自民党が突く民主党の問題点は軽薄

政治番組は行き過ぎのヒートアップ
 日曜日の午前中に集中しているが、政治を扱った番組が民放でも出てきている。7時30分からの「報道2001」に始まり、昔からのNHKの番組が9時から10時に放映、裏では関口宏がTBSで「政治的な」って番組、10時になると田原総一郎氏を中心とした「サンデーモーニング」。裏では日テレがなんかやってるようだが見たことは無い。
 土曜日も関西毎日放送が桂文珍氏を司会者に、そして「たけしのテレビタックル」と政治を扱う本気なのかバラエティなのか解らない放送番組が結構ある。
 それに党の存亡を賭けているのかどうか、各政党は議員を出演させている。だが視聴者の立場で言わせてもらえれば、売名行為以外の何者でも無いテレビ出演ではないのか。公約がマニフェストに名前を変えても、基本的に政党政治は個々の議員の考え方を最大公約数である多数決に結論を頼っている政治制度では無いのか。
 実は芸能界の「おさる」のような参議院議員の山本氏が「たけしのテレビタックル」で「民主主義は最後は多数決だ」と言ったのだが、これは自民党のおごりでしか無い。ま、参議院だからどうでも良いけど、自民党の国会議員から「最後は多数決だ」って意見が出ることが今の自民党の病んでいる部分だ。
 ある意味で政治番組は個々の議員の考え方を露呈する効果があるが、政党を代表する意見にならない矛盾を抱えている。「おさる」の山本参議院議員に聞きたい、98対2の多数決と49対51の多数決の結果に何を読むかが政治家の資質だろう。その意味で「多数決で勝てば従ってもらう」ってのは民主主義では無いのだが、おたくの所属する政党は「自由民主党」なのだよなぁ。  山本(おさる)はその点が解ってない。結果はバイナリーでは無いのだ、どれくらい反対が有ったかは民主主義では重要な要素なのだ。

出演者と国民の「知る権利」
 政治番組の構成で「たけしのテレビタックル」では浜田幸一氏を使っているが、正直言って衆議院議長の時に「共産党の宮本は殺人犯だ」って言った段階で政治の世界から逸脱した人間なのだ。それを「番組的に」使うのは自由だが、番組が支離熱烈になっているのを製作者の誰もが解って無い確信犯番組だ。
これは「お笑い番組」なのだってことでケリが付く。ただ、それだけの番組だ。がしかし、何を勘違いしたのか正論を吐きたい大学教授とか出ている。視聴者の目から見て「浜幸」のキワモノ芸の番組に何故ツマで出るのかよく分からない。テレビに出たいから「たけしのテレビタックル」でも良いって感覚なのだろうか、良く解らないが、テレビ妄想の訳の解らない「オジサン」以外の評価は無いと思う。
 「突っ込みとボケ」は漫才の常道で、ある意味放送でも使える手法だ。実際にトレースするかは別にして漫才の手法で番組を作って放映して、それが何になろうか。単なる時間潰しのバラエティの片棒を担ぐ自称「学識経験者」には困ったものだ。
遊技なのだ、そもそもNHKが政治談義を義務報道的に扱ったあたりから、政治は遊技になったのだ。遊技の頂点は小泉純一郎だ、絵になれば思想信条は関係無いってマスコミの姿勢が暴走して伝達を独占して権力化している。民主主義は民衆の知恵以上の制度を生まないと言うか、今のマスコミの報道はコマーシャリズム(金、だよ)を既得権にしたの電波行政の結果だ、その意味でここのホームページで攻撃したろうと思う。
 もっと真摯に硬派で政治を語らなくてはいけない。バラエティで扱う放送局の姿勢は問題だが、それ以前にマスメディアとしての「国民の知る権利に応える」って部分が「国民との井戸端会議に応える」ってジャーナリズムでも何でも無い番組しか無いのだ。最も硬派に見える「報道2001」も竹村健一氏との意見統一が出来てないのか「平凡パンチ」以上のパンチを感じない。

