。派遣が民間人も含んだ集団ってことで、それに自衛隊員は入るのかと聞かれて海部首相は「参加したい自衛隊員が居れば民間人の立場で参加する」と訳の解らない答弁をしていた。これが早稲田の弁論部の力のなのかとあきれかえった事がある。
 今回はすんなり「自衛隊ありき」でスタートを切っているのだが、戦後復興でありPOKでは無いのだから文民のニーズが高いのではと思うのだが、小泉首相は「自衛隊を出す」が主眼で戦後復興は眼中に無いのだ。その論理の弱さを突かれると「ええい、聞く耳もたんわ、自衛隊を出すんじゃ」とわがまま殿様になってしまう。
 そもそも「大量破壊兵器が有ったのか、無かったのか」で既にイギリス、アメリカでは侃々諤々の議論が起こっている。小泉ブッシュ会談の公表された部分では「大量破壊兵器がテロリストに流れるのを防止するアメリカの武力行使は支持する。日本は直接の武力行使は出来ないが戦後復興には寄与する。」って小泉首相の発言だ。これには「自衛隊を出す」とは一言も含まれてない。であれば、自衛隊に固執することは無いと思うのだが。
 この当たりがきな臭い。現在インド洋上で補給に当たっている自衛隊の補給した燃料で空母が中東に向かいイラクへの空爆に参加したとか。つまり、後方支援とは「後方から前線を支援する」ことであり「後方を支援する」ことでは無いのだ。だから、支援する相手が軍隊ならば、軍隊の活動(武力行使)に荷担する行為であることは明々白々なのだ。つまり「海外派兵」なのだ。

議論が空回りする国会討論
 水曜日だったと思うが仕事で移動の途中で国会審議を聞いていてイライラしてしまった。午後一番の民主党は 前原誠司氏、これが話の要点は解らないは持参の資料探すために発言は中断するはで、こんな議員の質問に答えるために人を集めているのは税金の無駄ずかいでは無いかと思う。何の信条も無く、予め答えの解っている事柄を質問するのだ。ただ、その関連質問で立った同じく民主党の伊藤英成氏は実際にバクダット入りして現地を視察しているから興味が有った。が、こいつも全然駄目なのだ。
 一番駄目な点は「首相は今、イラクは戦争終了状態に有ると思うのか」てキャンキャン咬み犬やってるのだ。 首相の答弁は「戦闘状態は終了したが混乱は残っている」状態と答弁するのだが「混乱が有るなら、戦争状態では無いか」と屁理屈をこねる。そして「戦争は終わっているのか明確にしてもらいたい」と噛みつく。
 あのなぁ、言葉の定義がはっきりししてないものを認めろとか迫っても無理だろうがぁ。
 今の日本は「戦争は終わってる」のか? 受験戦争はどうだ、交通戦争はどうだ、「戦争」ってことばは広範囲に使われてるだろうがぁ。それを「イラク戦争は終わってるのか」なんて、平和ぼけか日本語処理能力が不足しているのだ。そんな奴の話を聞くために会議を開くなんて、これまた税金の無駄使いだ。
 「自衛隊では戦後復興に役立たない。文民の渡航を支援する法律とそれを警護する自衛隊って構造を作れ」って言いたかったのではないのか。それが民主党の視察団を出して基線を制した戦略だったのでは無いのか。まったく、「戦争は終わったのかどうなのか」なんて平和ぼけの日本で議論するために視察に行って来たのか? これまた税金の無駄遣いのなにものでも無い。
 しかも最後は民主党の考える戦後復興のための6箇条なんてのを読み上げて終わる。ヤレヤレな奴が多い昔の社会党と何も変わらない。議論しないのなら会議するな。議論のための準備が不足してる。自衛隊は役に立たないを堂々と主張すれば良いのだ。「戦争は終わったのか」なんて、視察した自分で解るだろう。

イラク復興を日本が担うのも変
 「大量破壊兵器の流用から、新たなテロの驚異を事前に防止する」って大義名分は根底から崩れようとしている。小泉首相は「あの時のアメリカ支持は正しかった」としか言わないし野党は「戦後復興支援そのものには反対しない」って姿勢だ。だが、違うだろう。
 「筋通した戦争(武力行使)で破壊されたものなら良いが、その筋が通らない戦争(武力行使)で破壊されたものを壊したアメリカやイギリスに替わって(加わってかな)日本も国民の税金を使うってのは、日本国内で筋が通らないじゃないか。
 アメリカの10年でそろそろ寿命の切れそうな巡航ミサイルの在庫一掃セールでボカボカ撃って壊したものを日本が修復する。そこにアメリカの戦争による恩恵が有るなら合理的な話だが、アメリカの戦争がひょっとしたら大儀も無く(間違っている)効果も無く単なる破壊行為だけであれば、当事者のアメリカとイギリスが破壊の責任をとれば良いのだ。そんな場面に「後始末はやりまっせlなんてスターワォーズのタトウィン星人みたいにこそこそやっていては日本は国際的主張も無く立場も確立できずアメリカの1州になってしまうのだ。これまでがそうだったからこれからもそうで良いとは思わない。日本がイラクの戦後復興に荷担するには荷担する「大儀」がこれまた必要なのだ。その大儀は十分国民が納得できるものでなくてはならない。今の国会を見ている限り、大儀も議論しなければ双方向の議論も無い、昔の土井孝子の消費税への発言「駄目なものは駄目」ってのと同じなのだ。今度は小泉首相が「出すものは出す」で論理も説得も放棄しているのだが。

国民に分かりやすい議論を国会で
 なんで日曜日の午前中テレビにかじり付いて政治番組を見ないと日本の政治が見えてこないんだ。せっかくの休みの日に(笑い)。
 福田の記者会見は人を小馬鹿にしたような薄笑いばっかだし、変態山崎は何を考えてるか解らないし。野党は明確な論点を持たないし。これでは国民が政治に期待できないなと諦観してしまうのだ。
 首相公選制の話はどうなったのか、消えたのか。今の議会運営では首相が直接国民に語りかけることが無い。小泉メルマガだってあれは「小泉日記」だろうがぁ。
 国民に向かって、国民の目線で話せるリーダが期待されてるのだ。石原東京都知事が好例だろう。これは地方自治制度が議会議員と組長双方を直接選挙で選ぶ仕組みだから出来るのだ。考えてみると先の戦争が終わった後にアメリカがコントロールしやすい日本を作るために、あえてアメリカの大統領制を選択しなかった、その深慮遠謀が今、花開いたのだ。そしてアメリカの「実験成功例」を中東でも展開しようとしているのだ。その片棒を日本が担うってのも歴史のアヤなんだろうか。松浦亜弥は好きだけど、この歴史のアヤで日本は道化を演じているのだから情けない。(巧みに検索エンジン対策してしまった(苦笑))

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2003.06.27 Mint