地雷(鴻池)を踏んだ小泉純一郎首相
青少年育成推進本部副本部長
秋に向けての不安定な政局に、よりによって地雷を爆発させたのが鴻池祥肇防災担当相とは、この人よほどの「変人」なのだろうか。
報道によると事件の詳細は以下のようだ。
少年犯罪の最優先課題は親の責任だ。と断定し、犯罪者の親も(テレビに)映すべきだ。全部引きずり出すべきだ。担任教師や親は全部出てくるべきだ。親なんか市中引き回しの上、打ち首にすればいい。
と吠えたらしい。ま、松本放送局で松本人志が言っているが「アホは怖いでぇ。世の中アホを基準に作られた規制がいっぱいある。これを守らされるのはたまったもんじゃない」と言っているが、まさに、アホは怖いと今、小泉純一郎首相は思っているのではないだろうか。
同じく閣議後の会見で坂口厚生労働相は「あまり慌てて対応して、誤った対応をしてもいけない。」、扇国土交通相は「人権は大事だが、人に迷惑を掛けない、社会に融和していくことを教えることも重要だ」と述べたそうだ。(以上、主に産経新聞ホームページを参考にした)
坂口大臣や扇大臣の発言が正論である、正論と言うよりも良識である。この鴻池ってのは朝から酒でも飲んで酔っていたのだろうか、それとも、脳が24時間酔った状態に有るのだろうか。評論家がテレビうけするコメンテーターやってるんじゃなくて、国民の税金で働く特別国家公務員が、何をトチ狂ったのか。「市中引き回し」だとか「打ち首」とか、「俺がルールブックだ!」と受け止められる発言をポンポンして、しかも、これが「青少年育成推進本部」副本部長なのだから事は小泉首相の任命責任にまで及ぶ。
そもそも「市中引き回し」にするにはどれだけの刑法を改正しなければならないのか、「打ち首」は新法作るしか無いだろう。そんな常識が立法府に所属する国会議員に無いのは国民の不幸と言うか国民の責任なのだ。
鴻池祥肇ホームページによれば第17回参議院選挙兵庫選挙区より当選とのこと。兵庫県の人間は責任有ると思うが。
事は1億分の1の話なのだ
まず何を置いても公人である政治家に求められるのは大局観である。物事個々の事象を読みながら全体としての流れをどのように構築するかの大局観である。
事件、事故の当事者には申し訳ない発言になるかもしれないがどんな場合でも「代表」たるものは、この大局を捕らえてリーダーシップを発揮しなければならない。古い話になるがサハリン沖モネロン島近郊上空で当時のソ連による大韓航空機撃墜事件。この時、事件が故意では無く過失による公算が大きいと判断された時点で、大きな国際紛争にはならず高度な国際政治の場での駆け引きになるであろうことは多くの専門家が予測した。この時に「ソ連を市中引き回しで打ち首だ」なんて発言は飛び出さなかった。
あくまでしらを切る姿勢のソ連に対して日本の自衛隊の傍受した交信記録を用いてソ連を真実の土俵に引き込んだのだ。亡くなられた方には申し訳ないが、政治は大局の中で奉られ、国際政治の1断面として取り扱われた。
これは先に述べた松本放送局風に言えば「アホや間違いは何処でも発生する。それを防ぐ対策も怠ってはいけないが、起こった時に対処する方策もまた事前に考えて置かねばならない」となる。これが「安全管理」と「危機管理」として定義されている。
原発賛成反対議論がかみ合わないのは「安全管理」のみに頼って原発を語るからである。安全管理は起こりうる事故を想定し、それを防ぐ方策を考えることだ。つまり想定出来る範囲でしか事故は防げないのが安全管理だ。方や、「危機管理」は事故が起きたから出発し様々な方策を検討する。「安全管理」する人間を呼んで「原発は安全か」と議論することは哲学として面白いが、特に原発と隣接して生活する住民には意味が薄いのだ。それよりも万が一事故が起こった時の対応策である「危機管理」を聞くほうが住民には有意義なのだ。
同様に、今回の事件を普遍化して「現在の中学1年生は皆、幼児を殺す潜在的意識があるのだ」なんて考える人は少ないだろう。所詮日本の人口に比して1億分の1の事象なのだ。それを、政策を立案する政治家が見識を問われる「親は市中引き回し、打ち首」なんて言うのだから、「二日酔いで脳味噌狂ってました」とわびた方が抗弁を重ねるよりもまだましではないのか。
青少年犯罪の増減は誰にも解らない
警視庁の統計はまったく当てにならないのは当の警視庁官僚が認めている。数字として現れてくるのは検挙数であり、犯罪数では無い。しごく当たり前の統計の常識なのだが、多くの人は検挙=犯罪数と読み違えている。少子高齢化の現在、せめて年齢別の率に置き換えてくれれば予防に役立つと思うのだが統計数値ばかり一人歩きしている。
青少年犯罪が凶悪化しているかどうかも誰にも解らない。それは、マスコミで取り上げられる量の問題で、かつてのワイドショーが「報道番組的な」番組になっている現在、報道量は増えているだろう。しかし報道されていない犯罪は表面に出ない。実際に60歳を越えた高齢者が起こす殺人事件が増えている。昔なら60歳を越えてなを人を殺すなんて見識は無かった。だから、全体的に凶悪犯罪が増えているのは事実だろう。それは青少年犯罪にのみ言えることでは無いのだ。
つまり「両親を市中引き回し、打ち首にすると脅せば、子供の行動に目を向ける」なんて鴻池発言は本末転倒なのだ。安全管理にもなっていない、単なる感情論だ。
ただ言えるのは社会が殺伐としてきたことだろう。それを是正するのは難しい。社会の流れなのだから止めることは出来ない。自衛するか少なくとも防犯は自己責任で行う必要が強くなってきた。東京では区によっては自警団的な見回りも始まった。これに警視庁は警察官倍増計画で対応していく計画を進めている。外国人不法滞在者が増えたり、生活に困窮したホームレスが増えたりする社会の変化に対しては、社会を変えるように規制を強めるよりは、変化した社会に対応した安全管理を考えるのが合理的で経済的で民主的なのだ。
鴻池祥肇防災担当相ってのはマッチポンプなんじゃないかな。これからの抗弁とこれが政局を左右するか注目に値する。
もう一方の足でも地雷踏んで
とまぁ政治家の発言てのは自爆テロだと思うのは小泉純一郎首相の「自民党総裁選で掲げる公約を次期衆院選に向けた「踏み絵」とする」て発言はいかがなものだろうか。
昔PC−VANにpeaceってハンドル名の教師が居たが、こいつの起こした「踏み絵事件」を思い出してしまう。。こちらは悪質で生徒に「「踏め!」踏んでキリシタンの痛みをしれ」って趣旨の授業だったと抗弁してるが、頭の構造が何処かおかしいとしか思えない。本当「アホは怖いでぇ」
良く解らないのだが小泉首相が総裁選挙で提示した公約が踏み絵だと、これを踏めないシトが仲間ってことなのだろうか。これって江戸時代の「踏み絵」と真逆じゃないのだろうか。踏めない政治家は仲間で、踏んだ政治家は仲間じゃ無いってこと? 隠れキリシタンが小泉改革派なの?
さっぱり小泉首相の頭の構造がわからん。
そもそも、宗教弾圧に使われた「踏み絵」を政治的発言に引用する事自体が「小泉は頭悪いぞ」と印象付ける。まして公明党と連立組んでるんだから宗教に関わる発言は慎重にすべきだろう。それとも「聖教新聞」でも敷いて踏ませるって深慮遠謀が有って変化球投げたのだろうか。