自民党の能無し議員が言う台詞は古典芸
 山本(おさる)(しっかし、山本参議院議員はコアラの「おさる」に似てるなぁ)はどうもならない。自民党に居てこその発言で一人で政治家として活動できるキャラでは無い。自民党には「野党対策」ってテーマが有るのだろうが、その攻撃の刃はボロボロだ。それは先の12月15、16日の国会閉会中の委員会での論議でも明らかだ。質問をかわす(交わすでは無くて避わす)答弁に終始してた。
 小泉純一郎首相は人の発言を読む理解力が無いのか。例えば共産党の質問に「自衛隊が行くことにより新たな攻撃対象到来と戦闘行為のトリガーを起こしてしまう」(ま、共産党の議員にはその説明言語能力が無い感じなのだが)って質問に「戦争するために行くのでは無い。共産党はアメリカが撤退したら今のイラクはどうなるか考えているのか」って答弁した。ここに共産党は「質問の主旨を理解してない、答えて欲しいのはこの点だ」とは言わない。はっきり言って馬鹿です。相手がグスグスなのに「では次の質問に行きます」ってのは国会議員か! 議論を自ら放棄するスケジュール消化方式では議論なんか生まれない。
 とても「国民の代表とは思えない」
 自民党は民主党を「小沢さんと菅さんの意見の違いを調整出来ないで、何が民主党ですか」と言う。先の山本(おさる)もそうだ。でも考えてみると道路公団改革や税制改革について自民党は意見が180度違う人間の集まりだろう。民主党と自由党は60度くらいしか違わない。180度違う政党と60度違う政党ではどちらが進むべき方向を指し示すベクトルが高いのか考えたら解ると思う。
 とにかく小泉純一郎首相の考え方は「180度違う自民党」を露呈したのだ。それが、どのように終焉するかは誰も解らない。ただ、ベクトルが180度違う組織が60度違う組織を誹謗中傷できるのかって疑問が市民にあるのだ。

国会が議論する場で無くなった責任を自民党はとれ
 もう勘弁してくれって言いたい。12月15、16日の国会閉会中に開催された委員会の議論を聞いていると一国を代表する国会議員と総理大臣の議論とは思えない。居酒屋での課長と係長の会話のほうが内容が有るのではと思う。
 あらかじめ用意したスケジュールに従って相手の出方のいかんを問わず自己主張する質問者側。これは社民党や共産党の自己主張型国会質問なのだが、そんなの国民は聞きたいと思っていない。社民党や共産党が党員へのパフォーンスのために国会の場を使うのは民主主義の原理原則に反する。
 議論を仕掛けてこその国会の議論だ。だから、質問者は天下国家の観点に立った質問や議論を担っている。現実には貧弱以前だ。
 その意味で議会民主主義制度なのだから、与党の質問ってのは場違いだろう。与党の意見統一は議院内閣制では事前に調整済みってことなのだから、」国会の委員会で与党が質問者に立つ時間的ロスは何故必要なのだ。単に「ヨイショ発言」に委員会の時間を浪費している。それに気が付かないのが国民と政治が遊離する所以でもある。
 議員内閣制にも関わらず与党に政府への質問が出来る論理的説明をしてもらいたい。与党議員にも選挙対策でテレビに映る機会を与える以外の説得力有る理由が有るのか!
 高校生の生徒委員会並みの国会議論が放映されて、これがデモクラシーの例示だと言われて高校生は納得するだろうか。そもそも国民が納得しない党利党略自己利益の行動しか公開審議で見えないから国民は政治家に愛想尽かしている。
 墓場の亡霊みたいなハマコウがテレビでありがたがられるのは、現役の国会議員の能力が国民にアピールしないからだ。学者が閉じた世界行うような研究と政治は全然別だ。だが、今の政治家は「どっち目線やぁ!」と言いたいほど国民目線には立っていない。
 国会の議論を見て解るだろう。自己主張と党利党略しか見えないのだ。猛省を求めたい。

Back
2003.12.14 Mint(帯広にて)