何故進まぬ市町村合併論議

リーダ不在が論議の進まない理由
 北海道は他の都道府県と違い1自治体の大きさが広大でなかなか合併論議を行えないのかと思っていたのだが、確かにその面はある。が、北海道の問題だけかもしれないがリーダ不足が改革推進の足かせになっている面が有ることが最近解ってきた。僕は特に市町村合併が改革だとは思っていないが、時代の流れに合わせた地方自治のあり方は改革とまで言わなくても変ってくるものだ。
 現状のままよりも変化に応じて自ら変わっていくほうがリーダーシップを必要とする。今のままは特にビジョンを描く必要は無いが、変化の動機付けには変化後のビジョンを描き、説明し、説得する力が必要になる。
 「広いから合併は無理」と言うのは決して説得力はない。逆に言えば今でも広い故に無理な事柄が多く、もっと狭く変革する意見が無いではないか。結局、この意見には「現状を変えたくない」って意志を正当化するだけの意味しかない。「広域で困難」と言うのなら心情的な話では無く、説得力有るデータの提示も必要になる。
例えば東京都の異常な所は通勤が120kmなんて遠距離通勤が日常化しているのだ。生活圏が120kmに及ぶのだから、北海道だけが「広いから」って言葉は説得力を持たない。公共交通の発達が可能にしたとの反論も有るだろうが、それにしても5、60kmの生活圏は北海道でも日常だろう。その生活圏には複数の市町村が包含されているのだ。

市部の及び腰があるらしい
 地元で何気ない話題の中で探りを入れてみると、自治体は結構真剣に合併の研究を進めている。職員の研修も単なる物見遊山では無く事例研究も進めている。その中でそれでも言い出しにくい理由が見えてきている。それは今まで住民の目に触れることの無かった財務諸表が情報開示される点にあるらしい。
 いわば借金を重ねて積み上がった赤字財政が他の市町村と比較されながら住民に公開され、その赤字財政の責任を問われることが役場として辛いってまったく住民不在の役場の事情がそこに横たわっているのだ。
しかも、借金が容易だった市部に財政破綻(赤字再建団体転落)の可能性が高く、郡部では比較的赤字財政の規模が小さいとのことだ。
 本来地域の中核として商業圏の中心を形成し、他の市町村からの購買力を吸収している市部が、事態は役場の経済が回らなくなってしまっている。そんな事態が市部がリーダを務められない要因だとしたら、今までの地方自治は何処か間違っていたのだ。役場が地域に公共事業を含めた金の分配で君臨し、一見市部のほうが郡部より潤沢な財政基盤に見えても、実体は全て借金であり、郡部に比べ借金しやすい市部が首も回らなくなっているのが実体だ。
 何処の市だと名言は避けるが(名誉毀損で訴えられても話の趣旨とし、本末転倒なので)周辺市町村からの懇願を無下に袖にしている事例は確かに散見される。

税金の使われ方が不透明なまま
 数年前に北海道庁の道議会で使われている「予算書」を見せてもらったことがある。この予算書からは何をしたいのか、具体的な事業計画は見えてこない。言い換えれば税金の配分が見えるだけで、その配分が効果が有るのか(そもそも何に使われるか見えないのだが)判断が付かない。これ以外に個別説明が有るかと言えば個々の議員はこの予算書だけが配られるとのこと。これで予算を決議出来る議員先生の能力は凄まじく高いのかいい加減なのかどちらかでしか無い。
 個別事業の詳細に踏み込んで議論出来ないのだから予算審議ってのは役人(行政)への執行の「お墨付き」だけの儀式でしか無い。本来立法府が枠を固め、枠内で執行するのが行政の責務なのだが、ここでも本末転倒がおきているのだ。
 集団の相互チェック機能が働かないのだから、後は、個々人の裁量に任されるのだ。で、この方式が巧く作用する場合がひとつだけ有る。専門外の議員に振り回されること無く行政が効率的な行政を行える。但し、高度な行政手腕を持った人間が現場に多数居ればとなるのだが。
 巧く行けば行政の手柄、しくじると議会そして議員を選んだ住民の責任。そんな仕組みの中で動いてきた地方自治60年の総決算と言うか洗い直しが今回の市町村合併。これに対峙する市町村(組長や職員)にはペリーの黒船のように来襲したような気持ちだろう。
 今回一つだけ市町村名をあげておくと、合併しない宣言の中頓別町、あの町を見れば「単独でやっていけるだろうなぁ」と思える。役場庁舎も含めて、あの町には2階建て以上のビルは有るのだろうか。質素で堅実は町政を感じた。(中頓別の人、誉めているのです、誤解して気を悪くしないでね)

固定資産会計だけでも独立監査しては
 右肩上がりで借金をしても金が回っていれば経済が回っていた時代は過ぎた。かなり前に書いたが自由主義経済社会では「経済とは貨幣の流通」である。決して富の蓄積では無い。選挙では巧みにこの部分がすり替えられる。「体育館を整備して豊かな町を作ろう」なんてのは豊でも何でも無い。体育館を造るために金が流れている時が経済が良く(ま、豊と言っても良いが)、立て終わると金の流れが無くなるので経済は悪くなる。「富」と呼ばれた物が実はピラミッドや万里の長城のように無用の長物だったのだ。まさに、疲弊した地方経済に遺跡のように残るのだ。
 借金して借金して遺跡をボコボコ建てて、さぁ、市町村合併だってんで「市にある施設はみなさんの施設でもあります」『だから、借金も払ってね』と言わなければならない、その踏ん切りが付くかどうかが市部のリーダーシップだと言って良いだろう。北海道212市町村の中で任意合併協議会が奇妙に市を囲んでドーナツ状になっているのは表面的な郡部の反乱では無くて、市部の土俵が郡部には受け入れられないくらい沈下しているからなのだ。
 せめて、昭和30年代に地方税である固定資産税を単独地方税にして、監査法人も含めて透明財政の試金石にしておけば住民も役場も勉強が進んだのにと思うが、そんな過去のことを語っても始まらない。

Back
2003.07.20 Mint